前の日記と関連のあることなんですが、ここにも納得のいかない事が。私のいるすぐ北側には川が流れていて。
その川の水面と私達の地域はほぼ同じではないかと思われます。今は技術の進歩で立派な土手が出来ていて
破壊する事はまずないと思いますが、昔はこの土手、よく切れていたようで、写真にある石碑には明治32年9月と刻まれています。
大水害に見舞われ土手の破壊でこの地域、大きな被害と沢山の犠牲者が出たとの事です。その補修工事の
完成と共に当時の状況を石碑に刻み、再び災害の起こらない事を願って、犠牲者の霊をここにお祭りしてあります。
施工時に植えられたのでしょう。大きな松の木が茂って降りました。しかし、昆虫の被害に遭い、枯れてしまった後、
土地の人が植えたのでしょう、石碑を囲むように木が茂ってきました。写真に木の株がありますが、道路も直線でもあり、
大きく茂ってきても決して交通に差し支えがあるとは思えないところです。ところで、土手には木を植えたり、
耕したりする事は禁止されています当然の事ですが、木が大きくなると台風などの時、倒れて土手の破壊につながるからです。
勿論ここの木も人工的に植えた木なのでたぶん撤去の命令が出たのではないかと思います。全部切ってしまいました。
今から6年程前の事だったようにも思います。すぐ上にも祠だけでお祭りしてある所がありますが、ここにある木は
道路にかかっていますが、かなり古い物です。現在はこの土手全体かなり大きな木が沢山茂っていますが、当時はまだ小さくて
切る対象に成らなかったのでしょう。 この道路25㌔ほど登ったところに私の故郷があるのですが、見通しの悪い物は伐採されたり、
枝打ちをされていました。当時一度だけ見たことです。それにしても石碑を守る意味でも、犠牲者の霊を涼しい木の下で休んで頂くと
思う思いやりの意味でも、他の場所とは違うと思います。まして枯れた木の変わりに植えた物なのに何故許されなかったのだろう。
私は悔しい思いをしています。ゴミの不法投棄もごく一部の人のする事だと思いますが、そんな人達が何処にでもいると言う事も
残念なことですが、役所の仕事をされている方々も広い知識を持ってマニアル道理の指導でないことをお願いしたいものです。