(1954年)プロレス初の日本選手権が開催される
今はなき蔵前国技館でのプロレス王者・力道山と柔道王者・木村政彦による世紀の一戦。
試合は力道山の勝利に終わるが、実は、事前の打ち合わせでは引き分けに収める予定だったものを、力道山が一方的に反古し暴走、攻め立てた為そのような結果になったという。
しかも、その舞台裏が公になった為、プロレスは他の格闘技と違い、ある程度のシナリオに基づいて行われる競技であることが一般にも知れ渡ってしまった。
これを境に一般紙は距離を置くようになり、プロレス報道はスポーツ紙に舞台を移し、そのまま現在に至っている。
嫌な言い方だが、「八百長」故に馬鹿にする人がいるが、ではこの一戦後、プロレスが廃れたかというとそんなことはなく隆盛を誇ったことは承知の通り。
力道山も、敗れた木村の名声も、本質的な意味で決して穢れることはなかった。
事実が、人の心の全てを変えるとは限らない。
たとえ本当のことを知っても、人は自らの抱く物語の中で生き続けることもあるというもうひとつの真実をこのエピソードは物語る。