散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

つるみ散歩③

2023年10月31日 | ☆横浜じゃん

学校で習った京浜工業地帯の「京浜」は、東京と横浜を足して2で割った短縮名称です。
戦前戦後にわたり、鶴見地区は活況を呈していました。
その象徴が、JR鶴見線、特に「国道駅」でしょう。
駅前を走る道路は、今は国道15号線となってしまいましたが、そのむかしは国道1号線で、その証拠に近くにあるバイク販売店は「一国」です。

さて、よくロケに使われる国道駅は、昭和レトロといってもよく、駅構内に入る高架下通路は自販機がなければ看板などは時間が止まったままです。

通路入り口の壁には、第二次大戦中にあった米軍機の機銃掃射の痕跡が残されているといわれています。

ただ、ちょっと見、弱弱しい弾痕なので、当時の艦載機の機銃は何ミリだったんでしょう?
この通路を抜けると生麦の魚河岸通り(旧東海道)に出ます。
回転寿司が台頭する前の、祝い事でもなければ寿司屋で寿司を頼まなかった時代、横浜市内のお寿司屋さんはみな、ここ生麦に寿司ネタを買いに来ました。
当時は、70余軒、新鮮な貝類をはじめ、タコ、アナゴなど専門店が並んでいました。
通りから一歩横丁に入れば、そこここで貝剥きをしている人(貝剥き屋)を見かけました。
そのお蔭で、裏手の鶴見川沿いは貝殻だらけで、どこまでが地面なのか、貝殻なのかわかりません。
地形図と見比べると、とんでもない面積で貝殻の埋立地ができあがっていました。

今はきれいに整備されてわかりませんが、家のギリギリにある大きな河川境界杭がそれを物語っています。
旧東海道を歩いて行くと、日本の幕末・明治維新へのきっかけとなった重大事件の一つ「生麦事件」の案内板がひっそりと立っています。

船の故障で出船が延期されたために、川崎大師へピクニックに行こうと軽い気持ちで馬に乗り出かけた英国人リチャードソン一行4人が、幕政改革を建議して良い返事を得られず帰国の途に就いた薩摩藩主の父・島津久光の行列に遭遇し、騎乗のまま行列を見過ごそうとしたことから警護の藩士に切りつけられた場所です。
3人は深手を負い、リチャードソンは事件碑の立つキリンビール工場近くで落馬し、命を落としました。

説明すると長くなるので、鶴見区のホームページ(ここをクリック!)を参考にしてください。
キリンビール工場に到着。

今は有料となった工場見学も、予約でいっぱいでした。
京急線・生麦駅に引き返し、駅前の鰻の寝床のようなサイゼリヤでランチ。

今回は、ディアボラ風ハンバーグ に小ライスを付けて 600円。

本当にリーズナブルな値段で美味しいです。
*****
ところで、11月4日・5日に「ウチナー祭(ここをクリック!)」があります。
つるみ散歩④は、その話にしようかな。


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