今日1月20日は、暦では「大寒」です。
こどものころ、「じじい!」と呼んで、憎まれ口をたたいたものですが、
メタ坊もそろそろその領域に踏み込んできたと自覚することの多い今日このごろ。
これを節目に年金生活に入ろうと覚悟を決め、
その第一歩として、歴史講座へ聴講に行きました。
「瀬谷区の埋もれた歴史を探る」というテーマで、
地方メディアのタウンニュース瀬谷区版にコラム連載したことから、
連続講座を開き、第七回目だそうです。
「横浜・瀬谷地図くらぶ」も、平成10年に南瀬谷小学校コミュニティスクールで、
「横浜今昔地図くらべ」と題した講演会に集ったのをきっかけに発足したそうで、
会長は、横浜港の発展に詳しい田中常義さんという方です。
今回の講座は、3日間。
その第1日目は、会では「鉄道担当」と役づけられている渡邊喜治さんの、
「創立100周年 相鉄の語られない過去」という、
実に”鉄っちゃん”らしい、マニアックな内容で、
専門用語と歴史資料がポンポン飛び出し、超特急な感じでした。
続けて「旧版地形図の活用~瀬谷周辺の地理と瀬谷から見える丹沢・富士山」と題し、
会初めての外部講師として、田代博さんの講演でした。
こちらもまたマニアックなことは確かなのですが、
もともと地理の高校教師で、定年後は日本地図センター地理研究所長を務め、
”富士山の遠望鑑定”では、第一人者として有名な方です。
詳しくは、
田代博のホームページ(ここをクリック!)
を見ていただければ、その全貌がわかります。
話を聞いているうちに、昭和58年に刊行した
「市民グラフよこはま 横浜内と外からの展望」の
市内のどこからどんな富士山が見えるかという特集を思い出しました。
ところで、デジカメやスマホで、
気軽に写真が撮れるようになったのは、つい最近のお話し。
昔は、カメラも写真材料も高かったので、
写真館で1枚写真を撮るだけでも、”おだいじん”といわれる、
そんな時代が、明治から戦後コンパクトカメラが現れるまで続きました。
まして、普段から通い慣れている街の風景を撮るなど、
よほどのことがなければありえません。
2001、2003年の戸塚駅周辺(ここをクリック)
気がつけば、家族のポートレートや、
名所=神社仏閣、石碑、富士山をはじめとする名山や海など、
昔からの姿を変えずにあるものばかりだったりして、
「インスタ映え」するかしないかは別として、
まず身の回りの360度を撮影してみてはいかがでしょう?
田代先生いわく、
「基地」もある意味、地図上で姿を変えないものの1つといえます。
と、おっしゃっています。
返還された基地がどのような姿に変貌するのか、
造船所が「みなとみらい」になったように、
良いか悪いかは別にして、記録しておきたいものです。
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