『語り手の事情』(2001)は、恩田陸の『小説以外』というエッセイで紹介されていたので買っておいたのですが、何か月も放置してました。ここのところ立て続けに推理小説・探偵小説を読みまくり、アガサ・クリスティーの『Sleeping Murder』を除いてストックしてあった分はすべて読破してしまったので、別のジャンルのストックに手を付けることにしたわけですが、この『語り手の事情』はどういうジャンルに分類してよいものやら悩むところです。ポルノまたは官能小説というには「官能」の部分がほとんどなく、性行為や生殖の原理の描写が妙に生物学的で冷静でありすぎて、また主人公の「語り手」と最初に15歳の少年として登場したアーサーの10年越しの純愛を描く「恋愛小説」と解釈できなくもないのですが、それにしては恋愛的な心理描写があまりにも少ない感じです。「語り手」という正体不明の存在や「妄想を想像に高めて現実のものとする」力が云々とか、性と生殖を司る地母神のような「ルー」という存在、アーサーがインキュバスに取りつかれてしまうこと、または結末で「どこでもない世界」に行くところなどから、性と生殖に関する考察と若干恋愛的要素を含むファンタジー小説といっても良さそうです。
テーブルの脚すらも包み隠しほど性倫理に厳格なヴィクトリア時代の英国で、性妄想を抱いた紳士だけが招かれる謎の屋敷が舞台で、そこにひっそりと時空を超えて住んでいる「語り手」が様々な事情を語るという展開ですが、ヴィクトリア朝文化における性に対する抑圧がかえって不自然な背徳的妄想を生み出している感じが、その謎の屋敷を訪れる紳士たちによって伝わってきます。最後に語り手の「事情」がより自然な「情事」に変えられてゆくところが興味深い点かもしれません。