ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

憲法改正方式試案

2023-06-02 12:00:00 | やまとごころ、からごころ
憲法改正に関する議論はいろいろとあるが、ここでは少し毛色の変わった提案をしてみたいと思う。それはすなわち、例えば第9条とか緊急事態条項とかいった憲法改正のコンテンツに関する提案ではなく、言わば憲法改正のマナーに関する提案である。方式試案とした所以である。

具体的には、日本国憲法改正に当たっても、アメリカ合衆国憲法のように、改正内容を『修正第○○条』と書き加えていく方式を取ったらどうかというものである。

その利点はいくつかあるが、一つは争点の明確化である。自民党の改正案などが良い例だが、多くの部分に手が入れられているので、第9条の改正部分については賛成だが、緊急事態条項には反対だという人は、結局、自民党案には反対だということになろう。これでは改正など覚束ない。また、他の改正部分については良く判らないように争点を曖昧にしたまま、改正を目指すという目くらまし的な政治的な動きも見られるので、争点ごとに修正条項でもってそのつど改正していけば、取り返しの付かないことにはならない訳である。また、仮にそのような事態になったとしても、この方式だと修正が容易であることは言うまでもない。

さらなる利点、と言うか、事はもっと根底的・根本的な伝統的な立法思想の継続性に関わることなので、この点はややこしい問題なので、以下、少しばかり詳述したい。

アメリカ合衆国憲法がこのような修正条項方式を取るに至ったのは、当然のことだが、背後にそれなりの立法思想がある訳だが、以下の記事では面白いことに、専門家である一橋大学大学院法学研究科教授阪口正二郎氏は、「なんでそんなややこしいことをするんでしょうか」という問いに対して、「わかりません(笑)」と答えている。まあ、正直と言えば非常に正直な返答であろうが、法科の高等知識を持つ専門家にもそういった背後にある立法思想というものに関する知見がないようなのである。やれやれ。

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そして、阪口氏の答えだけでなく、この「なんでそんなややこしいことをするんでしょうか」という問い自体も、私には非常に興味深い。ここには現代日本人通有の考え方が表れているように思われるからである。逆に言えば、現代日本人の考え方における、ある種の盲点と言うか、死角が、ネガとして逆説的に表れていると言っても良いだろう。

それを明確にするために、ここで、例として先の記事でも触れられている禁酒法についての修正条項を見てみたいと思う。アメリカには禁酒法の時代があったことを知っている人は多いと思うが、この禁酒法がアメリカ憲法の修正条項で決められていることを知っている人は多くはないだろう。修正条項を見ていくと、かの地アメリカでは、1919 年に修正第18条で一旦禁酒法を定めてから、1933 年に修正第21条でその第18条を廃止しているということが判る。

この「修正の修正」には、<なんでそんなややこしいことをするんでしょうか。削除してしまえばいいのに>と思う人が大半ではないかと思うが、どう思われるであろうか。


修正第18条[禁酒修正条項] [1919 年成立]

【第1項 この修正条項の承認から1 年を経た後は、合衆国とその管轄に服するすべての領有地におい て、飲用の目的で酒類を製造し、販売しもしくは輸送し、またはこれらの地に輸入し、もしくはこれらの 地から輸出することは、これを禁止する。

第2項 連邦議会および各州は、適切な立法により、この修正条項を実施する権限を競合的に有するも のとする。

第3項この修正条項は、連邦議会がこれを各州に提議した日から7 年以内に、この憲法の規定に従っ て各州の立法部により憲法修正として承認されない場合には、その効力を生じない。


そして、この修正第18条は修正第21 条で全文廃止にされている。

修正第21条[禁酒修正条項の廃止] [1933 年成立]

第1項 合衆国憲法修正第18 条は、本修正条項により廃止する。

第2項 合衆国のいかなる州、準州、または領有地であれ、その地の法に違反して、酒類を引渡または 使用の目的でその地に輸送しまたは輸入することは、この修正条項により禁止される。

第3項 この修正条項は、連邦議会がこれを各州に提議した日から7 年以内に、憲法の規定に従って各 州の憲法会議によりこの憲法の修正として承認されない場合には、その効力を生じない。



