政治家の代表逃げ言葉、こんな事を地方新聞で見た。
子供がマーケットの遊び場で友達におわれながら「記憶にない」と逃げている。
友達と遊びの約束をしたのに行かなかったので責められたのだ。
友達にとがめられ「記憶に御座いません」とふざけているらしい。
子供の世界で公然と逃げ口上になっている。
守屋前防衛事務次官か国会の証人喚問で防衛商社「山田洋行」元専務の宮崎容疑者との宴会に同席した政治家として、
久間元防衛相、額賀元防衛庁長官の名を挙げた。額賀氏は現外務相である。
宮崎容疑者も同席を認めている。だが政治家二人は「記憶にない」と言うのである。
この言葉は三十年前、ロッキード事件の証人喚問以来の常套句として、政界では「事実だが言えない」と理解されている。
福田首相は「よく政治家は会合に出る事はある」と話す。
ご馳走をいただきながらでは国民は了解出来そうもない。この文を見て政治家を育てた親は恥ずかしさなどは教えないことになっていたのだろうか?。
子供にまねをされ恥ずかしさも感じない国民の代表が何で子供の教育などに携われる。
ここで私たちこそ気を付けなければならない事であるまいか。政治家の場合は上手くごかし、くぐり抜けるものが「やりて」、こんな考えが残っていないか。
記憶にないを押しとすならやめてもらうべきだろう。
なぜなら、何年かのうちにそんな記憶が失うような政治家は国民の代表になる
資格はないからだ。 もっと賢い人を送り込まなければ。