散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

七サバめぐり 10/12【石川佐波大明神】

2020年09月27日 | ☆神奈川県(ハマ以外)

このサバ神社は、引地川水系の丘の上にあります。
祭神 源義朝
藤沢市社寺建築物調査報告書2<神社編>には、こう記載されています。
慶長16(1611)年頃にこの地で勢力があった石川六人衆によって勧請されたと伝わる。はじめは、祭神の源義朝にちなみ左馬頭神社、次に鯖明神社と称したが、水害にあった時、佐波神社と改めた。現在の扁額には「佐波大明神」とある。天明7(1787)年の棟札がある。平成9(1997)年に改築された。
石川六人衆とは入内嶋、西山、田代、伊澤、佐川、市川氏のことのようですが、平成の改築にあたり、奉賛した人の名を刻した石碑には、200万円以上に限って確認してみると、安藤4、伊澤5、伊出1、岡本1、鈴木1、角田2、中田1、藤方2、丸山1(五十音順)で、唯一、伊澤一族が氏子として命脈を保っているようです。すごいことですよね。
さて、この神社の管理元は、寒川比古命と英雄・源義経を祀る藤沢の白旗神社となっています。
なので、神紋は「ささりんどう」です。
ちなみに、丘を下りて、引地川を渡ったところに、神社と同じ年に創建された石川山自性院という浄土宗のお寺があるので、もとはこのお寺が別当寺を兼ねていたのではと調べました。
石河山竜見寺(元藤沢常光寺末)自性院
慶長16年、地頭中根臨太郎の起立したものと伝え、開山は宗誉竜見。三祖良忠の頃、当地に法然の門下であった石河禅門渋谷七郎入道道遍があり、良忠が下総から禅門をたずね宗要を問うた(中略)もとは引地川を隔てた丘上の、北原字堂庭にあったという(後略)『浄土宗神奈川教区寺院誌』から
もう少し西寄りの遠藤に「北原公園」という公園があるので、その辺りだとすると余り関連はなさそうかな?

引地川の氾濫で佐波神社に改名したのも、石川という地名が物語っているようです。

引地川唯一のサバ神社からは藤沢街道(江の島道)の通る尾根筋までの一帯が望めます。

神社前の参道や、その周辺もうっそうとした古木で覆われていたようですが、よからぬ都市伝説のような話があったためか、木々は整理されてしまい、厚木飛行場へ向かう飛行機がやたらまぶしく感じます。


疫病(新型コロナウィルス)の無事な収束を願って、七サバ参りならぬ、十二サバ参りの十社めサバ神社。
なお、この十二サバ参りは、3月初めに集中的に参拝したものです。
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サバ神社の謎を調べていると、いろいろな説があって、鯖「大明神」として祀られるのは、鯖に薬効があることからとか、川を遡上する鮭を海の鯖が来ているものと考えたことからなど、定説はないものの、結構断定的に述べている文章を見つけるたびに「へぇ~~」と関心しています。
また、藤沢市は江の島や遊行寺など歴史的な場所や話題が多いためか、研究や発表が多く、藤沢図書館の地域資料室で調べているときりがありません。
関東大震災と空襲で公的資料がほとんど灰燼となり、某市長が閲覧頻度の少ない図書は廃棄対象とした時期があったために、極端に郷土資料の少ない横浜市では、逆に検索ワードで調べられるよう努力している司書の方には頭が下がります。
ただし、ほとんどが野毛の中央図書館の持出し「禁」図書なので、瀬谷から通うのは、ちょっとツライですね。


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