徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:太宰治著、『人間失格』(文春文庫)

2019年03月07日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の2番目に収録されている作品がこれ、『人間失格』です。初出は昭和23年(1948)で、作品解説によると作者自身が昭和10年にパビナール中毒で精神病院へ入院させられた時の体験と「自分は当たり前の世間人として、真っ当な生活者として、この世を生きていけないのではないか」という恐れを文学として表現した作品らしいです。

出だしの「はしがき」で大庭葉蔵という「狂人」の写真3葉の説明がされ、最後の「あとがき」で大庭葉蔵の手記と写真が手に入った経緯などが語られ、その間に大庭葉蔵の長い手記が3部挟まれる構造です。手記の部分はまさに作者の自己を語る私小説で、心の叫びが聞こえてくるような真に迫った心情吐露なので、正直楽しめるような代物ではなく、共感できるところがほとんどないので、他人の思考回路を覗ける興味深さはあるものの、読み通すのに忍耐力が必要でした。

作者同様東北の裕福な地主の家に生まれた大庭葉蔵は幼少期から自己の存在価値を疑問視し、家族も含む自分以外の他人を極端に恐れるあまり道化役に徹して決して自分を出さず、他人とぶつからないように生きてきましたが、東京に出て旧制高等学校において人間への恐怖を紛らわすために、悪友堀木により紹介された酒と煙草と淫売婦と左翼思想とに浸る、という傍から見るとただの放蕩生活を送った末に心中騒ぎを起こし、相手の女性だけ死亡してしまったので自殺ほう助罪に問われる羽目になります。結局起訴猶予になったものの混乱した精神状態は続き、将来をどう考えているのかと身元引受人となった父の取引相手に問い質されたのをきっかけにその家を飛び出して、子持ちの女性や、バーのマダム等との破壊的な女性関係にはまり込むようになります。しかし、堀木とのやり取りを経て「世間とは個人ではないか」という考えに至って恐怖心はやや薄れ、漫画家として仕事をし始め、酒を止めよという一人の無垢な女性と知り合い、結婚します。一時充実した生活が続きますが、奥さんが出入りの商人に犯されている現場に出くわし、助けるのではなくただ逃げてしまった自分を嫌悪したことから結婚生活の幸せは破綻し、アル中からモルヒネ中毒、そして自殺未遂と、一気に転落していき、ついに精神病院に入院させられる羽目になったところで手記は終わります。

「ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分が今まで阿鼻叫喚で生きてきたいわゆる「人間」の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。」

という絶望的な無常観で締めくくられている手記と距離を置いて客観化するために、「私」という人称で語られるはしがきとあとがきを付け加えたという感じがしますが、いまいち客観視できていないのがはしがきでの写真の描写に表れています。「私」の写真の人物に対する嫌悪感。「なんて嫌な子供だ。」と幼年時代の写真を見て言い、「...充実感は少しもなく、それこそ鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで作り物の感じ...」と学生時代の写真に難癖をつけ、最後の年の頃が分からない写真には「特徴がない」「ただもう不愉快」「人間の体に駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか」など悪感情丸出しです。ここに太宰治の自己嫌悪が隠しきれずにあふれ出ているように思います。

あとがきで、「私」がマダムと会い、小説のネタとして提供された葉蔵の手記と写真を見て、その奇怪さから熱中します。「私」がマダムに葉蔵の安否を尋ねると、不明であると告げられます。そして、マダムは「お父さんが悪い」と言い、葉蔵のことを「神様みたいないい子」と語り、小説は幕を閉じます。これにより、いかに葉蔵が自分を隠し、他人を騙すことに成功していたかが強調されているようです。

連載最終回の掲載直前の6月13日深夜に太宰治が自殺したことから、『人間失格』は彼の最後の完成作であり、「遺書」のような小説とも言われています。

よくもまあ、ここまで徹底的に自己肯定感の欠如した人間が居たものだとある意味感心してしまいました。自己肯定感の欠如は家庭環境にあるのでしょうけど、そこから淫蕩、酒・薬物に溺れて現実逃避をし、逃避しきれなくなると自殺を図るという典型的なうつ病患者のようですね。その絶望感を創作のエネルギーに変換できたところが彼の才能だったのかもしれません。

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超音波検査、異常なし(がん闘病記29)

2019年03月07日 | 健康

今日は今年初めての定期検診でがん専門クリニックに行ってきました。今回は超音波検査でしたが、異常なしでした。

 

