老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

はかない運命の叫び

2007年08月08日 | Weblog

古謡...作家歌手、合田 道人、熊本県五木は秘境と言う名にふさわしい。平家落人伝説も残り、その末裔とう人々が近代まで村の有力者だったと言う。歌調に出てくる、あん人たちゃ よか衆、、である。民は幡主に年貢米を納め、余りはよか衆に納めた。

貧しい民たちは田畑を耕し、子供は奉公に上がった。その風習は受け継がれ五木だけでなく、ふもとの人吉などに奉公にでる娘が昭和になっても存在していた。「いつ父や母に会えるだろうか?」という苦しみの日々を歌った歌調は七十以上にも上がる。

戦後に古関裕而が編曲したものが全国的に流布したが、当時五木周辺で歌われていた旋津は異なる。そこには哀愁と郷愁が擬縮されている。「おどま」とは私、「盆ぎり」は盆限りとかく。

「お盆過ぎたらもうここにはいない」と言う意味だ。奉公先を変えながらも、いつか故郷五木に帰りたい、、、と願いながら、悲しさと辛さに絶える子守娘のはかない運命の叫びが、今も聞こえて来るようだ。

 

おどま 盆ぎり盆ぎり

盆から先ゃ おらんと

盆が早よ来りゃ早よもどる

おどま かんじんかんじん

あの人たちゃ よか衆(し)

よか衆 よか帯 よか着物(きもん)

花は何の花

つんつん椿(つばき)

水は天から もらい水

 

 


町中を走る流れよ夏の月

2007年08月08日 | Weblog
城下町とか山の町では、道の両側の家の軒下に溝を作ってあって、清らかな水が流れているのを良く見かけた。水を生活の中に引き込む町作りの計画によって実現したものだ。近代の車社会になって過去の遺物とほとんど整備されてしまったが、古くは至る所で見られる光景だつた。昼間はいろいろ便利な利用の仕方があり、夜になると月を映して納涼の気分を盛り上げたものである。

我が国人口連続で減少

2007年08月08日 | Weblog

今年3月31日現在の住民基本台帳に基づく人工動態によると、全国人口は、例年に比べ千五百五十四人減の一億二千七百五万三千四百七十一人となった。人口減少は1968年の調査開始以来、初めて減った昨年に続き二年連続となった。徳島県は四千六百四十三人、0.57%減の八十一万千六百七十八人。

65才以上の老年人口の割合は21%と過去最高の更新。死亡者は八千八百九十三人増しの百八万千百七十四人で過去最大となり、総務省は「老年人口や死亡者の増加で、少子年齢化や人口減少社会の進行が早くなっている」と分析している。東京・名古屋・大阪の三大都市園の人工は六千三百五十三万九千三百六十二人、92年に三大都市園の調査区域を変更して以来、初めて人工の半数を上回り、大都市園への人工集中を裏付けた。

農村主流だつた我が国も戦後、国の成長と共に人工も都市へと移動、農村地域には若者がいなくなり、山間部の開拓をして自給を助けてきた人々も高齢化、死亡したり、村では生活が出来なくなり、身内の居る所へ移り、貧しいながらも、人々が助け合って生活してきたの家々は潰れ、葛がそれを覆う。

こんな風景があちらこちらで年年増えている現状です。皆さん一寸だけ振り返ってて見て下さい。戦後まだ62年です。60年前、現在70才の人が子供時代、特に田舎等では急斜面の小さな畑の補修をしながら作物を作る大人を見たり、手伝ったりして来たのです。外から買うものと言えば、農作業をするために必要な衣類を作る生地。

年に何度かの魚類位でほとんど100%自給でした。それが生産を捨て、みんなが買う側に集まっています。我が国だけではありません。発展途上国と呼ばれる東南アジア諸国の人達も望んでいることなのです。特に日本、自給率2.7%と言われていますが、現在70才以上の人達がまだまだ農業をしてくれています。でも、どんな条件の良い田畑でも高齢者には出来ません。

どんどん宅地に変わっています。自給率も早い速度でゼロに近かずいてきくのではないでしょうか。又、給料が安くて子供も生めないとの声も聞えます。現状は厳しいと思いますが、過去の日本も現在の他国もそうです、貧しい時代、貧しい家の子沢山なのです。今世界人工はどんどん増えています。子供を作れず、人工減少の日本に生活場所をなくした民族が入り込んでくることも将来は考えられることです。
日本のエスキモウー民族の勉強も必要になりそうです??。