NHK仙台制作。11日放映。考えさせられたドキュメント。
看護師などスタッフは逃げてもよかったのではとラスト感じた。
雄勝町は地震で知っている。陸の孤島のような病院立地。
この病院のニュースは初めてか?石巻市、昔4千人の町、地震の前は千人。
病室から海、夏は花火も見える。入院してもいごごちが良いと言う。
40名の患者と24名の医師、看護師など64名が津波で亡くなった。
3階建て、町で唯一の病院。海がすぐ。外にでれば裏が高台。
そこへ逃げ助かった近くの方もいる。
跡地は整備され石碑、墓碑銘がある。亡くなった一人一人の年齢がある。
患者、最高齢は95歳、90代数人。80代も多い。
病院職員は20代も。ツナミ、女川に来た!すぐにここへくる。
シーツで寝たきり患者をくるみ、4人で3階へ運ぶ。46分後、水は3階まできた。
ツナミに巻かれたが、ボートに乗れ、木につかまり、ヘリで助かった方もいた。
54年創業の病院。療養型になり高齢者を受け入れていた。
患者は寝たきりが多く皆で運んだ、それでもダメだった。
命は若い人が優先と私は考える。歩ける患者は助かった。
20~60代の医師たち、スタッフ24名が他界。院長、副院長も亡くなった。
優先度、治療のトリアージと同じように、救助トリアージは無理だったか?
まさかこれほどの津波が・・見捨てられない・・
50代の看護師、娘の結婚も決まっていたが、亡くなった。娘も看護師に、
子供ができ、津波が来たら逃げるよう教えている。母は責任感が強かった。
仕方がないが、逃げれば助かったはず。涙ながらに語る。
仙台に妻を残し単身の男性50代、技師、患者に手を貸し亡くなったと思う。
妻はここにいれば助かったのにと語る。
非番でも病院へ助けに行き亡くなった看護師。
勤務が2時まででギリギリ助かった看護師。当日の勤務でも生死が違った。
狭い町なので、何もせず逃げたとわかると、かげで噂も出そうな気がする。
町の人は地震後、病院の犠牲者、対応などの話はさけてきたようだ。
病院がどうなったかは不明。逃げれば若い命は助かった。無念の遺族も多いだろう。
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