また胆石が問題を起こしてないか聞かれましたが、これが発見されて以降1年半、全くそれっぽい症状が出たことはありません。おなかの調子が悪くなったら胆石が原因の可能性もあるので、気を付けるように担当の教授先生に言われました。

 

血液検査も問題なしでした。採決は左腕からで、注射針の刺し直しとかなく、一発で成功しました。血が出て来るのにちょっとタイムラグがありましたけど。でもうまく機能しないCVポートよりずっとましです。担当の人がポートを取ったことを喜んでました。

 

次の検診は6月。

 

早く3か月ごとの検診というサイクルが終わらないかなと願わずにはいられません。多分治療終了後2年経過すれば、6か月ごとの検診に切り替わり、3年経過以降は1年1回になると思うのですが。今年いっぱいは諦めるしかないですね。

 


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化学療法終了…その後は(がん闘病記16)

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放射線照射第一回(がん闘病記19)

放射線治療の経過(がん闘病記20)

放射線治療半分終了~副作用キター!(がん闘病記21)

直線加速器メンテナンスのため別病院で放射線照射(がん闘病記22)

放射線治療終了(がん闘病記23)

段階的復職~ハンブルク・モデル(がん闘病記24)

経過観察(がん闘病記25)

抗がん剤治療終了半年後のCT撮影(がん闘病記26)

抗がん剤治療終了9か月後の超音波検査(がん闘病記27)

リウマチ性関節炎の記録

CVポートよ、さようなら(がん闘病記28)


書評:太宰治著、『斜陽』(文春文庫)

2019年03月04日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集。名作11編が納められ、作品解説や年譜付きであるばかりでなく、現代仮名遣いに直されているというので読んでみる気になりました。私は日本文学にはあまり縁がなく、これまで敬遠してきた理由の一つに旧仮名遣いが苦手というのがあります。旧仮名遣いより横文字の方が抵抗なく読めるというような人間なので、この文庫のように現代仮名遣いに直して解説までしてくれるのはありがたいことです。外来語の書き方(「スウプ」など)に原文の古めかしさが仄かに残っていますが、おおむね読みやすく、注も丁寧で、読みながらわからないところを調べる手間が省けました。

 

さて、この文庫の最初に収録されている『斜陽』は昭和22年に執筆された作品で、チェーホフの『桜の園』と戦後の農地改革などで著者自身を含めた地主階級の没落に哀れに着想を得たと言われています。

 

語り手はかず子という華族の令嬢で、29歳の出戻りで母と共に東京の西片町に住んでいましたが、戦後お世話になっていた叔父の指図で東京のお屋敷を売却し、伊豆の山荘へ移り、没落を嘆きつつ【最後の貴婦人】と崇める母との生活を語ります。そのうち弟が南方から復員して、放蕩生活を始めます。母の死後、弟は自殺し、かず子は常識を破って恋の成就に掛け、私生児を身ごもって逞しく生き抜く決意をするところで話が終わります。

 

『斜陽』の中で「美しく滅んだ」と言えるのは「お母さま」だけで、弟・直治は酒や麻薬に溺れることで自分の無能さやどこにも属せないやるせなさや叶わぬ恋の辛さを紛らわそうともがいた末に自殺するのでかなり泥臭い滅び方ですね。かず子の方は彼女なりの「革命」を起こし、思い人のもとへ押しかけてただ一度結ばれ、願い通りに妊娠する逞しさを持ってますが、話は妊娠したところで終わってますが、妻子ある思い人に頼らずに、収入のないままどうやって母子が生きて行けるのか、まずそこが疑問として残りました。もちろん一度結ばれただけで妊娠というのもご都合主義的というか、そこもやっぱりなぜ?ですね。女が妊娠できる期間は1月の中でもせいぜい1週間なのに、たまたま弟が【ダンサア】の女と伊豆の山荘に帰って来たので、ここぞとばかりに弟に留守を任せて東京にいる思い人のところへ行って、それがたまたまその妊娠可能な時期に当たったという偶然ができすぎてると感じるのは妊娠した経験のない私だけでしょうか?

