「ポリオ」とは「小児まひ」と呼ばれている病気です。
学校保健会ニュース「Schoowell(ここをクリック!)」には、
次のような解説(写真も)がありました。
ポリオ(急性灰白髄炎)は、感染症法により二類感染症に分類されているウイルス性感染症です。1960年代に国内で大流行があり、予防接種 (生ワクチン) が緊急導入されました。その後患者数は激減し、1980年以降国内での患者の発生はありません。しかし、南西アジア、アフリカ諸国では流行が持続しており、一旦ポリオが根絶された中国やタジキスタンなどでも海外から侵入した野生株ポリオウイルスの流行が2010年、2011年に発生しました。ポリオは、学校保健安全法施行規則で第一種の感染症に分類されています。
ポリオの原因>ポリオの病原体は、ポリオウイルスです。接触感染、便や唾液などを介した経口感染で伝染します。・・・
この前、日本ロータリークラブで活動されている方から、
会員雑誌「ロータリーの友」2019年10月号を読む機会をいただきました。
メタ坊はこれまで、ロータリークラブとライオンズクラブの違いを知らなかったぐらいですから、
ロータリークラブがポリオの撲滅に取り組んでいて、
天然痘と同じく「根絶」の段階(ここをクリック!)まで到達しているなんてことも、
まったく知りませんでした。
メタ坊が小学生の頃、クラスに小さいころ小児まひを患ったという子が1人いたし、
またよく遊んだ近所の同級生のお兄さんも小児まひで言葉も体も不自由でした。
高校生の時には、やはりクラスに小児まひで片手が不自由な同級生が1人いました。
余り運動とか体育会系のことには参加できなかったので、
読書の話で盛り上がったり、将棋などでよく遊んだものです。
さて、ロータリーの友10月号の、
「ポリオサバイバーとして、ロータリアンとして(ここをクリック!)」
という記事に目が止まりました。
その中で気になったのが、
「私が罹患した1955(昭和30)年当時、実家は東京都世田谷でしたが、まだ井戸水を飲んでいました。後から考えると、井戸水から感染したのは確かなようです。家の周りでは既に水道が普及していましたが、井戸水で不自由がなかったのが、ポリオ感染の原因となってしまったのです。」
という記述です。
横浜開港後、周辺の町村を合併して市域拡張し、
横浜市は今のように大きくなっていくのですが、
平成の市町村合併を見る限りでは、
借金があろうと、収益が潤沢だろうと、
それぞれの思惑が一致しないと、合併はなかなかうまくいっていません。
明治、大正、昭和(終戦前)は、
中央集権国家の強制力が合併に際して、かなり影響しているとは思いますが、
横浜市への合併理由として、
「関東大震災被災による町村財政の破綻」が裏事情としてあり、
表向きには「横浜市からの水道・電気の供給が望める」として、
町村住民の反発を抑えたと、市史研究をしている方から聞きました。
このころには、各家に電灯をひくことが当たり前になってきたのと同時に、
伝染病の蔓延に河川や井戸水の汚染が絡んでいることを、
一般大衆にも知識として伝えられていたのかもしれません。
しかし、メタ坊の昭和30年代は、横須賀にしても千葉にしても、
電灯はひけていた気がしますが、
祖父母の家では長く井戸水を使っていたことを覚えています。
ロータリーの友にあるとおり、
ポリオの発生国が3か国のみとなり、
その1つアフガニスタンで、志半ばにして亡くなられた中村哲先生は、
「医療」ももちろん「水」の大切さを真から理解していたんだと思います。
蛇口をひねれば飲み水が出てくるなんて、実はすごいことなんですね。
今はただ、合掌するのみです。
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