「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

海上自衛隊に恋に落ちた日  ~回顧録~

2016年05月24日 | 護衛艦いせ


facebookのタイムラインに、3年前の記事として、この写真が上がってきました。





まさに、3年前の5月24日が、私と海上自衛隊がファーストコンタクトした日です。










当時、地元フリーペーパーの編集の仕事をしていた私は、


海上自衛隊最新鋭にして最大の護衛艦「いせ」の、唐津入港を取材すべく、唐津市内の妙見埠頭に向かいました。


まだ5月なのに夏日ようにとても暑く、汗だくになりながら西唐津駅から歩いて岸壁に向かう途中の橋から、


グレーの大きな艦が見え、私は急いで駆け出し、息を切らしながら岸壁に急ぎました。


その時は、ようやく会える遠距離恋愛中の恋人の元に向かうような気持ににも似ていたと思います。


会いたくて会いたくてたまらなくて、ドキドキしながら走りました。






ようやく岸壁についたときは、いせは、もう接舷する直前で、タグボートに押されながら、ゆっくりとゆっくりと、優雅に岸壁に近づいてきました。



初めて見た、海上自衛隊の艦、そして入港作業です。


目の前にそびえる大きなグレーの艦は、これまで見たこともないような美しい船で、


ゆっくりと岸壁に近づく様子は、文字通り洋上の女王陛下のような威厳と美しさで、


この世に、こんなに美しい船が存在していたのかと、私は心を奪われ、一心に入港の様子を見つめました。


この時、まさに私は、海上自衛隊に恋に落ちてしまったのです…。


この後の3年間を思うと、まさに私の運命が変わり、動き出した瞬間でした。








やがて、接舷し終えると、上陸準備に入りました。



この日を皮切りに、何度となく歩かせて頂いたラッタル。


そしてしばらくして、入港歓迎行事のために、乗員さんたちが上陸されました。



先頭にいらっしゃるのは、当時の、いせ2代目艦長の梅崎時彦1等海佐です。


…今だから分かるのですが、護衛艦いせは、どう考えても、唐津に広報で入港することは、通常ありえない艦です。


その「いせ」が唐津に入港してくれたのは、梅崎艦長が唐津のご出身でいらしたからに他なりません。


そしてこの時が、実際に海上自衛官を見た、初めての瞬間でもありました。


つまりこの時点まで、私にはただの一人も海上自衛官の知り合いはいなかったのです。









歓迎行事の後、艦内特別公開のため、乗艦が許可されました。


この時はまだ、おぼつかない足で、初めてラッタルを上がって、初めて艦内に一歩を踏み入れた舷門には



艦長、副長、先任伍長以下、主要幹部の写真が。


そして、舷門から中に入ると…



伊勢神宮の式年遷宮の際の、御用材の欅に彫られた「いせ」の文字。


そんなものが、海上自衛隊の艦内にあることに、驚きを禁じえませんでした。


そして、ご案内頂いて通されたのは、士官室。


士官室にも



こちらが。


同じ筆跡なのがお分かりいただけると思いますが、額入りの方が、伊勢神宮の高司宮司によるもので、欅の御用材はこれを彫ったものです。


この2つを目にした時、何も知らなくても、この艦は特別な艦なのだなぁ…と感じます。










いせの、長い通路。


何度歩いても、艦首と艦尾どちらに向かって歩いているか分かりません(笑)


艦が大きい割に、格納庫に場所を割いているので、意外と中は狭いのです。


その格納庫といえば…





もはや説明はいらないでしょう。


余談ですが、士官室から出ると、幹部さんたちの部屋があるのですが、部屋の場所によっては、このエレベーターの音がものすごく響いて、


とてもじゃないけど寝られないんだとか…。


居住環境は、古い護衛艦からするとかなり良くなっているようですが、こういう音の問題はあるようです。


この後は、もちろん、甲板に上がって、ヘリを見学させて頂いたり、初めてCIWSを見たり(笑)


