川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

1月31日/ 今日は何の日

2012-01-31 19:00:00 | 忌日

(1987年)渡辺晋死去

渡辺プロダクション(通称ナベプロ)創業者。
'70年代までのナベプロは、今のジャニーズを遥かに上回る権勢を誇った芸能事務所だった。
'80年代に入り、その勢いに陰りが見え出すが、今でも芸能界に於いて有力な存在であることには変わりない。

それまで極めて不安定な立場にあったタレントの為に、一般のサラリーマンのように給料制を導入し、収入の安定化と社会的地位向上に貢献したが、これは諸刃の剣でもあった。
当初はタレント本人にも歓迎されたが、こなす仕事の量に見合う収入を得られていないのではないかという疑念を、特に人気のあるタレント程抱く傾向を生み出し、最悪の場合、稼ぎ頭のトップスターが独立を図る事態がしばしば起こることにも繋がった(ナベプロに限らず、今日でも同様のケースが多々見られる)。

また、原盤権に着目した点も見逃せない。
音楽ビジネスに於ける絶対的収入源をおさえることで、事務所の経営スタイルを確立させた人物でもある。
今ある芸能事務所は皆、渡辺晋時代のナベプロに多かれ少なかれ影響を受けていると言っても過言ではない。



さて、渡辺晋並びにナベプロと言えば、ファンとして、やはりキャンディーズのことが真っ先に頭に浮かぶ。

元々、デビューから3年経ったら活動に終止符を打とうとメンバーは決めていたそうで、結局この時は説得され、あと1年延長することとなったが、約束の4年目の終わりが近付いても一向に事務所側にそれらしき気配は見られず、業を煮やした三人は1977年6月23日(契約更新の回答期限は同年6月30日)に社長に直談判に及ぶ。
彼女達の固い意思を知り、解散自体は了承されたものの、具体的な日程等は決まらず、その後、松下治夫氏(同社企画部長)を通じての数回に渡る話し合いも平行線を辿る(渡辺氏としては、そのうち翻意出来るかも、ぐらいに考えていたのかも)。
このままずるずる進めば、解散了承の件はなかったことにされるかも知れない、……そう考えたかどうかは本人達のみ知ることだが、メンバー三人は事ここに及び、遂に実力行使に打って出る。
それが、「普通の女の子に戻りたい」というセリフで有名な、日比谷野音での解散宣言だ。
ここから今に語られる、社会現象にまで拡大したキャンディーズの解散劇が始まった。

この一連の動きを、渡辺氏はどのように感じていただろう。

1月30日/ 今日は何の日

2012-01-30 00:15:00 | その他

(1987年)漫画家・藤子不二雄がコンビを解消

藤本弘と安孫子素雄による人気漫画家コンビ「藤子不二雄」が、この日コンビ解消を発表。
藤子不二雄が二人体制・共同ペンネームだということは早い段階(小学校低学年)で知っていたが、共著は『オバケのQ太郎』の他それ程多くなく、有名どころは大抵単独作品なことは随分遅れてから知った。
参考までに、主だったものを挙げると……



藤本弘作品(解消後は藤子・F・不二雄を名乗る)

『ドラえもん』
『パーマン』
『キテレツ大百科』



安孫子素雄作品(解消後は藤子不二雄Aを名乗る)

『怪物くん』
『忍者ハットリくん』
『笑ゥせぇるすまん』



よくある仲違いという訳でなく、方向性の違いが顕著になってきたことが、別々の道を歩み始めた理由らしい。
確かに『笑ゥ…』の作風は、藤本氏からは想像出来ない。
安孫子氏の個性が発揮された作品だ。
コンビ解消と聞くと、ついマイナスなイメージを抱きがちだが、この二人の場合は、珍しく発展性のあるものだったと言える。

あと、藤本氏にはもっと長生きしてもらいたかった(享年62)。
先日ここで取り上げた石ノ森章太郎氏同様、激務が寿命を縮めたか?

