虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

みっちーの活動

1 手話通訳活動を含めたミュージックサインアーティスト   &ピアニスト 2 人権活動(子ども、女性、障がい者、高齢者、メンタル系) 3 里親制度を広めたい 4 復興支援(体と心によいこと始めました) 楽しくて、優しい人に出逢って、自分も嬉しいを手渡しできるそんな活動がしたい。 すべては自分のための四苦八苦。 自分に優しく、他人にも優しくを心がける2014年。 合言葉は nice love song

ミュージックサイン アーティスト みっち~

「ファン」Byミック・サトー

「ライブあるよっ」て普通な言葉になったのはいつからだったっけ?

2012-11-07 10:42:56 | Photomemo
保育園の仕事から離れて、手話通訳になってからほとんど音楽とは無縁になった。

聴こえない人の集団の中で、過ごすのだから当たり前だ。

れんばい横丁で初めてライブをした時にたくさんのろう者から、「なんで隠していた!」とちょっと意外な展開があったんだけれど、特別隠していたわけでもなく、ご披露できるような曲を弾けるわけでもないからだった。

2009年、ミュージックサインプロジェクトの縁で「りぼん」と繋がった。

会議や、練習に参加した時に、そこに電子ピアノがあって、そこでなんとなく鍵盤に触って、「piano弾きたいな」とか「歌いたいな」と囁いたことが始まりだった。

弾きたい気持ちとうらはらに、失敗体験の多いkasumiの気持ちと、大人の私の葛藤が始まった。

下手は下手なりに弾けばいいと、悟ったのは全盲のピアニスト長澤さんと出逢ったくらいのころから。

早くいうと、コンプレックスの塊が溶け始めて、氷の塊が溶けてきた。

それと、音楽のパートナータッカの作った曲にpianoをつけて、今は多分30曲を超えたと思う。

最近はタッカ作曲以外の曲でも、同じコード譜を持てば、それなりに合わせられるようになってきた。
(思い込みかもしれないが、これも大事な魔法)

弾きたいように弾く。

自分の気持ちを表現する。

弾ける場所があって、弾ける時間があって、時々素敵だねって言われることがあったら、幸せなんじゃないかな??

と、先日放送大学の演奏のあと、少し浸っていたら、「過去のことはもう過去だから、進まないと」と現実に戻され、もう少し浸らせてくれ~~~!!

といいつつも、今日も30分ライブですが、行ってきます。
実は

先週、pianoが肩からずり落ちて、落としてしましました。

そして、センターの職員の方に迷惑をかけてしまったので、今日は気をつけて歩きます。

くじいた足がまだ痛いので、踏ん張れないっす。

でもそれなりに、自分のことは自分でと思って頑張ります。