結局のところ、これは履歴を残して置くことに意義を見出すかどうかの考え方の違いであると言って良いだろう。一般に、現在の日本人はこういう場合、条文を削ったり文言を上書きして変更することを好むのである、そう言ってもあまり異論は出ないだろう。最近流行りの断捨離などもこういった考え方とは無縁ではないのではないかとも思う。

だが、履歴を残して置かないことによる問題もまた大きいと言わざるを得ない。むしろ、害毒の方が大きいのではないかとさえ言いたいのがこの試案の主張である。

実は、日本においても履歴を残すという方式を取っているものがいくつか存在する。土地の登記簿や戸籍である。





あまり良い画像がなかったので判り解り難いかもしれないが、登記簿や戸籍においては項目を抹消或いは変更する場合、斜線を引くだけで消去したり上書きはしないで、履歴が判る方式を取っている。これは、端的に言えば、裁判沙汰など問題があった場合に、履歴を残して置かないとそもそも正当性の判断が出来ないし、瑕疵があった場合も復旧が出来ないからである。

ただ、そういった実務的な理由にとどまらない重要な理由もここには存在する。

それは端的に言えば、伝統の歴史的な継続性という精神史的な問題である。

これは突き詰めると歴史感覚ということになるのであるが、現代日本人には、この歴史感覚というものが希薄なのだと言っても良い。と言うよりも、変な言い方だが、こういった歴史を否定する考え方の歴史もまた、日本人には長く存在するのである。

例えば、何か不祥事を起こして更生する場合には、これからは「心を入れ替えて」再出発するというような言い回しが良く使われるが、これは考えてみると奇妙な表現である。果たして心というものは、入れ替えることが出来るものなのだろうか。また、最近は例えば「テレビは洗脳装置」などという表現を良く聞くが、この「洗脳」というのも、おかしな言葉で、そもそもテレビによって洗脳が出来るものなのだろうか。文字通りに考えれば、「脳を洗う」ことが出来るのは、検視官か解剖学者だけであろう。こういうことを言うと中には怒りだす人もいるので、この点は、今一度胸に手を当てて良く考えてもらいたいが、どうやら我々日本人は、容易に別人格にされてしまったり、時には自ら別人格にもなれるような特異な文化的な素養を持っているようだ。少なくとも、我々日本人は、それが至極当然だと考えていて疑問を抱かないとは言えるだろう。また最近、「今だけ、金だけ、自分だけ」という表現も良く耳にするが、このように歴史的な継続性の感覚を欠いているために、それだけ刹那的な時間軸や時間感覚の中に、我々現代日本人は生きていると言い換えても良いだろう。

先ほど、精神史や歴史感覚という言い方をしたが、こういった歴史や○○史といった言葉だけでなく、伝統だとか文化という言葉もまた良く使われる言葉であるが、果たしてどれだけ長いスパンの時間軸や時間感覚において、それらの言葉が使われているのかは、論者によってまちまちであろう。議論が紛糾する所以であるが、普通、現在の日本国憲法改正を考えるにあたっても、旧大日本帝国憲法の内容が参照されることはほとんどないと言って良い。つまり、憲法改正に当たっては、現在の憲法は占領憲法であるからというような、言わばマナーの問題だけが注目され、大日本帝国憲法から日本国憲法へどう変わったのか、或いはどう変わらなかったのかというコンテンツの切断や継続性の問題はほとんど問題にされない。ましてや、その前の江戸時代の法体系からの切断・継続性がどうであったのかは、言うまでもないだろう。

誤解を招くといけないのでくぎを刺しておきたいが、法体系の切断・継続性と言っても、私が問題にしたいのは、専門的高度な難しい議論ではなく、現在の我々の意識に、普段意識されている常識的な歴史感覚であって、この意味で注目したいのは、江戸時代への親近感である。或いは郷愁と言っても良いかも知れないが、現在の日本においては、大河ドラマ(そのほとんどは江戸時代へ移行・確立期が対象)が良い例で、エンタメの一ジャンルとして時代劇という強固なジャンルが確立している。また、サムライ・ジャパン等の呼称が示すように、武士道が何かつけて参照されることも挙げられるであろう。これは非常に大雑把な言い方になるが、この意味では、精神史的な継続性に関しては、現在の日本は明治・大正をパスして江戸時代と地続きで繋がっていると言っても言い過ぎではないだろう。極端な言い方をすれば、現在の日本人の社会秩序に対する考え方というのは、基本的に江戸時代の社会秩序に対する考え方からほとんど変わっていないのである。

