江戸っ子が日本そばを食べるようになったのは、江戸時代中ごろからだったようです。
そば(蕎麦)といっても、そば切りといって、現在、私たちがすすって食べている「そば」がそれです。
それまでは、そば掻きといって、そば粉を熱湯で練って餅のようにして食べていました。
年越しそばについて「そば歳時記 中公文庫刊」には、歳取りそば、大年(おおとし)そば、大晦日(おおつごもり)そばなどの名称があり、その由来は定かではないが諸説あるとしています。
(1) 鎌倉時代の博多の寺で「世直しそば」と称して、年を越せない町人に振る舞ったところ、翌年から運気が向いたので、「運そば」「運気そば」「福そば」と呼び、大晦日に食べる習わしが生まれた。
(2) 室町時代の関東三長者の一人・増淵民部が毎年大晦日に無事息災を祝って家人ともどもそばを食べたのが始まり。古来、三角形は邪気を払うと信じられていて、三稜のそばの実からつくられるそばはハレの日に食べられるようになった。
(3) そば切りは打ち延ばして線状に長く伸びるので、その形状から延命長寿や身代が長く続くように縁起を担いだ。そのため、細いそばよりも幸せが太く長く続くよううどんを「運どん」として食べる地域もある。
など、逆にそばが切れやすいところから「縁切りそば」とか「借銭切りそば」なんてのもあるそうです。
ということで「運どん」にあやかって、丸亀しました。
いつもの、肉うどんに、野菜かき揚げとちくわ天。
なかなか卵の香りがハンパない、玉子あんかけうどんに、ごぼうとさつまいもの天ぷら。
カウンターにこんな表示がありました。
そういえば、机の配置やうどんつゆの提供方法など変更されていて・・・どこが?
ある意味、何を答えればいいのか、間違い探しに戸惑いました。
これは、外出自粛中の夏ごろテイクアウトしたもの。
冷もまた美味しかったです。
天ぷら盛り合わせもなかなかです。
行く店によって、天ぷらの揚げ方にバラツキがあるのはしようがないかな?
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