餃子が当たり前のようにメニューに載るようになったのはいつごろなのだろう?
横須賀に生まれ育って、中学からの友人の家に遊びに通い、高校生になってアルバイトで稼いだお金で外食できるようになったとき(昭和45年ごろ)、その友人の家の近くにあったタンメンが人気の店で餃子を食べたのが最初だった気がする。
たいがいは「ぎょうざ」または「ギョーザ」と書かれているのが常で、その店はメニューが「湯麵」と「餃子」しかなく、漢字で表記していたから、初めて入店したお客さんが「ユメン・サメコってどんな料理?」と聞くのが愉快だった。
さて、噂には聞いていた「餃子の王将」には、なかなか行ったことがなかった。
美味い、という人もいれば、高い、という人もいて、一度は入ってみたいと思っていた。
何度か店の前まで行ったことがあるけれど、行列ができていたり、満席だったりして、とんと縁がなかった。
いろいろな餃子があるんだろうな?と思いながら、メニューを見ると、餃子らしきものが見当たらず、セットメニューばかりの中華料理店だと合点がいった。
それでも、こだわって「餃子定食」720円(見出し写真)を頼んだ。
餃子が12個で2人前ついている。
野毛・万里の餃子をさんざん食べた私にとって、王将の餃子は、どうといった特徴がなかった。
食べているとあることに気がついた。
「これって家でときどき出てくる夕食の餃子の味に似ている」
家に帰って調べてみると、大阪王将の冷凍餃子だった。
(店内)
(外観)
それにしても、餃子の王将・社長射殺事件は、どうなったのだろう?
射殺されて間もなく新経営陣を記者発表した手順の良さがあまりに印象的な事件の後始末だった。
どこの組織もそうですが、指揮官が変わると、流れが変わるものです。
ベネッセの情報流失事件で注目された某会長は、マクドナルドを立て直した人で有名ですが、期限切れ肉事件のニュースが流れてみると、どちらもコストダウンの副作用が命取りになりかねないことを物語っているようです。
新杉田は撤退するし、
なんだか気勢をそがれた感じ。
社長の事件はどうなったんでしょうかね。