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「橋戸の雨乞い」という民話をテーマにウォーキングです。
瀬谷区の埋もれた歴史を探る講座と現地歩き(全3回)の3回目・最終回、
つまり「現地歩き」です。
2回目は諸事情で欠席したため、このテーマの詳細はわかりません。
1回目の講座はここをクリック!
橋戸の雨乞いは、
境川の「回向橋」が謎解きのキーワードのようです。
瀬谷区の民話(ここをクリック!)
スタートは、相鉄線瀬谷駅北口前広場。
鎌倉時代・上の道とされるルート沿いの地図を示して、
簡単な説明の後、出発です。
今日の空は、ひっきりなしに旅客機らしきものが、
厚木飛行場をベースに飛行訓練をしています。
大きな胴体だけに低空飛行のように見えます。
平昌冬季オリンピックで米国の要人が行き交うからなのかもしれません。
海軍道路を横切り、川口製糸場跡、日枝社、本郷公園、大門川を過ぎると、
境川にやって来ました。
豊臣秀吉が行った「太閤検地」により、この川を武蔵と相模の国境と定めたことで、
「境川」の名が付いたとのことです。
境川は2級河川で、神奈川県が管理しており、
大門から対岸の大和市深見に渡る橋「入村橋」は大和市管理です。
そのためか「いりむらばし」と表記があります。
横浜市では「〇〇橋」は「ばし」ではなく「はし」と表記統一しています。
「入村」は、どちらから名付けたものなのでしょう?
それはともかく、ここに回向橋があったとのことです。
相鉄線の手前で直角に蛇行しています。
この下流では、やはり新幹線のところで大きな蛇行が見られます。
これは、鉄道を止めずに河川改修することの難しさを意味しているようです。
ここには、大門ポンプ場があって、
境川が増水した時に、逆流しないよう大門川の水門(下写真左)を閉じ、
せき止めた大門川の水を強制的にポンプで排出する仕組みになっていました。
昔の地図と見比べると、この蛇行は当時と同じということで、
必然的に蛇行部分には、広い河原と深い淵があるので、
このあたりが雨乞いの場所ではないかと推測されるとのことです。
ポンプ場側から相鉄線大和方面を見ると、土嚢が積んでありました。
最近の異常気象・ゲリラ豪雨となると護岸も防ぎきれないということでしょうか?
神奈川農産工業、宝蔵寺、西福寺、左馬神社へと進み、
北新のタウンハウス開発造成の際に発掘された「古宮遺跡」を経て、
宗川寺がゴールです。
瀬谷区のまち歩きをするのに、便利な地図があります。
1つは「区民生活・防災マップ」、
もう1つは「瀬谷ふるさと歴史さんぽ道」です。
今なら、いずれも瀬谷区役所で手にすることができます。
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宗川寺で現地解散でしたが、瀬谷駅まで戻ったので、
「カスタード(ここをクリック!)」に立ち寄りました。
苺のダブルベリーショート(下写真上)などを買いました。
前回と同様、背の高いケーキは、無理矢理といった感じです。
窮屈そうですね。
買ったお客さんももちろん、作った職人さんもこれは驚くに違いありません。
一緒に買った「スノーマン」は、元気いっぱいでした。
橋に「はし」とよみがなをふるのと同じに、
川は「がわ」ではなく「かわ」と教えられたものです。
地名も昔は濁音でも清音でも意味が変わらない場合、
清音でよみがなを付けるとか、
偶数が陽、奇数が陰なので、
漢字2字または4字で、
佳字、美字、吉字をあてて名付けるとも。
時代により、書き手により、
表記が違っているのもやむを得ません。
この乱れが世の乱れを意味するそうで、
どこかが濁っているのかなぁ?