 

滅びゆくもののあわれと、逞しく生き抜こうとするものの強さと、そのものの将来の不安定さがないまぜになった人間ドラマで、興味深いですが、感動とまではいきませんでした。華族のお嬢さんであるかず子に全然感情移入できなかったのが原因でしょうかね。

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書評:柚木麻子著、『伊藤くんA to E』(幻冬舎文庫)

2019年03月03日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

いつも利用しているオンライン書店で期間限定割引になってお勧めされていたので手に取ってみた『伊藤くんA to E』ですが、読みやすくてあっという間に読み終わってしまいました。柚木麻子という作家も今まで知らなかったのですが、他の者も読んでみようかと思うくらいには面白い作品でした。

『伊藤くんA to E』は伊藤誠二郎という千葉の地主の息子でイケメン・博識だけど30近くなってもシナリオライターを目指してバイト生活を続けている自意識過剰で幼稚で無神経、人生の決定的な局面から逃げ続ける喰えない男と不幸にも(?)関わり合いになってしまった女たち5人の心の動きを追う連作短編集です。

曖昧な関係が何年も続き、伊藤君をしっかりと自分のものにしようと躍起になる女。フリーターで伊藤君と職場がたまたま一緒になり、なぜか気に入られてストーカーされる女。大学のドラマ研究会の後輩で、ずっと伊藤先輩に憧れ、ついにお付き合いするみたいな感じになって浮かれる女。その恋する彼女を羨ましく思う一方、男を切らさないとはいえ大切にされたこともないと悩み、恋に浮かれる親友を疎ましく思い、伊藤君を誘惑して奪い取る女。そしてシナリオライターとして若くして一世を風靡し、今は落ちぶれ、弟子の伊藤君に逆襲される女。彼女たちはそれぞれに傷つき、もがき、見栄を張り、そして立ち直ろうと次の一歩を踏み出していきます。ただ、伊藤君だけが何もせずにただひたすら自分が傷つかないことをモットーに待ちの姿勢を維持することを高らかに宣言するのが対照的です。それはいっそすがすがしいくらいの反面教師ですね。こういうしょうもない、だけど顔のいい男というのは時として母性本能をくすぐるのかもしれません。彼の言うことを真に受けていれば「かっこいい」になるかも知れませんが、いずれ正体はばれます。「なんでこんな男が好きなんだ?」と自分でも疑問に思いつつ惹かれずにはいられないのが恋の妙味というものなのでしょう。

Eのシナリオライターの彼女が精神的に一番泥沼にはまってて、メッシーのごとき生活と、1年も仕事がないにもかかわらず事務所とライター志望の後輩・弟子たちとの勉強会を維持して見栄を張り続けるアンバランスさが何とも強烈でした。彼女にとって伊藤君はスポイルし続けてダメにした彼女の「作品」だったと言ってますが、お互いに「逃げ」の姿勢であることを確認し合うような特殊な精神的依存関係が見え隠れします。この関係(恋人のような関係ではない)が破綻を迎えることで彼女がゴミ部屋と化している事務所兼住居を片づけようと封鎖してあったバスタブを開けるきっかけになるのがまた興味深いですね。掃除しようにも掃除して居心地を良くしてしまった後のことを考えると怖くて結局ゴミ出し一つできないという心理は、個人的には理解できませんが、実に真に迫った描写でした。作者自身の経験が入っているのではないかと思ったくらいです。


書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第九幕』(富士見L文庫)

2019年03月02日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

本編第八幕を読んだのが随分前だったので、第九幕の話の進行にいまいちついて行けず、思わず第八幕を読み直してしまいました。

第九幕は、作者的に第2部第1話らしいですが、「それは、筋肉の大群だった」の出だしはユーモアがあって面白かったのですが、全体としては政情の不穏さの描写と関小玉皇后の幸せについての感傷的な叙述が大半を占め、敵の生き残りともいえる司馬淑妃の父司馬元尚書と彼に撲殺されたはずだった廃皇子・鳳の後日談として司馬元尚書が反乱らしきものを試み、小玉がそれをあっさりと制圧することになったため、ハイライトと言える出来事がないように感じられました。今後の展開の伏線が張られただけ?と思わなくもないです。

小玉が育てた皇子・鴻が立太子され、それによって小玉がさらに力をつけることを嫌った勢力が次々と細々と問題を起こしていき、また、後宮の大黒柱とも言うべき梅花亡き後、後宮の規律も乱れ、それらが功をなして宮廷内の勢力図が微妙に変化していく政情の不穏さが詳述されているので、こうした事情が以後大きな事件に発展していくのかなと次巻に期待したいところです。


書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語』第零~七幕(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第八幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第零幕 三、二人の過誤』

