カドカワの編集者、山田氏の日記。「一サラリーマンの日乗」
西村賢太のマネ、日乗日記。22年1月、彼が敬愛した藤澤清造命日、
西村は七尾にいて、山田へ電話がきた。1時間話す。
2月4日。西村から、また電話、石原慎太郎の追悼を書いたので読んでほしい。
珍しい。23時、打ち合わせ帰りの電車で、西村が危篤と電話。
東十条の病院へかけつける。他の編集者も数人来ている。
西村と親しい古書店のA氏もきた。
赤羽からのタクシーで意識を失い病院へ、一度心停止後、蘇生、回復しても
ほぼ脳死状態になると。小康状態となり帰宅する。
6時A氏より、亡くなったと電話。遺族が見つからない。3人で遺体見分に立ち会う。
リュックからケンタッキー・フライド・チキンが出てきた。密かに好きだったのか?
遺体の顔は安らかだった。マスコミからの連絡もあり、午後情報を解禁した。
14日、編集者有志で遺品整理。彼の写真で部屋は綺麗だと思っていたが、
乱雑で驚く。本などを選別。芥川賞の盾などが紙袋にあり捨てそうになる。
藤澤清造の本はきちんと特別な棚にあった。
3月16日、お別れ会の打ち合わせ。7月11日、
藤澤清造が凍死した芝に近いホテルに決定。
7月11日Hメルパルク東京で13時から、多くのファンが献花にきてくださる。
15時から関係者のお別れ会、本の雑誌社の方が司会。
発起人は島田雅彦、田中しんや、などに。
17時、過去最多人数の会、西村の思い出を語る。
〇遺族、姉などは後にわかり、七尾への納骨なども無事に終わった。
若き急逝、彼らしい死と感じる。ゆったりしてください。
家族が好きで、私も日記を楽しくよんだ。もう彼のような作家はでないと思う。
本の雑誌から、西村の「誰もいない文学館」が発刊中。偏愛書録。
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