2日目は雨でした
景色の良い志賀島に行くというのに・・
志賀島へは海の中道・海の中の1本道を通ります
万葉集に詠まれた句碑が多くあり
金印が発掘されたところ
金印について(WIKIPRDIAより)
天明4年2月23日(1784年4月12日)、筑前国那珂郡志賀島村(現福岡県福岡市東区志賀島)南端・叶ノ浜の「叶崎」で出土。発見したのは甚兵衛という地元の百姓である。ただし近年の研究では発見者は秀治・喜平という百姓で、甚兵衛はそのことを那珂郡奉行に提出した人物という説も有力である。
水田の耕作中に偶然発見したとされる。一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。郡奉行から福岡藩へと渡り、儒学者亀井南冥によって『後漢書』に記された金印であると同定された[2]。
雨が時に激しく降って
句碑めぐりも 金印公園も止め
車窓観光にきりかえて島を1周
休暇村の資料館で
金印のレプリカを見ました
小さな1辺が2、3cmの角印
「漢委奴國王」印でした
昼は久山町の茅乃舎で
山間を奥深く入った所にある
かやぶき屋根の静かなレストラン
予約時間より早く到着したので
周りをゆっくり眺めて楽しみました
茅葺き屋根に落ちる雨は初めてみました
音もなく静かに小さな粒が落ちていました
ここに来たのが雨の日でよかった
大粒雨でも音も無く雨だれを吸収してしまう茅の屋根
素晴らしいものを見た思いでした
店内の雰囲気も、おもてなしも抜群に良かったです
そしてお料理がまた・・ 一部アップします
ゆったりとした雰囲気のなかで
美味しいお食事と歓談
雨に感謝の1日になりました
景色の良い志賀島に行くというのに・・
志賀島へは海の中道・海の中の1本道を通ります
万葉集に詠まれた句碑が多くあり
金印が発掘されたところ
金印について(WIKIPRDIAより)
天明4年2月23日(1784年4月12日)、筑前国那珂郡志賀島村(現福岡県福岡市東区志賀島)南端・叶ノ浜の「叶崎」で出土。発見したのは甚兵衛という地元の百姓である。ただし近年の研究では発見者は秀治・喜平という百姓で、甚兵衛はそのことを那珂郡奉行に提出した人物という説も有力である。
水田の耕作中に偶然発見したとされる。一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。郡奉行から福岡藩へと渡り、儒学者亀井南冥によって『後漢書』に記された金印であると同定された[2]。
雨が時に激しく降って
句碑めぐりも 金印公園も止め
車窓観光にきりかえて島を1周
休暇村の資料館で
金印のレプリカを見ました
小さな1辺が2、3cmの角印
「漢委奴國王」印でした
昼は久山町の茅乃舎で
山間を奥深く入った所にある
かやぶき屋根の静かなレストラン
予約時間より早く到着したので
周りをゆっくり眺めて楽しみました
茅葺き屋根に落ちる雨は初めてみました
音もなく静かに小さな粒が落ちていました
ここに来たのが雨の日でよかった
大粒雨でも音も無く雨だれを吸収してしまう茅の屋根
素晴らしいものを見た思いでした
店内の雰囲気も、おもてなしも抜群に良かったです
そしてお料理がまた・・ 一部アップします
ゆったりとした雰囲気のなかで
美味しいお食事と歓談
雨に感謝の1日になりました