坂東三十三観音霊場第33番札所(結願)の寺として、補陀洛山那古寺は有名だけに、この大福寺の名は余り知られていない。
那古寺には、国の重要文化財に指定されている千手観音立像があり、一方の大福寺には「崖の観音」として、地元では有名な懸崖造りの観音堂が背後の山の崖面中段にある。
いずれの寺も、真言宗智山派で、717年(養老元年)行基によって開かれたと伝えられている。
大福寺観音堂の下段横には神仏混淆の名残をとどめる諏訪神社もあり、山には隧道を穿ったり、滝打修行場だったのではないかという形状の場所もあり、やぐら状の洞穴も寺だけでなく町内のいたる所に認められことから、大福寺のある山一帯は修行道場ではなかったのかと、素人ながら考える。
観音堂の本尊とされているのは、崖に彫った磨崖仏・石の厨子に納まった十一面観音立像で、舟型の光背を持ち、漁業で栄えた船形村の漁民の海上安全と豊漁を祈願してつくられたものと伝わる。
のぞいてみると、確かに磨崖の観音様が見えるのだが微妙に右上の方に寄っていて、下から見てもお顔が見えない。きっとこれは観音堂自体が地震か何かで左下に移動したのではないか、それで建物を支える鉄柱やコンクリートが補強されたのではないかと推測される。
小さい頃から金谷港から日東バスに乗って那古船形を通過するたび、この崖の観音堂を見上げていた。
成人して寺社に興味を持つ頃には、てっきり那古観音はこのお堂をいうものだと勝手に解釈していた。その誤りを今回知ることができた。
観音堂からは、那古船形港を手前に、鏡ヶ浦を一望することが出来る。残念ながら、位置的な関係で、伊豆大島や富士山は見えない。
那古寺には、国の重要文化財に指定されている千手観音立像があり、一方の大福寺には「崖の観音」として、地元では有名な懸崖造りの観音堂が背後の山の崖面中段にある。
いずれの寺も、真言宗智山派で、717年(養老元年)行基によって開かれたと伝えられている。
大福寺観音堂の下段横には神仏混淆の名残をとどめる諏訪神社もあり、山には隧道を穿ったり、滝打修行場だったのではないかという形状の場所もあり、やぐら状の洞穴も寺だけでなく町内のいたる所に認められことから、大福寺のある山一帯は修行道場ではなかったのかと、素人ながら考える。
観音堂の本尊とされているのは、崖に彫った磨崖仏・石の厨子に納まった十一面観音立像で、舟型の光背を持ち、漁業で栄えた船形村の漁民の海上安全と豊漁を祈願してつくられたものと伝わる。
のぞいてみると、確かに磨崖の観音様が見えるのだが微妙に右上の方に寄っていて、下から見てもお顔が見えない。きっとこれは観音堂自体が地震か何かで左下に移動したのではないか、それで建物を支える鉄柱やコンクリートが補強されたのではないかと推測される。
小さい頃から金谷港から日東バスに乗って那古船形を通過するたび、この崖の観音堂を見上げていた。
成人して寺社に興味を持つ頃には、てっきり那古観音はこのお堂をいうものだと勝手に解釈していた。その誤りを今回知ることができた。
観音堂からは、那古船形港を手前に、鏡ヶ浦を一望することが出来る。残念ながら、位置的な関係で、伊豆大島や富士山は見えない。
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