私は右耳失調し、加えて麻痺で発語に難あり
(当初の、呂律が回らない状態からは、大分改善)。
母は、年で耳が遠く、家の中の会話はちぐはぐになる。
昨日も…
排水管高圧洗浄の後でお昼を食べようと、母に、
「なに食べる?」
と聞いたら、
「カレー・カップ(麺)」
そこでカップ麺2個にお湯を注いで待っていたら、
「お前、ふたつも食べるんだー」
「??」
やり取りの後でわかったのは、母は、
「なに食べた?」
と聞かれたつもりで、
「カレー・カップ(麺)」
と答えたのだ。
仕方がない、2個、食べた。
カップ麺1個じゃ足りないから、いいんだけど、
(当初の、呂律が回らない状態からは、大分改善)。
母は、年で耳が遠く、家の中の会話はちぐはぐになる。
昨日も…
排水管高圧洗浄の後でお昼を食べようと、母に、
「なに食べる?」
と聞いたら、
「カレー・カップ(麺)」
そこでカップ麺2個にお湯を注いで待っていたら、
「お前、ふたつも食べるんだー」
「??」
やり取りの後でわかったのは、母は、
「なに食べた?」
と聞かれたつもりで、
「カレー・カップ(麺)」
と答えたのだ。
仕方がない、2個、食べた。
カップ麺1個じゃ足りないから、いいんだけど、
悲しかった。
私の母は昨年亡くなりましたが、私と母の関係もみなみひめさんとお母さまの関係と同じような感じでした。私の母は脳梗塞を二度起こして、言語障害、嚥下障害がありました。だから、言っていることがわからないのです。私は高齢になって、もともとの難聴が進んで補聴器を付けても聞こえにくくなっているから、お互いの意思疎通がスムーズにいかないのです。しかし、兄は数年前に亡くなっていましたから、私は毎月帰省して母を見舞っていました。が、母には「もう耳の聞こえないあなたには帰ってきていらない」と言われてしまいました。が、最期は、私と一緒にホテルに泊まっているときに、私の横のベッドで母は亡くなりましたから、やはり毎月帰省していてよかったと思いました。
みなみひめさんの記事を読ませてもらって思い出しましたので書かせていただきました。長々と書いてごめんなさい。
みなみひめさんにこれ以上の災難の降りかからないことを陰ながら祈っています。
でもその甲斐あって、お母さまは、お幸せな最期でしたね。
ところで久し振りに「みなみひめ」と呼ばれました、確かに当初のHNは「南姫」でした。
ある時、姫を名乗る恥ずかしさに気付き、「みなみ」にマイナー変更しました。
呼ばれて気分はいいんですけどね、「南姫」。
あと若くないです、自分の老後も本気で心配です。
そうですね、この数年間が底で、徐々に楽になりますように、と思います。
bikoさんもお元気でお過ごしください。