感激でいっぱいの艦内見学でした。


この時、エスコートしてくれた1尉の方は、以来、いつもいせで笑顔でお迎えしてくださいました。


もちろん、今は異動されていますが。


以後、艦長さんは4代目を数え、引き続きご縁を頂き、お世話になっています。


これが、記念すべき、初の護衛艦見学であり、いせとの出会い…。


ここから、海上自衛隊をはじめとした、自衛隊との多くの関わりが、怒涛のように始まっていきました。


たくさんの方にお世話になり、自衛隊が好きということで、たくさんの友達もできました。


自衛隊という存在が、どれほど私の人生を豊かにしてくれたことか、言葉にできない程です。


感謝でいっぱいです。


ありがとう…これからも、たくさん、たくさん、応援させてくださいね


愛を込めて…。





ちなみに、当時のフレッシュな(笑)感想が綴られている記事はこちらです。

「護衛艦いせにふれて」





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三回目の護衛艦いせ洋上慰霊式   ~エピローグ~   

2015年09月08日 | 護衛艦いせ


なんだか、随分間があいてしまいました・・・。


すみません。


さて、ようやく最終回です。







洋上慰霊式が終わると、司令公室に戻ってお弁当を食べました。


毎回のことながら、ドック入り前はキッチンが使えないので、


どうしてもこうなります・・・。


ちなみに、お弁当は事前予約で400円ナリ。


食事後、コーヒーを頂きつつ、しばらく、なんだかんだとおしゃべりしていたのですが、


早くも入港ラッパがなりましたので、


私とOBさんは艦橋に上がることにしました。


しかし、何度来てもなかなか覚えられない、いせ艦内。


なぜか甲板に出てしまい、ここで近くの海士くんに声をかけます。


「すみません、艦橋に行きたいんですが・・・」


「あっ、はい。艦橋ですね。こちらです!」


とハキハキと答えてくれて、エスコートしてくれました。


道中


「いせは、2011年3月に就役しまして・・・」


と説明をしてくれたのが、なんか、かわいくてほっこりしました。


この二人は当然知っていることなんだけども、


エスコート中、お客様にちゃんと艦の説明をしようっていう


その心意気がうれしかったです。


真面目で責任感が強い子なんだろうなぁと思いますね


艦橋まで連れて行ってくれたあとも、


はいじゃあ、さよなら、じゃなくて、


OBさんは副長と、私はバリトンボイス通信士と話し込んでいる間も、


気がついたら、じっと待っててくれていたので、


お礼を言って戻ってもらいました。


いい子だな~~~~


・・・っていうか、もうちょっと早く気づいてあげられなくてごめんね・・・。


そして、その間、いせはドックに入渠します。


もちろん、この間の作業は乗員さんたちでなく、JMUの方々の手で行われる


・・・のですが、前回、すさまじく時間がかかりました


が、今回は、前回より早かった


ちなみに、私は上陸時間を1400と想定していたのですが、


・・・ふっふ・・・ぴったりでしたね~


どうでもいいことだけど、なんかうれしい(笑)









上陸が告げられ、いせを後にします・・・。


ここから、基地の正門までマイクロバスで移動。


その時、元伊勢砲術手の田部さんが最前列の席にいらっしゃいました。


「こんにちは!覚えていらっしゃいますか?」


とあいさつすると、


「おお~、見たような顔だなと思ってたよ」


と笑顔で言って頂き、うれしかったです。


隣の席の方が譲って下さったので、基地正門までの短い時間ですが、


久しぶりにお話しました。


「私はね、毎回、これが最後かもしれないと思って来るんです」


と仰ったので、


「・・・そんなこと言わないでください」


と言うと


「いや、そうなんですよ。そう思わないといけないんです。

 私の年代は、昨年は元気でも今年はどうなるかわからないんです。

 同期ももういなくなって、私一人です」


と言われるのを、悲しいような苦しいような気持ちで聞いていました。


ですが、最後別れ際に、


「だけど、足が動く限り行き続けますよ・・・海軍魂です


と言って、ニッと笑われました。


それは、海軍魂を持った最後の世代としての誇りが


純粋な少年のような笑顔に現れていました。


この田部さんの言葉と笑顔に触れた時、


不思議な安堵感でこちらも笑顔になりました。


また、お会いできる日を楽しみにしています


洋上慰霊式の日に、再会できたこと、本当にうれしかったです。






この日も、とても思い出深い1日となりました。


いせの皆さん、お世話になりました



三回目の護衛艦いせ洋上慰霊式   ~洋上慰霊式編~   

2015年08月31日 | 護衛艦いせ


時間が近づいてきたので、甲板へ向かいました。


今日は晴れましたええ


もう、暑すぎるくらいにいい天気


前回の、無念の格納庫慰霊式から半年ちょっとですよ(笑)


