これは物語として読んでいただければ嬉しいです。
私の心の中にいる、小さなkasumi。
音楽が大好きで、おおきくなったら、教会でパイプオルガンを弾く人になりたい、音楽の先生になりたいと思っていました。
それにはpianoも弾けて、頭もよくないとできないと思いこんでいて、自分にはできないんだと思ってしまいました。
部活も吹奏楽に入ってpercussionとか、フルートとかにチャレンジしてみたかったのですが、時間的に難しく断念しました。
その時に、「泳げ」と言ってくれた先生がいて、水泳部では結構な活躍が出来ました。
高校に入ってやっぱりまた、吹奏楽に入りたい気持ちがありましたが、中学の時に吹いていないので無理だろなと思い、音楽部に入りました。
女性3部合唱でした。
指揮者も望まれてやったこともありますが、成果はどうかな?(笑)
その小さなkasumiのおかげで今の私の命があります。
専門学校時代は歌声サークルに入り、伴奏なしでいろいろハモッタリ、たくさん歌っていました。
でもそこでも、挫折を経験するというかいじわるに遭遇しました。
社交ダンス部もあり、そこでは楽しい時間を過ごしました。
社会人になってから、いやいやコピーバンドの一員になったり、それでも孤独にならないでよかったのかなと思いますが、「音楽をしていてはいけない」をいう想いがあったので、なかなか自由になれませんでした。
どう自分の役割がそこにあるのかが不鮮明で、「いなくてもいいんじゃないのか?」という想いは消えませんでした。
さて、kasumiはここしばらくお散歩に行ってくるとスキップして、私から離れたところ、そして安全なところで音楽に触れていました。
そこには、仲よしの歌を歌ってくれる、そしてそれを黙って聴いている、時には、ちょっと違うと思うとか(笑)
お散歩に行っていても、私との会話が出来なくなるわけではないので、ちょっと不思議な感覚でしたが、セラピストのゆりさんに聴いたところ、ないことではないので、心配はないわよと、言われました。
昨日友人宅へいってエレクトーンを弾いてきました。
それは小さなkasumiにとって、小学生の時以来のことでドキドキもし、ワクワクもし、楽しかった。
今、メロディが出来た曲が一つあって、それをpianoだけで弾いてみたいという気持ちがあり、そのコードの種類や、どのコードで弾くと曲に、スパイス的な要素が入れられるのを手伝ってもらいました。
pianoと違って、全てをコードでメロディを弾いているのをみて、音楽って深いなぁ…って。
今朝、起きるときkasumiがそばに戻っていました。
まだ寝ています。
疲れたのか、安心したのか、役目を終えたのかよくわからないけれど、しばらく休息の様子です。
もしかしたら、「エレクトーンは私が弾きたいんだ」としばし戻ってきただけかもしれません。
けれど、傷ついているわけでもなく、いい表情をしています。
大人と違って、彼らは傷つけあうことはしないから。
きっと助け合って、力を出し切ったのかもしれないですね。
ありがとう小さなkasumi、命を繋いでくれてありがとう。