散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

空蝉

2008年08月24日 | ★デジカメタ坊写真帳
「うつせみ」は、現身(うつしみ)とか現人(うつしおみ)に由来し、現世(げんせ、うつしよ)=この世をいう。とある。昆虫でいえば「蝉の抜け殻」のこと。夏の季語とされるが、源氏物語の第3帖に登場するから、空蝉の用法はかなり古くからのものらしい。天皇の皇子として生まれながら臣籍降下した光源氏が、親友の頭中将から、付き合うなら中級貴族の女性がよいといわれ、人妻ながら心ひかれたのが「空蝉」=伊予介の後妻。1度は思いを遂げるが、2度目には小桂(こうちぎ)を残して逃げられてしまう。このことを蝉の抜け殻に例えて「空蝉」と名付けた。
しかし、真っ暗闇の部屋の中でこのことに気付かない光源氏は、空蝉と並んで寝ていた軒端の荻(のきばのおぎ=伊予介と前妻の娘、空蝉とほぼ同年齢)を抱きすくめてしまう。人違いに気付いたが「あなたにひかれる」とその場をしのぎ、一夜をともにする。これでは「移せ身」ともいえそうだが、そんな解釈はなさそうだ。
ところで、蝉の抜け殻を空蝉=現世に例えるとすると、地中にいる間が前世で、飛び立った成虫が来世なのだろうか?夕刻、地中から出てきた蝉は、夜半、羽化をはじめ、陽が昇る頃までには羽を伸ばし乾かして飛べるようになる。つまり、1夜のみが現世なのだろうか?
今の日本のように、生まれる者は必ず五体満足に生まれ、後期高齢者として長寿がお荷物であるかのような扱い方をされるようになるまで生きられる世の中に至っては、空蝉にみられるような無常観は理解しがたくなってきた。しかし、自殺者が右肩上がりに増えてきた昨今、この漠然とした不安感や不信感はなんだろう。正直者が馬鹿を見る社会を出現させた国家は、必ず衰退すると私は考えている。日本はそれが緩やかだったものが、最近、加速度を増してきたような気がする。それ以上なのが中国であるとするなら、革命思想の根強い中国で変化はすぐあらわれる。

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