ま、あれはあれで、貴重な経験でしたけどもね・・・。


だけど今回は、私、晴れるとふんでました(笑)


なぜかはちょっと言えないけど・・・(聞きたい人はこっそり訪ねてくださいね







洋上慰霊式、今回は夏なんで白です、白



ラッパ手



儀仗隊・・・今回は儀仗指揮官は男性でした。


これまで二回はWAVEさんだったんですよね。


なんかそれが、ちょっと「いせ」独特っぽいなぁと勝手に思っていまして、


残念というほどでもないのですが、少し惜しい感じがしました。





この、儀仗隊の前に、副長、先任伍長、海士長の代表者、いせ後援会理事長、


そして…もと航空戦艦伊勢の砲術手の田部さんが献花とお供物を捧げられます。


前回は、体調が理由で参加されていなかったので、今回はお元気なお姿が拝見でき、とてもうれしく思いました。






さて、洋上慰霊式は、なかなか見る機会がない方の方が多いと思います。


というのも、たいていにおいて、艦艇が海外に演習に行く途中で、かつての激戦海上を航行する際に行われるからです。


一般の体験航海ではめったに行われないのではないでしょうか。


私が知っている限りでは、博多湾で行われる、日本海海戦の洋上慰霊式くらいではないかと思います。


…ということで、今回、ご一緒した元海上自衛官さん(高田艦長の一期先輩)が撮影してくれた動画を、


アップロードいたしますのでご覧くださいませ。

video 1440059285 mp4



実際には、この後で弔いの汽笛が鳴り響き、…それが、なんとも物悲しく響き涙が出そうになります。


70年前に、動かすことも出来ない中でなお、洋上砲台として戦い、ついには力尽きた伊勢…。


そして、まさに、その時命がけで戦ってくださっていた方が、目の前で亡き戦友たちを弔っていらっしゃる姿を見ていると、


とても言葉では言い表せない気持ちでいっぱいになります。






最近特に思うことが、


現代の日本人よりも遥かに、優秀で勤勉で責任感と意志が強くて、愛情深く礼儀正しかった美しい精神性をもった先人たちが、


命をかけて護ってくれた日本の現代の状況を思うと、とてもではないですが、申し訳なく顔向けできない気持ちになります。


こんな日本にするために、彼らは命を落としたのではないだろうに、と。


今の状況は一夕一朝で変えられるものではありません。


ならばせめて、英霊となられた方々を正しく理解し、顕彰する人々が増えていくことを願い、


広めていくことをせねばならないのではないでしょうか。


今の豊かな生活を享受できるのは、誰のおかげなのか、


荒んでもなお、まだ世界中から憧れられ、尊敬され、賞賛される国であり続けられるのは、なぜなのか…。


今、改めて考える必要があるのではないでしょうか?


この国は戦後以来、最大の過渡期を迎えています。


日本存続の分岐点ではないかとすら、考えます。


「水漬く屍、草むす屍」となった、無数の将兵たちの死を、無駄にしない日本でありたい…そう願いました。




三回目の護衛艦いせ洋上慰霊式   ~出港・・・っていうか出港用意編~   

2015年08月26日 | 護衛艦いせ

出港準備中の艦橋に上がりました。


乗員さんたちの表情には、みんな緊張感が見えます。


その艦橋には、ほぼ唯一の、見かけるとほっとする顔がありました。


魅惑のバリトンボイスイケメン通信士です


・・・なんですが、いつも穏やかな微笑を絶やさない彼が、今まで見たことない厳しい顔つきだったことに、驚きました。


彼の仕事に対する姿勢を垣間見た気がします。


いせの、決して広くない艦橋が見学者でごった返し、落ち着いた様子で座る高田艦長。




高田艦長は、護衛艦の艦長を4度も歴任してこられた、大ベテランの艦長さんです。


その高田艦長が、


「まもなく、全ての舫いが外されると、出港用意という号令をかけますが、言いたい方いますか?


