木村草太著の『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)に参照文献として挙げられていた本をいくつか買いあさり、昨日読み終わった長谷部恭男著、『憲法とは何か』(岩波新書)はその中で初めての木村草太本人以外の著作です。この本は学術書ではないにしても、かなり学術的と言えるので、そうしたものに慣れていない方にはあまりお勧めできません。本当に法(哲)学に興味があり、読みながら深く思考することを厭わない方には良い入門書だと思います。
以下目次です。
第1章 立憲主義の成立
1.ドン・キホーテとハムレット
2.立憲主義の成立
3.日本の伝統と公私の区分
4.本性への回帰願望?
5.憲法改正論議を考える
6.「国を守る責務」について
第2章 冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利
1.国家の構成原理としての憲法
2.ルソーの戦争状態論
3.三種の国民国家
4.シュミットと議会制民主主義
5.原爆の投下と核の均衡
6.立憲主義と冷戦後の世界
7.日本の現況と課題
第3章 立憲主義と民主主義
1.立憲主義とは何か
2.民主主義とは何か
3.民主主義になぜ憲法が必要か
第4章 新しい権力分立?
1.ブルース・アッカーマン教授の来訪 ― モンテスキューの古典的な権力分立論/「新しい権力分立」
2.首相公選論について
3.日本はどこまで「制約された議会内閣制」といえるか
4.二元的民主制ーー「新権力分立論」の背景
第5章 憲法典の変化と憲法の変化
1.「憲法改正」は必要かという質問
2.国民の意識と憲法改正
3.実務慣行としての憲法
4.憲法とそれ以外の法
第6章 憲法改正の手続き
1.改憲の発議要件を緩和することの意味
2.憲法改正国民投票法について
終章 国境はなぜあるのか
1.国境はなぜあるのかー功利主義的回答
2.国境はなぜあるのかー「政治的なるもの」
3.国境はいかに引かれるべきか
4.国境線へのこだわり
本書の重点は憲法と戦争と平和の関係を明らかにすることにあります。憲法は当該国の権力を抑制し、平和や人権や公共の福祉を守るものである一方で、深刻な戦争が実は憲法(イコール国家体制)を巡って行われるものであること、そして平和を得るために憲法の根本的変更をせざるを得ないことを指摘し、憲法の危険な側面をもっと考えるように推奨しています。
「立憲主義」という言葉には広義と狭義の意味があり、それをきちんと把握する必要があります。広義の立憲主義は政治権力・国家権力を制限する思想あるいは仕組みを一般的に指し、「法による支配」という考え方もこの広義の意味の立憲主義に含まれます。それに対して狭義の立憲主義は近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指します。この意味の立憲主義は近代立憲主義とも言われ、私的・社会的領域と公的・政治的領域の区分を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びついています。これはまた、近代において固定身分がなくなり、唯一絶対の信仰も宗教戦争の終結と平和維持のために放棄され、「私」の領域へ押しやられ、そして各人に「信仰の自由」を保証する形で社会内の平和を保とうとする原理とも関係があります。ということを私はこの本で学びました。これまでの私の立憲主義の理解は【(憲)法による支配】でした。
また、「憲法典の変更が必ずしも憲法の変更にはならない」ということも何やら屁理屈のように聞こえますが、きちんと考えればそういうことになることが分かりました。憲法典とは成文化された条文のことで、憲法は国家体制のことで成文化されていない慣行もそれに含まれることになるため、その定義から考えれば、確かに例えば9条などの条文を変更したとしても、実際に日本の国家体制がその通りに変わるわけではないことが理解できます。またその逆も真で、国家体制が根本的に変わるようなことが憲法の条文を変えたり付け加えたりすることなく起こることもあります。それを踏まえた上で、憲法とは何かを考え、その改正あるいは保持にどんな意味があるのかまたはないのかを考えることが重要です。
「福祉国家としての任務分担を放棄し、機会の拡大と引換えに各個人へと責任を転嫁していく国家へと変貌を遂げようとしているのであれば、そうした国家を「愛する」よう国民に求めたとしても、さしたる成果は期待できないであろう。」
というくだりは何度も線を引きたくなるような文言です。現状では「愛国心」は洗脳か集団の暴力による強制によってしか実現されないのではないでしょうか。