川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

3月31日/ 今日は何の日

2012-03-31 00:15:00 | 誕生日

(1980年)坂本真綾誕生日

2000年暮れのある夜、たまたまラジオのダイヤルをNACK5に合わせた。
新曲のタイトルを「どうしてもこれにしたかった」と語る女性の声、そして曲紹介。
「何だか変わったタイトルだな」と思ったのも束の間、流れて来る曲の良さに魅了され、妙に彼女の存在が気になり出し、次の週からその番組を欠かさずチェックするようになり、気付けば、全てのアルバムを買い揃えた自分がいた(笑)。
それが真綾ちゃんとの出会い。
あれから早10年以上の歳月が流れた。
あの頃、通ってる大学が云々と、自身の学園生活について話していた真綾ちゃんも、昨年(2011年)結婚。
今や人妻。

そういった経緯でファンになった為、僕はアーティスト(シンガー)としての真綾ちゃんにのみ興味があり、声優や舞台活動など、その他のことについては全然関心がない。
こういうのを果たしてファンと呼んでいいか、自分でも迷いがあるが、とにかく、新譜のリリースを毎回楽しみにしている次第である。
ちなみに、一番好きなアルバムは、2001年に発売された1stコンセプト・アルバム『イージーリスニング』。

なお、上で記した、僕がファンになるきっかけとなった変わったタイトルの曲とは『マメシバ』。
その輝きは今も色褪せない。


3月30日/ 今日は何の日

2012-03-30 01:00:00 | 事件・事故・災害

(1981年)レーガン米大統領暗殺未遂事件

例えば、ケネディ大統領暗殺のような歴史的暗殺事件の話を聞いても、まだ生まれてなかったこともあり正直ピンと来ないが、オンタイムで接したこのレーガン大統領の件は、子供心にもインパクトがあった。
テレビ映像のリアルさが衝撃的だった。
この時、もしレーガン大統領が命を落としていたら、冷戦終結はどのような経緯を辿っていただろう。



(1995年)國松警察庁長官狙撃事件

オウム真理教のテロで世の中がいまだ騒然としている中で起きた事件。
警察のトップを狙ったことから誰もがオウムの犯行を疑ったが、真相は解明されず、また後に自分が犯人だと名乗り出た老スナイパーもいたが、これも断定には至らず、結局時効を迎えた。
いつか全てが明らかになる日は来るのだろうか。
とにかく、オウム周辺には謎が多過ぎ、且つ、闇が深過ぎる。


3月29日/ 今日は何の日

2012-03-29 19:00:00 | 事件・事故・災害

(1989年)女子高生コンクリート詰め殺人事件が発覚

別の事件で逮捕されていた少年らを取り調べ中、女子高生を殺害・コンクリート詰めにして遺棄していたことが発覚。
これまで我が国で起きた数ある殺人事件の中でも極めて残虐な犯行として、風化することなく今なお記憶されている。
余りの酷さ故、ここで事件の詳細を綴るのは躊躇われるのと、記述そのものが被害者の名誉を傷付ける恐れがある為(実際、一部メディアが行ったなかば興味本意な報道が、当時問題視された)、どうしても知りたいという方は、自己責任で以下のリンク先を参照されたい。

参考記事

あれから20年以上が経った今でも、何故犯人らを極刑にしなかったか、何故少年というだけで罪が軽くなるのか、どうにも納得出来ない。
あれは、更正するようなタイプの人間ではない。
また、そんな機会を与えるべきですらなかったと考える。
事実、出所した犯人の一人は再び監禁到傷事件を起こし、逮捕されている。
反省の欠片もないじゃないか。

あの時、少年というだけで何かと犯人を擁護した連中を、僕は赦せない。
とりわけ、それに与した法曹関係者を見て以来、僕は弁護士だの判事だの、そして死刑を求刑すらしなかった検察という存在を、本質的な次元で信用しなくなった。


3月28日/ 今日は何の日

2012-03-28 00:15:00 | 事件・事故・災害

(1979年)スリーマイル島原子力発電所事故

米・ペンシルベニア州スリーマイル島にある原子力発電所で起きた原子炉冷却材喪失事故。
チェルノブイリ・レベルではなかったものの、深刻な影響をもたらした事故であり、原発関連の事故が語られる際、今でも代表例として取り上げられる。
日本の反原発運動を高める契機ともなったが、それでもまだ多くの日本人は「対岸の火事」的な印象で捉えていたように思う。
つい最近までは。

東日本大震災の余波と呼ぶには大き過ぎる福島第一原発の、今なお危機的に進行していると思われる事故が、このスリーマイル島の事故を、真の意味で我々日本人に身近な問題ならしめた。
出来れば、こういうこととは縁遠い関係でいたかったが……。


3月27日/ 今日は何の日

2012-03-27 00:15:00 | 誕生日

(1941年)小林克也誕生日

1985年大晦日、千倉真理と共に司会進行を務めたAMラジオの特番を夜更かしして聴いたのが、克也さんとの出会い。
それ以前も、テレビの『ベストヒットUSA』等で活躍しているのは知っていたが、好んで担当番組を観たり聴いたりする機会は持たなかった。
しかし、上記の特番以降はブランクなく、つまり最も長く聴き続けているDJである(現在一般的な「パーソナリティー」という名称は、克也さんには使いたくない)。
とにかく飽きない。
どんな番組も外れがないので、安心して聴いていられる。
そして洋楽に関する、単なる知識・情報にとどまらない〈世界観〉は、克也さんから相当影響を受けたと実感する。

そんな克也さんも70代。
喋りの雰囲気や、決して流暢ではないけれど(失礼)つい耳を傾けてしまうあの独特のリズムのトークは、昔とちっとも変わらないので、全然歳をとったようには感じられない。
どうか体に気をつけて、末長く活躍していただきたい。
克也さんの喋りが聴けなくなったらラジオはつまらなくなるし、僕自身、ラジオを聴く時間が確実に減ると思う。