・・・そんなこと言われたら、手を上げないわけがないよね?(笑)


どうせ日本人ってこういう時、進んで手を上げないしぃ~。


というわけで、


「はいっ!!!!」


勢いよく手を上げました(笑)


・・・あわよくば、それをラジオのOPで使おうとか考えたんです、ええ。


「あ、じゃあ、はいどうぞ


笑顔で了解してくれました~よかった~


軽い緊張感で、ラッパ手の横に立って


「出港用意・・・出港用意・・・出港用意・・・ブツブツ」


と繰り返して練習する私に、バリトンボイス通信士が、


「みね姉さん、こっち、艦長のところに来てください」


と呼びに来た。


「え???」


なんでだろう?と訝しんでいたら、通信士が


「大丈夫ですか?タイミングわかりますか?」


「大丈夫~だって、ラッパのでしょう?」


「いえ、です」


「はっ????」


・・・そう、私、出港用意って、ラッパの後の号令だと決めてかかっていたわけでして・・・


「みね姉さん、ウイングに出て、艦長の横にいてください」


「え????」


そこには、笑顔の高田艦長。


「いいですか?舫いが外されていって、最期の舫いが外された時に・・・」


手で、どうぞの合図が・・・。


(しゅ、出港用意って、艦長の方だったのかぁぁぁ~)←心の叫び


ここで、顔が引きつったことは言うまでもない・・・。


だって、艦長しかかけちゃいけない号令の最たるものですよ、これ・・・。


もう、滝汗です・・・。


呆然と立ちすくむ私に、艦長が


「はい、ちゃんと舫い見てください」


と言われ、


(そっ、そこからなんですね・・・)


と、心の中でツッコミを返す私。


と、とにかく舫い、舫いだ・・・と、下を見ると・・・


見えないし


舫い、見えません・・・


そう、いせは張り出しているからかなりのぞき込まないと見えないんです。


がっつりのぞき込んだら、やっと見えました・・・2本。


・・・ん?2本???


え~~~~?!すでにあと2本かよ?!と軽く血の気が引いた。


ちょっと呆然と艦橋の方を見て、呼吸を整えて再度下を見たら


・・・あと1本になっていた!!!


お、お願いだからその舫い、外さないでくれと思った(←おい)


しかし、そんな願いが無慈悲にも届かず、残っていた一本が外れます(←当然)


(うっ、うっわ~~~と、とれた!とれちゃったよ


艦長を見ると、笑顔のまま無言で、手で艦橋に向けて


「どうぞ」のジェスチャー


ここで覚悟を決めて、言いましたとも・・・


「出港よーい」


そしてラッパが鳴り、艦内に出港用意が告げられました。


・・・と、取りあえず、間違ったりかんだりしなくてよかった・・・






ここで、ふと思ったことが、


初めて艦長の任に就いて、初めて「出港用意」って号令する時、


どんな気持ちなんだろう????ってことです。


機会があったら、伺ってみたいですね


私はこのあと、緊張しかしていなかったことに後悔しきりでした。


「もうちょっと伸ばさな!」


と、その様子を動画撮影してくれた先生から言われたことですが、


言うは易し・・・自分が言ってみなさいよ~緊張するから・・・


さて、大任を果たし終えて、私はさっさと艦橋に入りましたが、


当然、艦長以下航海科等々のみなさんは、ウイングにいらっしゃいます。




いせがゆっくりと岸壁から離れていきます。




これより、いせは三ツ子島に向かいます。




三回目の護衛艦いせ洋上慰霊式   ~プロローグ~   

2015年08月24日 | 護衛艦いせ




・・・なんだかんだで、三度目となりました、この「いせ」の洋上慰霊式。


実は、この三回とも艦長さんが違います。


いせ艦長は初代星山良一一等海佐から数え、四代目になりました。


このブログの読者の皆様にはご承知のことと思いますが、


私が海上自衛隊と関わるきっかけとなった、護衛艦いせとのファーストコンタクト時の艦長は、梅崎時彦一等海佐。


この時が、人生初の洋上慰霊式でした。


その記事がこちらです。


二度目は昨年12月、この時の艦長は藤原秀幸一等海佐。


前回と違って、本当に身内だけという感じのアットホームな感じでした。


この時の記事はこちらです。







・・・そして、今回新いせ艦長が着任されました。


高田昌樹一等海佐です。


高田艦長は、「あきづき」の艤装員長だったことで知られており、


ですのでつまり、




このスコードロンのデザインをされた方です。


というわけで、初めてお会いした印象は、


このネコちゃんそっくり


でした・・・失礼ながら・・・(笑)