そして、これもまた異論もあろうが、そのことを端的・象徴的にに表しているのは、終戦記念日という呼称である。この敗戦ではなく終戦という表現の背後にあるのは、「やれやれ、やっと終わった」という安堵の気持ちであろう。つまり、日本は明治・大正と無理をして「軍国主義」へと舵を切ってきたのだが、やっとその無理難題から解放されたということである。制度的に見れば、江戸時代の朝廷・幕府二極体制から、明治になって国際情勢による圧力により、相当な無理をして現人神である天皇(=朝廷)一極体制にもっていったのだが、敗戦によって元の二極体制(象徴天皇・代議制民主主義)へ戻ったと見ることが出来る。従って、成立上のマナーは兎も角として、現日本国憲法のコンテンツは、近代民主主義という建前になっているが、実際には、本音としては、江戸時代的秩序的なものとして捉えられ、それに沿うように弾力的に運用されていると言わなければならない。例えば、私学助成金である。憲法八九条の「公金その他の公の財産は・・・公の支配に属しない慈善、教育・・・に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」という規定に対して、この問題については厳格に解釈しないという与野党の合意が成立している。私立学校は「公の支配」に属するので私学助成は憲法違反でないといった建前になっているのであるが、この合意形成の背後にあるものは、江戸時代的寺子屋制度を是とする「世間」観であろう。

換言すれば、日本は明治維新によって朝廷・幕府二極体制から、攘夷を経て倒幕開国へというように「心を入れ替えて」天皇一極体制へと別人格に変身し、それによって近代化には成功したが、最終的にはその最終進化型である超国家主義的軍国主義へと変貌し、思想的組織的無理が祟って敗戦へと追い込まれることとなった。そして敗戦時に、鬼畜米英からギブ・ミー・チョコレートへと再度「心を入れ替えて」別人格に変身し、象徴天皇・代議制民主主義という名目の、実質的には江戸時代的朝廷・幕府二極体制へと先祖返りしたのである。この意味で、繰り返しになるが、戦後の日本は名目上は「民主主義国家」であるが、実際には江戸時代的社会秩序である「世間」として、運営されていると言う事である。

この意味するところは、日本人の国民性というものは、江戸時代からは左程変わってはいないという事であるが、逆から考えれば、現在の日本人の社会に対する考え方やものの見方というものは、大体のところ、江戸時代的秩序の成立時にまで歴史を遡ればよいという歴史観に帰着することになる。

そして、この私の常識的な歴史観に合致したものとして、私には内藤湖南及び山本七平両氏の史観が、真に正鵠を得たものであると思われる。



<大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれで沢山です。それ以前の事は外国の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後は我々の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知って居れば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。>(内藤湖南「応仁の乱に就て」)

この湖南の考えは、「文化史」とあるように文化に重点を置いた見方であると言って良いが、山本は日本人の考え方や感じ方、つまり精神史に重点を置いて、これを補正し、1467年の応仁の乱よりさらに235年遡って、1232年の『御成敗式目』制定に現在の起点を見い出している。



この『御成敗式目』は、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、最後にちょろっと触れられた程度で、その内容については全くスルーであったが、形式的には、朝廷による認定も将軍による署名もない、単なる政治を司る執権職の手になる文書で、今でいえば、言わば地方官僚の手になる一地方知事が制定した政令といった程度の代物であった。それが、結果として日本全国に広く流布し、行き渡って、近世には寺子屋のテキストになり、それが明治の学制施行まで続いて、640年もの間範として仰がれることになったのである。その内容は、当時の社会通念を言語化して法制化したもので、日本的な社会的慣習・慣行の、言ってみれば日本の”コモン・ロー”の成文法化であったと言うことが出来る。

