
今のように家庭用ゲームやテレビのない時代、子どもたちは家の外で遊ぶことが常だった頃。「かごめ」「はないちもんめ」「通りゃんせ」といった歌をうたいながら、手をつないだりして遊んだものだった。私の記憶では、男の子ばかりでは、やらなかった遊びで、必ず女の子のグループの人数が足らないためにかき集められて参加するハメになった遊びだと思う。これらの童謡(わらべうた)は、その由来がわからなくなってしまったといわれ、俗説に「かごめ」は打ち首になる罪人の話、「はないちもんめ」は人買いに売られる子どもの話、「通りゃんせ」は口減らしの話というものまである。いずれにしろ、そのときどきの時代を反映して解釈され歌い継がれたに違いない。なかでも今回は「通りゃんせ」にこだわって、その発祥の地とされる埼玉県川越市三芳野神社に行った。その由来書きなどを要約すると「平安時代初期に成立。室町時代中頃、太田道真・道灌父子により築城、徳川家光のとき三代藩主酒井忠勝が三芳野神社を造営整備した。「お城の天神様」と親しまれるが、五代藩主松平信綱が城の本格的拡張整備を行ったため、お参りするには、南大手門から入り、田郭門、本丸郭の天神門をくぐってはじめて参道にたどり着く約六百メートル城中を通らなくてはならない。それが「通りゃんせ」の歌詞を発生させたのだという。ではその歌詞を読み込んでみよう。
『通りゃんせ』江戸期童唄、本居長世編曲
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
「こわい」というキーワードもさることながら、ここで気になるのは「ゃんせ」「じゃ」の語尾。調べてみると廓言葉(ありんす言葉)からきていることが判る。特に「ゃんせ」は遊女や芸者が用いる敬語の語尾という。すると「天神様」は太夫に次ぐ遊女を意味し、通るところは廓の大門ということになる。廓の発展とともにわらべ唄も伝播した。発祥は京であり、全国的に歌われるようになったのは江戸の繁栄がもたらしたものだろう。行きはよいが帰りはこわい=難いのが、廓のことであるなら、大人でも子どもでもそのことが共通する認識となっていたのではなかろうか?「七つ」は身売りされる年頃をいい、この歳で廓に売られた娘は「禿(かむろ)」にされる。それも器量が良ければの話。七五三の天神詣りになぞらえて歌われた訳だ。いずれにしても、大人の行状が子どもの遊びに反映されることが当然の時代背景を持っていたと考えれば、全国各地に通用するわらべ唄の由来も理解できるような気がする。それが人権や道徳観により明らかにできなくなってきたから、川越発祥の由来に行き着くことになるのだろう。
ちなみにウィキペディアには2番の歌詞がある。こじつけがましく、冥府、鬼神、贄、弔い、供養の意に通じていない人が作詞したとしか思えない。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここは冥府の細道じゃ
鬼神様の細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
贄のないもの通しゃせぬ
この子の七つの弔いに
供養を頼みに参ります
生きはよいよい 還りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
川越原人さんのホームページ(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/uta.html)に詳しく解説があるので、由来を読み比べてみてください。
『通りゃんせ』江戸期童唄、本居長世編曲
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
「こわい」というキーワードもさることながら、ここで気になるのは「ゃんせ」「じゃ」の語尾。調べてみると廓言葉(ありんす言葉)からきていることが判る。特に「ゃんせ」は遊女や芸者が用いる敬語の語尾という。すると「天神様」は太夫に次ぐ遊女を意味し、通るところは廓の大門ということになる。廓の発展とともにわらべ唄も伝播した。発祥は京であり、全国的に歌われるようになったのは江戸の繁栄がもたらしたものだろう。行きはよいが帰りはこわい=難いのが、廓のことであるなら、大人でも子どもでもそのことが共通する認識となっていたのではなかろうか?「七つ」は身売りされる年頃をいい、この歳で廓に売られた娘は「禿(かむろ)」にされる。それも器量が良ければの話。七五三の天神詣りになぞらえて歌われた訳だ。いずれにしても、大人の行状が子どもの遊びに反映されることが当然の時代背景を持っていたと考えれば、全国各地に通用するわらべ唄の由来も理解できるような気がする。それが人権や道徳観により明らかにできなくなってきたから、川越発祥の由来に行き着くことになるのだろう。
ちなみにウィキペディアには2番の歌詞がある。こじつけがましく、冥府、鬼神、贄、弔い、供養の意に通じていない人が作詞したとしか思えない。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここは冥府の細道じゃ
鬼神様の細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
贄のないもの通しゃせぬ
この子の七つの弔いに
供養を頼みに参ります
生きはよいよい 還りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
川越原人さんのホームページ(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/uta.html)に詳しく解説があるので、由来を読み比べてみてください。
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