(1986年)杉原千畝死去
「東洋のシンドラー」とも称される人物。
ナチスドイツに迫害を受けていたユダヤ人に対しビザを発給した勇気ある外交官。
自らの信念に従い、外務省の命令に背いても救ったユダヤ人の数はおよそ6000人と言われる。
今でこそその名は知られているが、亡くなった当時、訃報を大きく取り上げた日本のメディアは余りなかったと記憶する。
彼が脚光を浴びたのは90年代に入ってから。
表向き外務省は彼の業績を称えているが、帰国後辞職に追い込まれてることや、戦後長らく諸外国からの問い合わせに対しそっけない態度を取り続けたことから判断して、その評価は批判を恐れての後付けと推測される。
責められて然るべき対応だが、外務省の姿は、杉原に対し長らく無知であった大多数の日本人を映し出す鏡でもある。