老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

1988年(戊辰年、生まれ)の持つ性格

2007年04月13日 | Weblog

                 今年誕生日を迎え19歳になる人

                 昭和63年生まれの人の性格は

                 元来が剛直にして気一本の働き者

                 ゆえに裸一貫から巨財を築く人も多い

                 しかし、短気で怒りやすく、喜怒哀楽

                 をすぐ表にあらわす性質のため自ら

                 敵を作りがち、断偏見の性癖を慎む事

                 


手の丘が物語るNO.1

2007年04月13日 | Weblog

      

               人差し指の付け根ここを木星丘と呼ぶ

               名誉・地位・自意識を表わす部分

               肉付きが良く健康色でこの丘に現れる

               スジによってコンディションや運を知る

          


蜂須賀家政の父

2007年04月13日 | Weblog

本歴の中でも出世頭と言えば豊臣秀吉の名が浮かぶ。だが秀吉1人では天下は取れなかったはず、やはり素晴らしいブレーンがいたに違いない。その筆頭に蜂須賀正勝が挙げられる。

吉川英治の名作、太閤記などで野武士に仕立て上げられているが、本当は豪族の頭であったと伝えられる。 息子の家政は阿波へ入り、徳島藩祖となったが、正勝は阿波へきていない。

なぜなら秀吉が離さなかったからだ。だから正勝の墓は大阪にあった。徳島の興源寺にある墓は拝み墓だとされている。ところが十年位前に大阪にあった正勝の墓が道路拡張のためにかかり、徳島へ移してきたと言う。

それが佐古の大安寺の裏、蜂須賀家の墓地、万年山の頂上にある。 先週の日曜日ひさひさに徳島の眉山に登り、帰りは西武公園に降りた、そこで私も始めて蜂須賀正勝公のお墓を拝んだ。

子孫の眠られる阿波えお帰りになり徳島を見守ってくださる事と思います。ただその墓地にある石碑にも、十年位前移転されてきたとあるだけで年月日が刻まれていなかった事に残念に思いました。

 解らなくなってしまったのか? あえて刻まなかったのか?今なら解るはず、刻んでおいてほしいと願う。興源寺の拝み墓の方は、徳島の人よりも県外からのお参りが多く、正勝の出世運にあやかりたいと訪れる人が多いらしい。

しかし、家政はじめ代々の殿様のお墓は立派なものですぐ解るが、正勝と奥方のお松の墓は一般の墓に紛れ込んで解りにくい。 そのお松の墓石が2001年に盗まれる。

泥棒が逃げる際、正勝の墓も倒し、「阿波救世観世音菩薩」の鼻も欠けでしまった。菩薩は蜂須賀一族始め興源寺、阿波全体の先住霊を供養するため平成13年に個人が建立したもの。

現在は正勝夫妻の墓も元通り修復されている。正勝、お松も徳島の歴史上大切な人物、徳島県民ならどちらのお墓もお参りして綺麗にお墓を守りましょう、私達子孫のために>

    


おどる 国文祭

2007年04月13日 | Weblog

                                              

3月29日阿波のよしこのを記事にしましたがその際、お鯉さんの100歳記念講演が3月27日に開催されたと、申し上げてしまいましたが4月27日の誤りで、訂正してお詫び致します。まだ十分間似合いますから、一度聞いてみたいと思われている方は是非おいでてください。

テープと違う、身体全体から溢れるよしこのの魅力は特別なものがあります。 今日は4月27日の誕生日に開催する予定のお鯉こと多田小餘綾(タダコユルギ)さんの記事が載っていますのでそのままお届けします。

「お鯉の夢・百歳よしこの」四月二十七日金曜日午後二時から、徳島県郷土文化会館です。 お問い合わせは(088-652-6587)お鯉さんのよしこのは、私たち阿波っ子の心が「浮いてくる」魔法のうたです。

聞っきょるお人の心が浮いてくると言いますのは、私も楽しいんですよねえ、よしこのを弾いてうたいますんのが。自分が頭の中で踊っとうようにおもっています それが表に出るんかいなと。徳島に生まれて本当によかったと思います。

徳島人はねばり強い、一つのことに込み入って熱心に稽古します。振り返ってみたら、何十年もの間、同じ道を、つとてきたようになってますけど、一生好きなよしこの弾いて、お三味線ずーっと離したことなしに今日まできて、いよいよ自分の人生はお芸であったなぁと。

