「届出伝染病」
これも法定伝染病なのかもしれないけれど、
ランク付けでは2番手といったところでしょうか?
詳しいことはわかりませんが、
酒井シヅ著「病が語る日本史」には、
『届出伝染病とは、戦後まもない昭和二十二年に定められた
「伝染病届出規則」に定めらた伝染病である。
それは麻疹、百日咳、ポリオ、インフルエンザ、黄熱、破傷風、
伝染性下痢症、つつが虫病、狂犬病、炭疽、マラリア、フィラリア、回帰熱
の十三種類の伝染病について、
この病気を診察した医師は、
二十四時間以内に患者所在地の管轄保健所長に
届け出なければならないと決めた規則である』
とあり、昭和40年代までに急速に患者数を減らしたものの、
結核と、俗に、はしかと呼ぶ麻疹は減らすことができない病気のようです。
現在は、
「伝染病予防法」も「伝染病届出規則」も、
1998(平成10)年に、
「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」
に改正(ここをクリック!)されました。
日本公衛誌 第7号には、
「伝染病予防法見直しの視点 竹田 美文」
という記事(ここをクリック!)がありました。
国際交流の活発化により感染症の侵入が容易となり、
これまでのやり方では対応しきれなくなったことと、
患者の人権尊重が社会的要請であることから、
改正するに至ったようです。
課題は、医療機関の整備と医療スタッフの整備と指摘しています。
ここでおさえておきたいポイントは、
①侵入路が多くて水際では止められない
②人権上、強制隔離をしない、個人情報は漏らさない、隔離施設廃止
と舵をきったこと。
法改正から20余年を経て、ついに今、試練のときを迎えたといえます。
ところで、横浜港から入ってくる、
あるいは罹患した市民の伝染病に対応していた万治病院は、
感染症医療機能が横浜市立市民病院に集約されて1991(平成3)年に閉院。
1999(平成11)年、跡地に横浜市立脳血管医療センターが開院します。
ただ、メタ坊にしても、病舎解体にあたり内覧した人の話でも、
脳血管医療センター建設に伴う解体まで建物は存置されていました。
実は、法定伝染病の抑え込みが功を奏するようになり、
一方、エイズや新型インフルエンザなどの感染症が生活を脅かすように登場すると、
伝染病専門病院から感染症センターへの転換計画が練られたのですが、
オイルショックで立ち消えになってしまいました。
さて、現行の感染症法では、感染症を5種類に分けて、
それに新型インフルエンザ等感染症、指定感染症、
新感染症の分類を付け加えています。
それぞれの分類に従って、対応する病院を指定していることから、
法解釈上、
これらの分類にない感染症=受入れ病院はないことになります。
たぶん・・・
それが、受入れ病院探しに時間がかかったと推測しています。
もし、万治病院が感染症センターになっていたら、
どうだったのかなぁ?
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