涼しくなってくると、富士山が、朝に夕に姿を見せるようになってきます。
雲が幾重にも重なって、夕闇が迫ると、墨絵のような景色がはかなく消えていきます。
さて、瀬谷区の町名地番整理事業を実施されないまま、瀬谷町の残った地域の字地名と、メタ坊が推定した土地区画整理事業の区域を示したのが下図です。
現行の土地登記情報のルーツを遡ると、明治の地租改正にたどりつきます。
このとき、土地から採れた米(石高・年貢)で税を納めさせるやり方を、土地の利用価値に等級を付け、簡易的な測量(いわゆる検地)で出した面積に等級の税単価をかけて割り出した税額をお金で収めさせるようにしました。
そこで作成されたのが土地台帳で、税の徴収がしやすいよう、字地名を見出しとして使っていたようです。
この土地台帳が関東大震災で焼失したため、土地台帳を再製すると同時に土地所有者間で土地情報を共有する必要が生まれ、土地宝典(地番反別入り図)が出版されました。
瀬谷村の土地宝典の目次の一部を見てみると・・・
例えば、長谷は 7419~7422番 で3筆の土地があったことがわかります。次に長谷向へ 7423~7448、7483~7489、7494~7501、7520~7547、7563~7584番 と地番が続くことがわかります。
瀬谷村では大正から昭和にかけて耕地整理が盛んに行われたため、空き地番(飛び番)が顕著に表れています。
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