野菜には有り難い雨 2017年05月25日 | Weblog この雨の降り始める前、昨日の午前中に小梅が綺麗に色付いていましたので収穫しました。 もう少しと言うところでばらばらと雨が降り始めましたが何とか取り終わり、一部は家で、 後は配っています。昨年キラレが多く付いたので今年は昨年の半分ぐらいか実が付いていませんでしたが、 それでも綺麗な実が付いていたので良かったです。大きい梅はまだ一週間程後になりそうです。
運命1 2017年05月21日 | Weblog 私は7人姉妹なんですが私の母は11人姉妹だと母は母から聞いていたようです。其の末っ子に産まれた母が物心ついた頃にはすでに何人かの姉妹はなくなっていたようで、当時生まれて間がないか乳飲み子などが亡くなると土葬されその上に石をのせる程度なので誰の墓か他の人には解らないのです、11人と聞けばその言葉を信じるだけだったようで、私達が知っていた叔父叔母は4人だけでその人達も私が小学校の頃叔母二人はいなくなり、叔父二人は16才頃までいて直接的には面白くない思い出も多いです。でも其の叔父達の連れ合い、義理の叔母達には大変なお世話をして頂き、叔父がいなければ良いなって思いながら良く遊びに行ったことがあります。そんな事で末っ子だった母は其の叔父叔母達、その家族に何かある度に出向いて良く世話をしていました。家では小学6年の姉を頭に4年の姉次に一年の私と後、妹はどうしていたのか記憶にありませんが朝私達のお弁当入れから学校に行く用意まで上の姉がしてくれました。姉自身も学校に遅れないように私達がもたもたしていると良く叱られた物ですが、 その姉の上の姉二人は小学校卒業後紡績工場に働きに出て、姉たち皆で母を助け家庭を助けて私達こうして現在生きられています。叔父叔母達に何もない時、母は、叔母もすでにいなくなり其の息子夫婦がしている百姓をずーと手伝っていました。愚痴をこぼさない弱みを吐かない母が一度言っていた言葉があります、それは他の家にゆけば少しよい賃金が貰えるようですがこの家の嫁さん母とは他人ですが賢くて口も上手でしたのでおばおばと呼ばれ叔母がいなければのように、朝は早く、夕方は遅くまで、母は早く帰ってご飯を作らないと子供が腹を空かして待っているだろうと思っても、もう少しこれだけなんて言って遅くまで使われると言っていました。でもこの母はよく働く人だったので父との結婚後沢山の子供を育てながらも家族に囲まれ母にとっては幸な時期だったのかも知れません。それが妹を身ごもったとき父は軍隊に、そのまま帰りませんでしたのでそれからは上の姉も子守をしながらも母について山に出かけたり、話を聞くと涙が止まらないことばかりでした。そして現在高齢ながら皆元気にいますがこの一番上の姉一番苦労をした姉が一番先になくなりました。今自分は今いる姉妹に何をすれば良いのだろう、有り難い事に皆んな幸せに暮らしています。後に残った時せめてあれぐらいはしてあげていたらと悔いが残らないためにも。
こんな時期に 2017年05月16日 | Weblog この徳島で一般に私達が筍を掘ってきて食べる時期は4月一杯です、5月の連休前には山の持ち主は必要な竹だけを残し、 後は切り倒し竹藪の整理に掛かります。ずーと遅くでも筍は生えてきますが50センチにも伸びれば水分を上げられないのか 自然に腐って行くものです。ところが今年は出て来るのも遅かったですが私が掘らせて貰っている竹藪は最近まで生えていて 先週、私も今年はもう入らないと思っていましたがお声が掛かってきましたので5日ほどして、倒す手伝いのつもりで行って来ました。 高く伸びている物を倒し、少し持ち帰りました。時期には周囲からも頂きます、充分ではないですが家で食べるのはあります、 でも人と様にも上げたいし、筍を好物とする人も沢山いますのでこうして行った時は無制限に持ち帰れるところは有り難いです。
足の筋肉を伸ばすつもりで山歩き 2017年05月14日 | Weblog 今年元日に行きたかった山に一人挑戦してきました、二日には友と近くの山ですが上でおでんを温め食事をするつもりで、 道具を背負って登ったのがきつくて、其の後少し足が痛んでいましたがその内治るだろう位に思っていました。 所が4月の半ばになって一時痛かったですがこれも山を越したようで、歩かずいると余計に悪くなるように思えて 11日にはゆっくりユックリ筋肉を伸ばすつもりで山を歩いてきました。若葉の山を写真を撮たり楽しみながら登り、 久しぶりに新鮮な空気の中でお弁当を食べて又ゆっくり降りてきました。気持のせいでしょうか足も楽なように思えます。 今回登った山には中腹に苔の名所があり其処も綺麗ですしアセビの新芽がとても綺麗いのに目を引かれました。
運命 2017年05月13日 | Weblog 数日前、もう何人しかいなくなった従姉妹が数十年ぶりに来て下さった。お互い年を取りました。それでも途切れ途切れの記憶を探りながらの話に時間が過ぎました。今回の従姉妹は父方の末っ子の子供で4人兄姉ですが私と付き合いのあるのはその3人です。それも今回来た長女は早くから九州に移住、今年から徳島に戻り此方で暮らすみたいで数キロ離れた所で今回来た妹と一緒にいるので次は此方から行こうと思っています。父方も男ばかりの4人兄弟でした、長男は家を継ぎ家屋敷、山林、田畑とでも中以上の財産家でした。弟2人は他家に養子に入りましたので家屋敷と食べるものには不充はしなかったようです。何故か私の父は次男に生まれたが養子に入らず母と新宅を構えたようですが住む家もなく農家の納屋など借りて暮らしていたようですが有る時、気楽なお年寄りが時折来る隠居部屋にと建てていた小さな家を譲り受け、私もここで産まれ育ちました、私が物心ついたときには、すでに父はおらず女ばかりの姉妹と沢山の思い出を作って私も14才の春、家を出るまでここで暮らしていました。 数年ぶりにこのブログを再開してほんの少しですが毎日投稿していました、でも身体の不調の為に休むも五ヶ月を過ぎてしまいました。もう止めようかなって思いましたが時折自分のブログを開けて見る度、投稿もしていないのに数名の方が訪問して下さっていて申し訳なく思っています、有難うございます。つまらない物ばかりですが出来るだけ投稿してみますので宜しくお願い致しますね。