散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

水位表示

2011年10月23日 | ★デジカメタ坊写真帳

災害想定とは、何のためにあるのか?
タイの洪水は、想定を超えたものだったとはいうものの、「いつもより多い」ということで、市民は冷静に対処してやり過ごそうとしている。
もともと雨期になれば、あふれ出た水がどこかの町を浸水させるだけのことで、今回は広範囲だった・・・という訳だ。
考えてみれば、日本だって、自然災害は当たり前のように毎年繰り返されていた。
それが、堤防や護岸、ポンプ施設や水門、そしてダム、遊水池などで水利対策が施され、万が一被害が出るときは想定外の規模となる。

昔、横須賀にも、夏になると、平作川の氾濫が当たり前のようにあって、中学生のころに氾濫した川で泳いだ記憶がある。
親からは、汚いから近づくなといわれたが、若気の至りだった。
便所は汲み取り式だし、水が引くとDDTがそこいらじゅうに撒かれていた。
毎年、毎年、どこかの町が水浸しになる。
どこかの町といっても、ほとんど決壊、浸水する場所は決まっていた。
それが、昭和49年の七夕水害は別格だった。
住宅地、工場地域を飲み込んだ。
20年にも及ぶ裁判で、住民が勝訴したはずだが、これは補償が可能になる財政状況になるまで20年かかったと見るべきだ。
毎年、浸水するところは、昔から湿地だったところに人が住みだしたにすぎないと親が言っていたし、被害のあったところもまた然り。
そこで、昔の地形図を見てみると、確かに泥地や沼、池が散見される場所で、水田にもなっていない。
つまり、遊水機能を担った場所なのだ。
それが、あるとき、軍の練兵場や演習場になり、戦後、学校用地や工場用地に変わり、その周囲に住宅地が造成されていった。

タイの工場地帯の浸水。
タイも日本もやることは同じ。
古地図を見て、古老の話を聞けば、何が起こる可能性があるのか仮定できるのだが、科学的根拠を示せ!となると起こってみなければわからないという結論が導き出される。

横浜の場合、鶴見川、大岡川、帷子川、侍従川、柏尾川など、有名どころが勢揃い。
護岸が伸びても決壊したのは、材木商など水運を利用する場所が多かったのと、土手という所有者のハッキリしない場所に住んでいる人がいたこと。
鶴見川の生麦では、アオヤギ加工の捨てた貝殻で埋立地ができあがったというのも伝説となった。

さて、江戸川区役所で見つけた水位表示。
「東京ゼロメートル地帯」という呼称を思い出した。
もし、荒川が決壊すれば、荒川の現在水位を想定して、行動をして欲しいという表示だ。
大潮の満潮位で2.1mとあるから、いつでも1階水没は当たり前ということ。
大正6年の最高潮位は4.21m、高潮対策の基準潮位は5.1m。


小さいころ、たんぼやため池でザリガニ釣りをしていると、必ず持ち帰って、再びたんぼや池や川に逃がしてはいけないといわれた。
また、彼岸花を棒で叩いていると、球根を傷つけるなと怒られた。
彼岸花は、モグラやネズミが嫌うから、わざと植えていたのだ。
どんな大きな堤防でも、ザリガニやモグラの穴から水が漏れる。
昔の人の知恵や言い伝えを、さんざん聞かされたはずなのに、今はもう忘れてしまったことが多い。
災害は忘れた頃にやってくる。


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