 


書評:アイザック・アシモフ著、『黒後家蜘蛛の会 新版 全5巻』(創元推理文庫)

2019年03月02日 | 書評ー小説:作者ア行

アイザック・アシモフはSF作家だとばかり思ってましたが、推理小説も書いていたということを文藝春秋(2012)の『東西ミステリーベスト100』を介して知りました。この『黒後家蜘蛛の会』は海外編の66位にランクインしています。決して高いランキングではありませんが、ちょうど新版が出たばかり(2018年4月)ということで読んでみることにしました。推理短編集で、1巻に12編収録されています。1972年から1989年にかけて発表された作品群です。各巻それぞれに2~3編の未発表作品が収録されています。一度没になった作品か書下ろし作品だそうですが。

内容と感想

月に一度レストラン・ミラノに集まって会食する女人禁制の紳士クラブ『黒後家蜘蛛の会(ブラックウイドワーズ)』。メンバーは暗号専門家のトーマス・トランブル、特許弁護士のジェフリー・アヴァロン、推理小説家のイマニュエル・ルービン、有機化学者のジェイムズ・ドレイク、画家のマリオ・ゴンザロ、数学教師のロジャー・ホルステッド、そして給仕のヘンリー(・ジャクソン)。

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まだ連載が考えられていなかった第1作の「会心の笑い」だけは給仕のヘンリーが謎の張本人であるために、推察ではなく「回答」を提示していますが、それ以外の作品では紳士方があれこれと議論を交わした後にヘンリーが「おそれながら」と自分の推察を披露します。

話しのパターンは、食事が始まる前の会話、食事の様子(短い描写のことが多い)、ゲストの尋問、謎解きの議論、ヘンリーの締めとなっており、この定型が崩されることはほとんどありません。ミステリーは謎が最初に提示されることが多いですが、『黒後家蜘蛛の会』では食後のコーヒーが行き渡った後に、つまり中盤になってから、主にゲストによって初めて謎が提示されます。謎の範囲は広範で、殺人事件もなくはないですが、科学・文学・雑学・スパイ行為・その他の犯罪などが取り沙汰されます。そしてレストラン・ミラノのクラブルームにはありとあらゆる百科事典や人物名鑑などの資料が取り揃えられており、皆が議論している間にヘンリーがそれらを調べて回答を見つけて来るということもままあります。レストランにそんな資料が取り揃えられているものなのかどうか疑問に思ったりもしなくはないですが(笑)

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ミステリーというよりはとんち話やクイズに近いと思いますが、そうした謎解きそのものだけでなく、その前座や謎が出題されてからの議論の知的会話や、時になぜそれで友達なのか?と不思議に思うほど悪態をつき合う様子、あるいは推理小説家のイマニュエル・ルービンの友人としてさりげなくアシモフ自身が話題に上り、たいていはぼろくそにけなされるなどのご愛敬、そして各作品ごとにあるあとがきで「これは没になった」とか「題名を変えられた」とかどこで着想を得たとかそういったことが書かれており、これもまた楽しいのです。

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第3巻の「ミドル・ネーム」で『黒後家蜘蛛の会(ブラックウイドワーズ)』の創設エピソードが紹介されるのですが、奥さんから逃げ出して心休まる場所が欲しかったという願いが女人禁制の会となり、クラブの名前は、「黒後家蜘蛛は交尾の後で雌が雄を食い殺す習性があるが、自分たちは断固生き延びようという決意を込めて」決められたというのがまたおかしみがあります。男性読者はもしかするとここで共感するのかも知れませんが。

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第4巻ではシリーズの定型が破られ、女性が謎を持ちこむ「よきサマリア人」や、突然押しかけてきた若い客人の悩みを解決する「飛入り」などが収められています。こうした「例外」に対するメンバーの反応がまた愉快です。

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第5巻の前書きで、登場人物たちのモデルとなった人たちが実名で紹介されます。このシリーズの安楽椅子探偵とも言うべきヘンリーだけはモデルがいないそうですが。ルービンのモデルとなっているレスター・デル・レイはアシモフの親友で、周囲の人からもルービンは「生き写し」と評価されていたそうですが、本人だけは頑として似ていないと主張していた、とかいう裏話も面白いです。

作品としては5巻60編のうち第1作の「会心の笑い」が一番よかったと私は思います。たぶん種明かしが心底納得できるものであったので一番印象に残っているのだと思いますが。