15日までやっている。
副題は、スタジオジプリと「コクリコ坂から」の美術。
7月16日にロードショーとなったスタジオジプリの長編アニメ「コクリコ坂から」を見て、そして、8月9日NHK綜合テレビで放送された「ふたり」宮崎駿×宮崎吾朗、コクリコ坂・父と子の300日戦争も見た。
偉大なる父を持った子の苦悩ということを痛感させられる。
急成長する企業や商店に共通するもの、それは創業者の個性の強さ、そしてそれを引き継ぐ2代目の凡庸さだ。
この作品は、なかよしという少女マンガ雑誌に連載されていたマンガを原作としていて、企画・脚本を宮崎駿氏が書き、宮崎吾朗氏が監督を務める。
そのあたりの消化不良ぐあいは、本編を見れば一目瞭然だし、NHKの番組でどのようなやりとりが交わされていたかは、他の方が書いているブログに詳しい。
私には、疑問があった。
なぜ、コクリコ(フランス語、ひなげし・ポピー)坂といい、タイトルに採用されるほど物語の中で重要な位置づけだったのか?
なぜ、ヒロインの「海」が、「メル」と呼ばれるのか?
なぜ、横浜をイメージした港町といいながら、横浜らしくないのか?
なぜ、海の父親は、朝鮮戦争で米軍の船に船長として乗っていたのか?
数え上げたら切りがない。
映画を見ただけでは、わからないことが多すぎる。
展覧会を見ると、そこに展示されているものは、
宮崎駿氏が描いたイメージボード、宮崎吾朗氏が描いたコンセプトスケッチと絵コンテ、
そして、キャラクターデザインを担当した近藤勝也氏の描いたキャラクターたちと、建物や設定に、仕上げが終わった背景画。
膨大な量の絵を見ていると、イメージボードの中に企画書にあるいくつかのメッセージを描き込んでいることに気づかされる。
それが、コンセプトスケッチや絵コンテでは、描き込んでいる部分を大部分省略されてしまっている。
また、キャラクターは近藤氏の作画力によっているもので、幾パターンもの個性豊かなキャラクターたちの中から、監督が選んでいるにすぎない。
この映画を理解するためにも、ぜひ展覧会で知識を得ておきたい。
疑問は解けたかって?・・・やっぱり、さっぱりだ。
鈴木プロデューサーなくして、今のジブリ作品はつくれないと思うが、もしこのコクリコ坂からを宮崎駿氏が監督したら、どんな風に描いたんだろうと思うと実に残念だ。
しかし、すごく混んでいて大行列だ。
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