 お芸や言うてもたいしたもんでないんですよ。好きなと言うだけが強気だったんやなぁと思って満足しています。

徳島に生まれて、徳島でよしこの弾いて、100歳でよしこの弾いて歌うたら、もう女冥利に尽きると思います。と言っておられます。 阿波の国、文化にふれあう、ゆめ、ひと、みらい、国民文化祭10月27日 土曜日~11月4日


失敗を恐れる子供

2007年04月12日 | Weblog
ある学校で図工の授業を見てきた人の話です。子供達は思い思いに自分の好きな下絵を描いていた、上手な絵を見つけた先生、それを教室のみんなに見せながら、ほらみんな見てごらん、○○さんの絵のここの所、生き生きしていてとても上手だねとほめた。私達の時代なら自分は出来なくても、ほんまや、、上手や、と感心したり、一人一人違ったところの特徴を捉えていたりして、自分の絵を描くときエンビツで引くカーフもなんとなく似たものになっていたりしたものだ。しかし、この教室違っていたそうです。

空気は堅いものになり、ほめられた絵を見てからは、自分の絵を描く手が止り、身体が小刻に震い、涙ぐむ子もいたそうです。授業が終わった後に、そっと聞いてみると、(私は○○さんのように上手に書けないもん)そして出来なかったらいやなんだもん、失敗したらいやなんだもんと続け、自分の絵を机の奥え隠してしまった。この子のように、うまく出来なかったらどうしょう、失敗したらどうしょう、と不安を抱えている子供が、いま、とても多いように思える。

失敗を恐れ、弱い自分と向き合うことが出来なくなってしまった子供。間違う権利を奪われてしまった子供。そして、失敗しても次は成功してやろう、と言う意欲や夢、迄もなくしつつある子供。原因は何?と聞けば、一気に帰ってきそうなのですが、どちらの親たちも間違っていると思って教育はしていない。ただ気がついていないことは多くあると思う。親の見栄、希望、親の性格をそのまま子供に押しつけたりしていることを。

うたがう

2007年04月08日 | Weblog

疑いの目で見れば人の行動はずべて疑えてみえる。疑わしきを罰せず。まさかりを失った人が、隣の子が盗んだのではないかと、その動作を注意してみたところ、やることが全て盗みをした結果の行動として目に映った。

 しかし、後にそのまさかりが発見されて、その子が盗んだのではないと判明してからはこんどは、何処を見てもその子が盗みをするようには見えなかったと言う。人間が疑心を持つと言う事の恐ろしさをうまく捕らえて、たとえ話にしたものである。

 現実に企業内で不正事件があったときなど、嫌疑のかられた社員の行動を注意して監視していると、一挙手一投足が全て有罪の判定につながるように見えるもの、この言葉の類語として(疑心暗鬼を生ず)が挙げられる。まったく疑う心は恐ろしい。

     


日記

2007年04月07日 | Weblog
昭和52年自営を始めた頃より日記を付けていました。日記と言ってもごく簡単な大学ノートに5~6行から10行程度、主に仕事の内容。それが月末に請求書などの製作に重要なものだったから長く続いた。今、日記は付けていませんが、ノートは残っています。時には見ることがありますが休日もなく働いた事など、記憶を重ねて、とても、懐かしく思い出されます。

戦後徳島で、ラジオ商殺しと言う事件がありました。ラジオ商を営む主人を、殺した後、従業員に口止めしていたと言う事件で、一番では従業員が口止めがあったと言い、二番では取り調べ官の厳しさからと逆転。最後は無罪でしたが、被告人が亡くなってまで裁判が長く続いた事件でした。

この裁判の主役を務めた方と裁判当時からの知り合いで、高齢ですが、現在も元気に過ごされていますが、事件前夫婦が口喧嘩をしていたと言う事で、奥さんが不利な立場になったようで。口喧嘩はありがちな会話と、当時私は簡単でも日記を付けていましたから、思った事ですが。

ご夫婦どちらかでも日記を付けていれば結果は別としても、あれほど長く苦しまなくても良かったのではないかと思った事でした。いろんな意味で、場所でも、証拠としても日記はとても大切なものだと思っています。

明治時代以後、主に女性達の書き留めた日記を読み解き、現在何が学べるか、を探ろうとしているグループ。千葉県に在住する島利栄子さんの主宰する(女性の日記から学ぶ会) 夫の転勤先の各地で、戦前戦中の苦労話など聞き、個々の女性の人生に興味を持つようになったと言う。

