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吉村昭「深海の使者」

2013年12月25日 | や・ら・わ行の作家

 

文春文庫
2011年3月 新装版第1刷
2012年9月 第3刷
解説・半藤一利
412頁

 

 

太平洋戦争が勃発して間もない昭和17年4月22日未明、1隻の大型潜水艦がひそかにマレー半島のペナンを出港した
3万キロも彼方のドイツをめざして
大戦中、杜絶した日独両国を結ぶ連絡路を求めて、連合国の封鎖下にあった大西洋に、数次にわたって潜入した日本潜水艦の決死の苦闘を描いた力作長編

 

 

インド洋を横切って、アフリカの喜望峰を回って大西洋へ、そしてナチス・ドイツ占領下のフランスの港まで
日本とドイツとの連絡、物資弾薬の補給、人間や糧食の輸送、人命救助目的の派遣などの目的で、長い長い隠密の航海を強いられた潜水艦の悪戦苦闘の戦記にヒーローは存在しません

 

日本とドイツを往復した日本の潜水艦のうち、無事日本の呉港まで戻れたのは5隻のうちのたった1隻のみ

ドイツから日本に譲渡されたUボートも2隻のうち1隻がうしなわれました
互いの優れた技術交換の目的もありましたが、何か月もかけて海を渡ってくる間に、それらは既に古いものとなってしまいます
そこで、日独間の連絡を密にする目的で長距離飛行が可能な航空機も開発されますが、最も飛行距離が短くて済むソ連領空を飛行することが出来ず、インド上空からトルコへ抜けるルートで飛び立ったものの消息不明になってしまい、結局は潜水艦に頼るしかなかったのです

 

 

日本とドイツの間に潜水艦の行き来があったこと、困難このうえない任務のために空しく死んでいった多くの潜水艦乗りがいたこと
初めて知ることばかりでした

 

全く、戦争ほど愚かなものはありませんね

 

 

最初に発表されたのは昭和48年(1973年)
吉村さんは本作を最後に戦史小説を書くことをやめたそうです
その理由は、生存する証言者がどんどん減って、正確な戦史小説を書けないという事実に直面したから、との事
徹底的な取材で得た証言に基づき小説を構成する吉村さんだからこその発言です

あの戦争が終わってから68年
遠い昔のことになりつつあります

 

 

 

 


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