川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

12月22日/ 今日は何の日

2012-12-22 00:15:00 | スポーツ

(1954年)プロレス初の日本選手権が開催される

今はなき蔵前国技館でのプロレス王者・力道山と柔道王者・木村政彦による世紀の一戦。

試合は力道山の勝利に終わるが、実は、事前の打ち合わせでは引き分けに収める予定だったものを、力道山が一方的に反古し暴走、攻め立てた為そのような結果になったという。
しかも、その舞台裏が公になった為、プロレスは他の格闘技と違い、ある程度のシナリオに基づいて行われる競技であることが一般にも知れ渡ってしまった。
これを境に一般紙は距離を置くようになり、プロレス報道はスポーツ紙に舞台を移し、そのまま現在に至っている。

嫌な言い方だが、「八百長」故に馬鹿にする人がいるが、ではこの一戦後、プロレスが廃れたかというとそんなことはなく隆盛を誇ったことは承知の通り。
力道山も、敗れた木村の名声も、本質的な意味で決して穢れることはなかった。
事実が、人の心の全てを変えるとは限らない。
たとえ本当のことを知っても、人は自らの抱く物語の中で生き続けることもあるというもうひとつの真実をこのエピソードは物語る。


12月2日/ 今日は何の日

2012-12-02 00:15:00 | スポーツ

(1944年)沢村栄治戦死

戦前の日本プロ野球界を代表するピッチャー。
その栄誉を称え、巨人は彼の背番号14を永久欠番とし、球界も沢村栄治賞(その年最も活躍したピッチャーを表彰する)を制定した。

最初の徴兵で野球ボールより3倍も重い手榴弾を投げたことで肩を痛めた為、速球派からコントロール主体の技巧派に転換。
引き続き活躍したものの、2度目の徴兵で更に肩を痛めたことで、命綱であるコントロールも失い成績は下降、所属する巨人から解雇され、引退を余儀なくされる。

そして3度目の徴兵時、乗っていた輸送船が台湾沖の東シナ海でアメリカの潜水艦の攻撃を受け撃沈し、他の乗組員と共に死亡。
享年27。
無事に生きていれば、プロ野球の発展に何らかのかたちで貢献したに違いない。
このような悲劇を、決して繰り返してはならない。


11月21日/ 今日は何の日

2012-11-21 00:15:00 | スポーツ

(1978年)巨人江川「空白の一日」事件

当時の野球協約では、ドラフト会議で交渉権を得た球団がその選手と交渉出来るのは、翌年ドラフト会議の前々日までとされ、11月22日に会議を控えたこの21日は、前年指名球団の交渉権が消滅している状態にあった。
また、ドラフト対象選手を「日本の中学・高校・大学に在学している者」から「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」と改定された新条項の適用は22日の会議からとなっていて、当時アメリカ留学中だった江川卓は、21日の時点ではドラフト対象外と解釈することも出来た。

以上、協約の盲点を突いたいわゆる「空白の一日」を利用し、読売巨人がドラフト外選手として江川卓と入団契約を締結したことから、球史に残る騒動が勃発。

セ・リーグ会長はこの契約を認めず、22日のドラフト会議で阪神が江川との交渉権を獲得。
巨人側も反発し、リーグ離脱・新リーグ発足をちらつかせるなど強硬姿勢を見せつつも、コミッショナー裁定に従い、江川との契約を白紙に。
が、翌年1月、小林繁投手とのトレードというかたちで阪神から江川を獲得するに至った。

これら一連の騒動で、以降江川は(巨人共々)常にダーティーなイメージを背負うことになる(これを機に巨人ファンを辞めた人も多いと聞く)。
高校時にすんなり巨人入り出来ていれば、江川もそんな負のイメージを持たれることもなかっただろうし、何より、これはよく言われることだが、実力がピークにあった時期にプロで活躍出来なかった江川も可哀相ではある。

それにしても、読売の唯我独尊な態度は今も昔も変わらないなぁ……。


11月16日/ 今日は何の日

2012-11-16 00:15:00 | スポーツ

(1997年)ジョホールバルの歓喜

サッカー日本代表が、W杯フランス大会・アジア地区第三代表決定戦を、延長戦の末岡野雅行(当時浦和レッズ)のゴールで勝ち、悲願の初出場を決めた。
奮わぬ成績を理由に加茂周監督を予選期間中に更迭、コーチの岡田武史を急遽監督にしての戦いだった。

前回最後の最後に出場への切符を逃しただけに、勝利した瞬間は当然僕も喜んだが、冷静に考えてみると、前回のアジア枠は2、この時は3.5。
初出場の資格を手に入れたとは言え、第三位という位置付けは、実は前と変わっていないことに気付く。
飛躍的に実力が向上したのではなく、ただアジア枠が拡大されたことで命拾いしたに過ぎないのが現実だった。
この点を勘違いした為に、本大会に向け、過度な期待を抱く羽目になってしまった(まさか予選リーグ三戦全敗という無惨な結果に終わろうなどとは考えもしなかった)。

あと、カズが途中交代させられたことでも記憶に残る試合だ。
「俺か?」と自分を指差し、何度もベンチに向かって訊いていたのが印象的。
あの時カズは、心底信じられないという表情を浮かべていた。
しかし、もっと信じられない宣告を本人が受ける瞬間が、もう少し先に待っていた……。


10月29日/ 今日は何の日

2012-10-29 00:15:00 | スポーツ

(1998年)Jリーグ・横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併が発表される

スポンサー企業の業績不振・悪化に伴い、クラブの存続が困難となったフリューゲルスがマリノスに吸収合併されるかたちとなり、消滅。
以降マリノスは横浜F・マリノスと改名された(このFがフリューゲルスを指すことを知らない世代が増えてきたことに時代の流れを感じる)。
突然の合併劇にサポーターは当然の如く猛反発、存続を願う署名が数十万も集まったり、それに奮起した選手達の活躍により合併発表後の天皇杯で優勝するという劇的なドラマも生まれた。
そして、チーム消滅後もフリューゲルス・サポーターの熱意は鎮まることなく、結果、それが横浜FCという新たなチームの発足を導いた。

本題から逸れるが、近年Jリーグはチームを増やし過ぎてるのではないか、と個人的に危惧している。
加盟チームの半数以上が赤字というのは、どう考えても健全な状態とは言えない。
数ばかり多くてもリーグは盛り上がらないし、フリューゲルスのような悲劇が起こらないとも限らない。