私は物心ついた頃から耳が聞こえにくかったようです。でも少しでも聞こえればなんの疑いもなく、ただ馬鹿として扱われるだけのこと。
自分もそう思っていました。小学校二年生の時、身体検査で出張でこられた病院の先生が、この子耳が遠い?と、
担任の先生に告げていましたが、担任の先生、私の後ろでこの子は馬鹿との手で合図、そんな時代を過ごし、自分が難聴と知ったのさえずっとずっと後のことでした。
私たちの子供の頃は テレビ等は無かったですがテレビを見るようになってからも、画面に映る文字を耳で聞いて目で見れば、複雑な日本語も、現代のカタカナ語も、自然に覚えられます若い頃なら、
それが耳から入らず目で覚えようとすれば、一字一字の読みになってしまうのです。
今のような補聴器があの時代に有れば等と思ったりしますが、ここまで進んだ物が出来たのさえ最近なんだから。
そしてそれを付けられるようになった時には難聴も進んでいました。そんなこともあって、地方新聞の見出の記事に目が止まりました。
ここに掲載します。小学校四年生で「八つ」を「はちす」と読む子がいる。何でも一個二個と「個」で数える四年生や、全部平仮名で作文を書いてくる三年生もいる。
岩波書店が東京と大阪の教師を対象に行った調査で、教師の九割が小学生の国語力低下を感じていることがわかつた。
「本を読まなくなったこと」や「間違った文法や言葉使いが流布」していることなどが原因と言う。