表情に出にくいのは良いことなのかも知れない。
酸味のある果物には大抵渋みもある。と言うより、酸味と言うほどの鋭さのないものを渋みというのではないか。同じ種類の味。渋みは苦みと混同しやすい。それはそれ。近頃酸味のあるものを食べる頻度が増えたのは、慣れるためだろう。そうしても良いと思える誰かと顔を合わせるとき、表情を取り繕う必要がないように。
クロテッドクリームで和らげられた酸味は幾分か渋みに近い。酸味のあるクリームと酸味のある果実を組み合わせても、そのまま酸味が上乗せされるわけではない。例えば、ビネガーと柑橘の組み合わせは単に酸味の方向性を変えるだけだ。苦手でも許せる酸味はあるから、そこを探っていく。
味だけならおおよそ菓子と呼べない代物を、好むものを邪魔しない程度の風味を持たせつつ。その作業は楽しい。でも、ちょっと苦しい。
苦手なものは苦手だと、はっきり言ってくれるので、そこはありがたい。
どんなことを話したのか、何をしてきたか、掻い摘まんで知らせてくれるのも、その取捨選択も含めてこちらの期待に応えるものだ。
なのに、機嫌良さそうに「子供に泣かれた」と、寂しそうに「楽しかった」と言うのを聞くのは、思ってたより幸せな気持ちじゃないみたいだ。
どこまでも知りたい。でも、何もかもを知りたいわけじゃない。
生まれてから二十年以上笑いもしなかったくせに、自分の感情が煩わしいだなんて、随分と贅沢になったものだ。
だから、だいたい「良かった」と返す。事実上嘘ではないけれど、心情的には嘘のようなもの。嘘はばれる。だから嘘にならないことを言う。
言い方はともかく、感情がまっすぐな人だ。だから、嘘はばれる。
子供が泣くのは安心できる場所があるからだ。だからって、泣かれたいわけじゃない。
嫉妬はしんどいと学んでしまった。それでも、このため息は飲み込んでしまおうと思っている。
酸味のある果物には大抵渋みもある。と言うより、酸味と言うほどの鋭さのないものを渋みというのではないか。同じ種類の味。渋みは苦みと混同しやすい。それはそれ。近頃酸味のあるものを食べる頻度が増えたのは、慣れるためだろう。そうしても良いと思える誰かと顔を合わせるとき、表情を取り繕う必要がないように。
クロテッドクリームで和らげられた酸味は幾分か渋みに近い。酸味のあるクリームと酸味のある果実を組み合わせても、そのまま酸味が上乗せされるわけではない。例えば、ビネガーと柑橘の組み合わせは単に酸味の方向性を変えるだけだ。苦手でも許せる酸味はあるから、そこを探っていく。
味だけならおおよそ菓子と呼べない代物を、好むものを邪魔しない程度の風味を持たせつつ。その作業は楽しい。でも、ちょっと苦しい。
苦手なものは苦手だと、はっきり言ってくれるので、そこはありがたい。
どんなことを話したのか、何をしてきたか、掻い摘まんで知らせてくれるのも、その取捨選択も含めてこちらの期待に応えるものだ。
なのに、機嫌良さそうに「子供に泣かれた」と、寂しそうに「楽しかった」と言うのを聞くのは、思ってたより幸せな気持ちじゃないみたいだ。
どこまでも知りたい。でも、何もかもを知りたいわけじゃない。
生まれてから二十年以上笑いもしなかったくせに、自分の感情が煩わしいだなんて、随分と贅沢になったものだ。
だから、だいたい「良かった」と返す。事実上嘘ではないけれど、心情的には嘘のようなもの。嘘はばれる。だから嘘にならないことを言う。
言い方はともかく、感情がまっすぐな人だ。だから、嘘はばれる。
子供が泣くのは安心できる場所があるからだ。だからって、泣かれたいわけじゃない。
嫉妬はしんどいと学んでしまった。それでも、このため息は飲み込んでしまおうと思っている。