キ上の空論

小説もどきや日常などの雑文・覚え書きです。

雨が降っています

2008年06月22日 | 日常
 昨日は検定にいってきました。午後は映画に。

 ブログは覚え書き程度に使うことが多いです。
 公の場であることを踏まえ、不穏当な発言をそのまま書かないよう気をつけています(何が検索に引っかかるかわかったものではないので)。気分だけでも伝えようと■■と文字数だけ合わせて埋めることもあります(どうでも良いですが、個人的には■で埋めた文を見ると、『99%の誘拐』(岡嶋二人)を思い出します)。
 たとえば、「演観の会員数が最近ちょっと厳しくなってきているのは■■■■をつぶしたかったのに署名集めて反対され、取り壊しを延期に持ち込まれた腹いせに■■■が呪いをかけているせいだと思います」とか書くときに■を使うわけです。
 読む人はまずいないですし、垂れ流してもそう問題になることはないとわかっていても、そこは自分で書かないと決めたことですので(ネガティブなことを言うときは個人名を出さない)当然自分で守ります。
 偏りまくった考えも、大概は(読まれないから)ほったらかしてもらえるけれども、それは許されているからと言うより、見限られているからに近い気がします。
 どこまでも許されたつもりになって、自意識を広げてゆくと、現実世界とかみ合わなくなってきます。肥大化しすぎた自意識は、アイデンティティを殺してしまいます(自意識の肥大化、とか肥大化する自意識という言葉を使うとき、浮かぶイメージは映画『AKIRA』の終盤です。「意識」じゃないけど、そういうイメージ)。
 そうならないために、自分ルールを決めておこうというわけです。あまり役に立ってはいませんが、何もしないよりはマシかなと思います。
 我々世代でもつきあい方で難しいなと感じることがあるのに、子供の時分からネット社会がある今の子供は大変だなあと他人事のように思います。第二次反抗期にメールもインターネットもなかった世代からしてみたら、戦う相手が大きすぎやしないかと。自分が世界と信じるものと、現実とを戦わせて戦わせて「自分」を再構成する作業をしていく時期に、膨大な情報と自我の集まりを世界に含めてしまうとどうなるだろうかと。大変だなあ。
コメント
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