さらにおばあちゃん達が亡くなった後、遺族から彼女達が書き連ねた日記の扱いに困っていることを聞き、生きた証を捨てることはもったいないと思い、預かっていたら、百三十人から二千五百冊程になっているらしい。これを読み解く作業だから、読みにくい手書き文字と格闘しているとの事。

このほか昭和30年代の家計簿日記や、戦前の家父長制度下の育児日記、義理の父親の日記を読み解いている人などもいるそうです。会の設立から十一年、日記は資料館のような所に保存する計画も持ち上がったそうですが、島さんは、日記の活用こそが大事と考えている、紙に残った涙の跡。

古い紙の香り、挟まれたしおり、それを手にしたり生の字をを見ると、先人の辛さや、喜びへの共感が立ち上がってくるい言っています。一つでも多く残していただきたいものです。心から応援をしております。

日記@BlogRanking

巡礼の花、鈴の音

2007年04月07日 | Weblog
日常生活を一時的に離れ、

宗教の聖地を巡拝するのが巡礼。

聖なるものより近接しょうとする行動、

四国札所を巡る人を特に遍路とよぶ。

彼岸の頃より巡拝者は増え、

桜の時季には遍路寺も賑わう。

見頃の花に浮かれる人は多いが、

響く鈴の音に覚醒するものがあっての作、

生きて行く知恵・薬草

2007年04月06日 | Weblog

                           

この草「ソクズ」と言うらしいのですが、「クサニワトコ」と言う名のほうが良く知られているそうです。葉の形が樹木の(ニワトコ)に似ていて地上部が枯れる(樹木以外の草)植物、生薬名も(ニワトコ)接骨木に似ており接骨草という名が当てられています。「ニワトコ」 も 「クサニワトコ」も「スイカズラ科」,薬効も「ニワトコ」に似ていて、葉をもんで湿布して、打ち身や、ねんざを治したり、煎液で湿布するか、風呂に入れて入浴剤にすれば、冷え性、神経痛、リュウマチ、腰痛、腫痛,じんましんに効果がある等、多くの共通点がある。

乾燥した全草一日15グラムを600ミリリットル、の水で半量まで煎じ詰めて服用すれば、止しゃ剤となるだけでなく、半身不随にも効果があると言われています。煎じて呑まなくても、今出ている春の若芽を採集し、食べても予防になります。食べ方は塩を少し入れた熱湯でゆでて、水にさらし、からしなど少し刺激のある味であえると抵抗なく食べられます。マヨネーズあえにしても良いです。又、肉を薄く広げ、片栗粉、溶き卵、パン粉を付けて油で炒め焼きしても美味しく食べられます。「クサニワトコ」は暖かくなると急成長し背丈以上になる。

夏に花を咲かせ、秋に液化状の小果、花の割には果実がすくない。しかし、この果実砂糖を加えてジャムにすれば、中の小さな種がブチブチとして美味しいジャムになります。焼酎に漬けて作った果実酒も美味しいです。「クサニワトコ」は217年頃に書かれた世界最古の薬草の本(神農本草経)に記載されていて、古くから使われている薬草の一つ、長く使われてきたため、長所も欠点もよく知られており、その使用で害が出ることはない、最近知られたような薬草は、良く効く部分もある反面使用により思わぬ害が出る心配もある。

新しい薬草に興味を持ちますが、人、えの使用経験の長さを注意しないと思わぬ害に悩まされる事になりかねない。 薬草には上品、中品、下品の 三品に分けられています。上品は多く食べても良く、長く続けても良い薬草、中品は加工などで上品のように使えるがそのままでは毒性が残る物。下品は効果としては強くても毒性が強いので病気を治す為に短期的に使用するものと区別されている。それにしても現在のように科学で解明できない時代、一つ一つ先人達の生きるための知恵、おろそかにすべきではないと思う。

 日記@BlogRanking

 


1979年(己未年、生まれ)の持つ性格

2007年04月06日 | Weblog
今年誕生日を迎え28歳になる人

昭和54年生まれの人の性格は

恩慮分別があり、慎重の上にも

慎重を期する性格だから、諸事

過ちはないはずだが、とかく義理

人情にほだされて失敗しがちです。

この点を自重すれば、順風満帆の

人生を楽しめる人のようです。

日記@BlogRanking