11月30日/ 今日は何の日 2012-11-30 00:15:00 | 誕生日 (1874年)ルーシー・モード・モンゴメリ誕生日 カナダを代表する女性作家。 自らの生まれ育った環境、ならびに体験の数々を色濃く反映させた「アン」や「エミリー」等、今なお世界中の読者を魅了して止まない個性豊かな主人公を世に送り出してくれたことに心より感謝。 個人的には『赤毛のアン』の物語が大好きで、それを軸に、命日にモンゴメリについては綴っているので、そちらを改めて参照下さい。 過去記事(「4月24日/今日は何の日)
11月29日/ 今日は何の日 2012-11-29 00:15:00 | 忌日 (2001年)ジョージ・ハリスン死去 2大巨頭(レノン&マッカートニー)の存在が圧倒的だった故に、ビートルズの中では第3の男という形容に象徴されるように、相対的に目立たない立場だったが、好きなビートルズ・ナンバーBEST10を選ぶなら『タックスマン』『ロング・ロング・ロング』『ヒア・カムズ・ザ・サン』の3曲を絶対外さないくらい、個人的には一番惹かれるメンバーだ。 ビートルズ解散後、4人の中で最初にソロでナンバーワン・ヒットを放ったのは、面目躍如といったところか。 1991年に(いろんな意味で?)大親友のエリック・クラプトンと共に日本ツアーを敢行したが、自分がメインのツアーであるにも関わらず、クラプトンの方に注目が集まってたのは、彼らしくて何とも微笑ましかった。 58歳という若さでこの世を去ったことを心から惜しむ。
11月28日/ 今日は何の日 2012-11-28 00:15:00 | 誕生日 (1967年)原田知世誕生日 1983年公開の角川映画『時をかける少女』は、インパクト大な一作だった。 よく言われるのがこんな話。 薬師丸ひろ子・松田優作主演の『探偵物語』目当てに映画館へ足を運んだものの、劇場から出て来る頃には皆すっかり知世ファンになっていた……。 大学受験を終えた薬師丸の復帰作で、しかも松田優作という大物との共演。 公開前から大変話題になっていた『探偵物語』は期待通りの出来で、大ヒットも記録したが、同時上映された『時をかける少女』の主役・原田知世は、その時点ではデビュー間もない、まだ無名の新人に過ぎなかった。 しかし、この映画での演技に観客はすっかり魅了され、彼女はまたたく間にスターダムにのしあがることになる。 その後の活躍は衆知の通り。 出演する映画やドラマは全てヒットを記録。 加えて、彼女は歌手としても成功を収め、息の長いシンガーとして今も活動を続けている。 女優・歌手共に、時代背景もあり、はじめの頃はアイドル扱いされていたが、上手い具合に軌道修正させ、そのどちらもが脱アイドル路線を成功させた、実は極めて稀な存在だったりする。 (1972年)松雪泰子誕生日 今やベテラン女優の一人となっているが、スタートはモデルから。 雑誌『メンズノンノ』が主催した「第1回メンズノンノ・ガールフレンド・コンテスト」でグランプリに輝いたのがきっかけ。 その当時、僕は同誌を購読していたので、このコンテストのことは憶えている。 書類審査を通過した20名(30名だったかな?)が全身写真と共に誌上公開され、最後は読者による葉書投票で決まるという仕組みだった。 で、1位に選ばれたのが彼女。 正直に言うと、結果が発表された時、「あれ、こんな人いたっけ?」と首を捻り、バックナンバーを確かめたのを思い出す。 ノミネート写真は、僕の目には取り立てて特徴的に映らず、ぼんやりとした印象で、とても優勝するようには思えなかったのだ(失礼)。 つくづく自分は見る目がないな、と感じたものである。 少なくとも、この手の審査員には向いてないな、と(笑)。 あの時彼女の魅力を見抜き、票を投じた人達、凄いなぁ。 ところで、初期メンズノンノに登場していた人で、今も芸能界で活躍している者は少なくない。 松雪泰子もそうだが、他には阿部寛、風間トオル、大沢たかお、田辺誠一など。
11月27日/ 今日は何の日 2012-11-27 00:15:00 | 誕生日 (1957年)佐山聡誕生日 幼い頃、プロレスには全く関心がなかった。 何となく野蛮な気がして、好きにはなれなかった。 知ってるレスラーも猪木・馬場、後はブッチャーぐらいで、皆「名前は聞いたことがある」ぐらいの認識に過ぎなかった。 転機が訪れたのは1981(昭和56)年。 マスクを被った凄いレスラーがいる、との評判を耳にし、普段なら聞き流していただろうに、何故かその時に限っては、一度見てみたいという衝動に駆られ、そのレスラーが登場するというテレ朝の新日本プロレスの中継に初めてチャンネルを合わせた。 そこで目撃した話題のレスラーの戦いぶりに、それまでのプロレスに対する概念を覆す程の衝撃を、僕は受けることになる。 そのレスラーこそが初代タイガーマスク、即ち佐山聡だ。 力よりも技、それも信じられないような空中殺法を次々と繰り出すタイガーのレスリング・スタイルに、一夜にして魅了されてしまったのである。 当時、新日の中継は金曜の夜8時に放送されていたが、それまでその時間は裏の『2年B組仙八先生』(TBS)を観ていたものの、その夜を境にテレ朝へ完全シフト。 以降、毎週欠かさず新日を観るのが習慣になった。 そして、そこからの卒業もまた、突然だった。 ある週から急にタイガーの姿が画面から消えたのだ。 新日を辞めたことをその後知り、詳しい事情を把握するが、それまではまだ子供だったので何が何だか分からず、そうこうするうちにタイガーへの、更にはプロレスそのものへの熱意が薄れ、いつしかテレビ中継を観なくなっていた。 ある意味、僕の中で時間が止まったままになってるとも言えよう 今でも僕にとっては、プロレスと言えばタイガーマスク、新日黄金期に鮮烈に現れ、突如去っていった初代タイガーその人を指す。 余談だが、随分経ってから、佐山氏が自分と同じ郷里出身だと知り驚いたのを思い出す。 あの驚きは、松田優作の時と一緒(優作の場合、生前はプライベートなことには全然興味がなくて、亡くなった時に初めて自分と同じ県・同じ市出身だと知ったのだが)。
11月26日/ 今日は何の日 2012-11-26 00:15:00 | その他 (1941年)アメリカがハル・ノートを提示 太平洋戦争直前の日米交渉に於いて、日本側の妥協案を拒否するかたちで提示された米側の要求文書。 日本が日露戦争以降手にした領土・権益・軍事同盟の一切を直ちに放棄することを求める内容で、日本側はこれを事実上の最後通牒と見なし、妥協策に傾いていたそれまでの流れが、軍部を中心とする強硬策に一気に傾き、開戦が決まる。 日本の運命を決定づけた文書である。 後の研究で、米側の事実認識に一部誤解があったり、日本の外務省が文書に(開戦を促すように解釈される刺激的な)文言を加えていたこと等も判明するが、仮に日本がこれを受け入れていたとしても、日米開戦は避けられなかったと僕は考える。 米国としては膨張する日本の脅威そのものを認めていなかった訳で、要求はそれにとどまらず更にエスカレートしていただろうし、日本側の反発も当然拡大の一途を辿っただろう。 剥き出しの欲望が両国(を含む世界全体)に渦巻いていたあの時代、そして、戦争が今以上に打開の為の有効手段と考えられていた以上、一戦を交える他なかったという結論に達しざるを得ない。 良し悪しは別にして。