でも、モデルは二匹飼っているネコちゃんの下のコなんだそうです。


このネコちゃんの話で、高田艦長と盛り上がっていましたら、


側にいらした、初参加のあまり海上自衛隊には明るくない年配の男性が、


「・・・各艦に、ゆるキャラが存在するのですか?!」


と質問してこられました(笑)


そんなわけない・・・








ところで、いせでの洋上慰霊式は、毎回雰囲気が違うのですが、今回は、また違いました。


早速通された部屋は、司令公室。


いつも士官室なので、これはちょっと驚きました。


テーブル上には、名前のプレートと、



いせのクリアファイルが置かれてありました。


これ、手元に2枚あるので、頂くのはいつも遠慮していますが、


今回は久しぶりに頂くことにしました。


なぜかって?・・・それは、来週のFMの放送をお楽しみに~


そしてここで、出港まで各々ご歓談。


今回の洋上慰霊式にお誘いしたのは、元海上自衛官で、高田艦長とご縁のある方です。


そして、つくづく思いましたが、こういう方が一緒だと、すごく助かります(笑)


疑問があっても、乗員さんは忙しいのでなんとなく、質問しづらいですしね。


どうしても乗員さんに聞かないといけないこと以外は、代わって答えてくれる、


元海上自衛官がいらっしゃるととてもありがたいです。


もう、いろんな自衛隊話で花が咲きました


盛り上がってしばらくしていると、高田艦長がご挨拶をされました。



床が青いのは、ドック入り前でビニールシートが貼ってあるからです。


艦内は、全部こんな感じです。


・・・これ、乗員さんたちでやるんだろうけど、こんな大きな艦だと大変だとろうなぁ・・・。


ただ、いろんな艦艇を見て感じたことですが、


いせは、大きい割に艦内は決して広くないです。


当たり前ですが、ヘリコプターを運用するための艦なので、


甲板と格納庫以外は、そんなに広くないです・・・艦橋も通路も狭いです。


それでも、士官室や科員食堂はかなり広いですし、


居住環境は従来のDDと比較すると、格段にいいのは間違いないです。


ちなみにここ、司令公室は隊司令や群司令が乗艦された時の、司令以下幕僚の皆さんたちのお仕事&お食事のお部屋です。


ここに、こんな感じでご用意してあり、席につくと冷たい麦茶が運ばれてきました。


・・・恐縮です・・・。








・・・ところで、今回のいせ乗艦は、私にとってはなんとも奇妙な感覚のものでした。


というのも、士官室の顔ぶれが、前回の洋上慰霊式の時と総入れ替えになっており、


前回久野先生との見学会の時にお会いした、清野副長と通信士以外は、ほぼ初めてみた方だったからです。


・・・なので、なかなか初めて乗艦した艦みたいな感覚になりましたね・・・。


新鮮と言えば新鮮ですが、やっぱりちょっと寂しいような感じです。


艦長さんだけ交代した「いせ」、主要メンバーが入れ替わった「いせ」、を経て、


全員入れ替わった「いせ」となり、なんと言いますか、


ここ2年ちょっとで、早くも艦の歴史を垣間見たような気がします。


そして、その間唯一ず~~~~っといらっしゃるのが、先任伍長さんです。


よく、艦長 → お父さん  先任伍長 → お母さん みたいな感じだと言いますけど、


わかる気がしますし、実際いせの先任伍長さんは、雰囲気もそんな感じなので、


お顔を見ると、なんだかちょっとホッとするような、そんな方です。







司令公室でまったり、みんなでおしゃべりしていると、


出港準備が始まるとのことで、みんなで艦橋に移動しました。


いよいよ出港します