山本は、『御成敗式目』について日本人の相続原則・刑罰思想・日本的実力主義など、様々な側面から克明に考察しているので出来れば参照していただきたいが、例えば、一般に日本では長子相続制であったという誤解があるが、それは全くの間違いで、御成敗式目27条ではそれまでの実績の評価と能力の有無だけが基準であり、相続順位は功績、能力順位であっても、決して血縁順位でなかったことが示されている。実際には「奉公の深浅」と「器量」による「指名相続」制だった訳である。

当時のこの相続に関する考え方は、現在の我々日本人の相続に対する考え方に、地続きで続いているという点で、非常に興味深いので、少しここで紹介したい。旧帝国憲法下でも同様であったが、現在の民法は、血縁順位に基づく均等相続制を取っているが、この均等相続制というものは、果たして我々の伝統的な相続観と一致するものであるのかどうか、今一度、考えていただきたいからである。

例えば遺言があれば、法定相続分よりも遺言書の内容が優先されるのであまり問題は生じないとも言えるが、遺言がない場合にはこの法定相続による均等相続制がしばしば揉め事の原因になる。事業を誰が継承するのかとか、親の面倒を誰が実際に見ていたとか、兄弟のうち一人だけが大学に行かせて貰ったというような、言わば”不均等”な事実との間に齟齬が生じる場合があるからである。こういった場合には不合理と感ずる人が多いのではないだろうか。

また、興味深いのは、式目における「指名相続」制には、「悔い還し権」なるものが謳ってあることである。これは、相続者が所領を経営しないとか、両親を扶養しないとか、一族の面倒を見ないとかいった場合に、隠居には相続を否定して取り戻す権利というものが担保されていたということである。これなぞは、現在の中小企業は言うに及ばず、上場企業などでも同様だが、新社長に席を譲って会長に就任したものの、不祥事や業績低迷などの理由で、会長がまた社長に返り咲くといったケースがまま見られるのも、現在の会長職は会社法には明記のない不文律として、この「悔い還し権」を持っていると言えよう。時には、新社長派と会長である旧社長派とが主導権を巡って対立し、”お家騒動”になったりもするが、この「悔い還し権」に対する意識の違いというものも、当然にそこには存在していると考えられるので、明文化のないために法的に決着がついても、そこには遺恨が残る場合が多く、そのためその後も熾烈な派閥争いが続くといったことも多いようだ。


といったようなことで、日本の近代の歴史というのは、西洋近代国家の制度を急いで取り入れたために、民族的・伝統的な文化との齟齬をきたし、この意味で建前と本音のギャップを如何に埋めるかに腐心して来た歴史であるとも言えよう。建前としては、「心を入れ替えて」民族的・伝統的・文化的な考え方を否定し抹消したことになっているが、当然のことながら本音の部分では、そう易々と変われるはずもないのは、個人の場合と同じである。最近のLGBT法案なども、議論を見ていると、その根底にあるのは、この建前派と本音派の争いであること判る。

この建前と本音との間のギャップをどう埋めるかというのは、個人の場合と同様、なかなかと難しい問題であるが、まずは本音である日本人の民族的・伝統的・文化的な考え方と言うものを明確に自覚する必要があるとは言えるだろう。それは「心を入れ替えて」削除したつもりであっても、返って逆に、無意識のうちにそれに歪な形で囚われることになってしまい、害が大きいからである。この意味では、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という格言にある如く、「歴史に学ぶ」必要があろうが、それは戦後の歴史教育というものは「心を入れ替えて」、戦前の歴史を抹消した上で行われているという「歴史に学ぶ」必要があるということである。

といったようなことで、憲法改正に当たっても、明治維新時と昭和の敗戦時における伝統的なリーガル・マインドの否定・断絶というマナー、近代日本における「心を入れ替え」るという誤れるマナーの轍を二度と、いや三度と踏まないために、総上書きによる総入れ替え方式ではなく、修正条項方式による斬新的憲法改正を、ここに提案するものである。



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