集英社文庫
2002年12月 第1刷
解説・池内紀
342頁
時代は幕末~明治初頭
日本社会が大きく変化する中で、変わらず自分の芸の道を邁進した歌舞伎役者・三代目澤村田之助の生き様を同門の大部屋役者・市川三すじの目を通して綴られたものです
生まれながらの美貌と才能を存分に生かし、女形として絶大な人気を博す田之助を襲った病魔
片足切断という辛苦を乗り越え、舞台に戻った彼を再び病魔が襲う
それでも舞台に戻ろうという彼の芸への思いには頭が下がります
しかし、芸一筋の人間によくあるように、子供がそのまま大人になったような彼には何か欠落した部分があり、最後には精神を病んでしまい34歳の若さで亡くなってしまいます
田之助に影のように従っている三すじ
同じ女形の役者として田之助を尊敬しながらも嫉妬心も消せない、何故だか理由が分らないのだが、どこか冷めた視線で周囲を眺め、諦めたような人生を送ってきた彼の冷徹すぎるくらいの目線が田之助の魔性ともいえるほどの芸への思い入れを際立たせています
江戸が東京に改まって数年
田之助亡き後、雪深い越後で三すじが見た「澤村田之助に」という幟
田之助の名前を騙る役者の舞台で物語は終ります
三すじの中で、やっと田之助との日々が終わり、新しい時代に向けた生き方が始まるのでしょうか
殺人は起きず、謎や不思議もありません
いつものミステリーとはやや違うのですが、語り部としての皆川さんの力でぐいぐい惹き込まれました
また、幕末~明治期の庶民の暮らしと歌舞伎の世界が生き生きと描かれている点でも大変面白く読めました
三すじが田之助を初めて見たのは、初舞台のために、男衆に肩車をされて楽屋入りをする4歳の田之助。
天性の華やかさを備えていた田之助は、役者としても類稀な才能に恵まれており、天真爛漫に高慢に花開きます。
そんな田之助を襲う業病。
しかし、手足を失って尚、失われることのない芝居への執念は、田之助をさらに一層艶やかに見せるのです。
そんな田之助を、弟子の三すじの視線から描いた作品が、この「花闇」。
闇というのは、やはり役者の世界のことなのでしょうね。
煌びやかに、艶やかに、舞台で演じながらも、役者たちは同時に色子として存在します。
それは、家格の良い家に生まれても同じ。
田之助自身、10歳の頃から上野明王院の高僧に買われるようになります。
しかし、それもまた芸のこやし。
田之助の女形としての色気に一役買うことになるのです。
しかも、それらの贔屓筋が落としてくれる金がなければ、役者としての膨大な費用を賄えません。
そんな彼らの身分は卑しく、時には人間扱いもされないほど。
しかし同時に、蔭の世界では役者は貴人。
芝居を観に来る人々は、役者に魅了され、夢中になるんですね。
何とも一筋縄ではいかない、入り組んだ世界ですね。
しかも、その狭い世界の中は、お互いの出自や実力、妬み嫉みによって、常に愛憎で渦巻いており、まさにぬっとりとした闇を感じます。
しかし、この闇があるからこそ、舞台の艶やかさが一層際立つのでしょうね。
そんな中でも、田之助の艶やかさは群を抜いています。
時には美しく可憐に、時には崩れた色気を感じさせ、観客を魅了します。
この作品を読んでいると、そんな田之助の魅力に飲み込まれてしまいそうです。
血が薄いと自覚する三すじをも興奮させるように、一歩距離を置いているはずの我々読者をも引きずりこむ魅力がありますね。
そして、田之助が足を切断し、それでも執念で舞台に立つ時、肉でも果物でも腐る寸前が一番美味しいと言われるように、滅びる寸前の田之助の放つ光の鮮やかさには魅了されます。
実在の人物が何人も登場しますが、その中でも月岡芳年の作品に、とても興味を惹かれました。
彼の「澤村田之助が脚を切った。その年に、徳川幕府は滅びたのだな」 という台詞が、とても効いていますね。
すっかり忘れていたので思い出させてもらえて嬉しいです。