1月29日/ 今日は何の日

2012-01-29 21:00:00 | 誕生日

(1962年)岡村孝子誕生日

中学から高校にかけて夢中になった二つのバンド・オフコースとチューリップが同時期に解散し、心にぽっかり穴が開いてしまった1989(平成元)年の初夏。
そこから始まる数年間、解散に伴う心の傷を癒してくれたのが岡村孝子さん。
僕にとって忘れられないアーティストだ。

その時点での新譜ではなく、前年にリリースされたひとつ前のアルバム『SOLEIL』を偶然CDショップで手にしたのがきっかけ。
ラジオ等で曲は聴いてて、存在は知っていたが、それまで特に惹かれることもなかったのに、何故その時に限って買おうと思ったのか、何故新譜でなく旧譜を選んだのか、具体的な理由は、自分のことなのに今もって分からず。
あれは、恰も導かれたような行動だった。

小田さんや財津さんをはじめ、元メンバーのソロによる活躍が目立つにつれ、ファンになった経緯上、彼女の作品から徐々に離れていき、結局卒業するかたちとなったが、だからと言ってあの頃の輝きが色褪せることはない。
曲を耳にすれば一瞬にしてあの時代に戻り、優しい気持ちになれる。

近年はソロと平行して「あみん」名義でのリリースやライブ活動も行っている。
ある時期まで、「あみん」の件は意識的に触れないようにしている雰囲気もあったが、今は全くそんなことはない。
ソロ作品同様、あみんの曲も好きな自分としては、この変化は大いに歓迎したい。


1月28日/ 今日は何の日

2012-01-28 00:15:00 | 忌日

(1998年)石ノ森章太郎死去

コミックや雑誌掲載の漫画は一切読んだことがなく、テレビ放映の作品でその名に親しんだ。
なので、自分が小学生だった頃までの「石森章太郎」という呼称の方が今でもしっくりくる(改名した時期には、既に僕は氏の原作物からは遠ざかっていた)。
熱烈なファンの方から見れば、僕のようなタイプは邪道に映るかも知れないが、事実だから仕方がない。

さて、あの頃好きだった作品を挙げてみると……



『仮面ライダー』シリーズ(昭和の、ストロンガー時代まで限定)

『秘密戦隊ゴレンジャー』

『がんばれ!!ロボコン』

『人造人間キカイダー』

『キカイダー01』

『サイボーグ009』(1979年制作アニメ編)

『レッドビッキーズ』シリーズ



他にも沢山観た筈だが、今ぱっと思い出せるのはこれくらい。
我ながら世代が判るラインナップだ(笑)。
それにしても名作揃いだなぁ……。

亡くなった時、石ノ森氏はまだ60歳。
早過ぎる旅立ちだった。

1月27日/ 今日は何の日

2012-01-27 00:15:00 | 忌日

(1993年)アンドレ・ザ・ジャイアント死去

223cmの巨体レスラー。
しかし、ビッグサイズのレスラーにありがちなモーションの鈍さはなく、俊敏な動きで技を繰り出していたのが印象的(体調の悪くなっていた晩年は別だが)。

当時テレビ朝日のアナウンサーで、新日本プロレス中継の実況を務めていた古舘伊知郎(放送ではアンドレのことを「人間山脈」などと呼んでいた)が、その昔、何かのトーク番組で語っていたエピソード。
まだ玉をひとつずつ手動で打っていた時代のパチンコに、ある時彼を連れて行ったそうで、人一倍太い指であの小さな銀玉をつまみ、彼の前では子供の玩具のようにさえ映る小さなレバーを器用に弾き、入玉してチューリップが開くと、クシャクシャに顔を崩して喜び、無邪気に遊んでいたという。
リングの上での獰猛なイメージはそこにはない。
メディアの前では決して見せなかった素顔のアンドレを、垣間見る思いがした。

それにしても、プロレスラーはどうしてこうも短命なのか。
アンドレも、亡くなった時はまだ46歳だった。
肉体の酷使に加え、彼の場合、酒の飲み過ぎが寿命を縮めたと言われている。