「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

再びの「いせ」へ

2015年06月30日 | 護衛艦いせ
果たしてもう、何度目になる事やら…(笑)


そして、これだけ行っても飽きることはないのが「いせ」。


よく、


「『いずも』ができたから、もう『いせ』には興味なくなったんじゃない?」


とか言われますが、


はぁぁぁぁ???


って感じです(笑)


そんなわけないし


全然関係ないし


「いせ」は初恋の人なので特別なんですよ








さて、この度はなぜ「いせ」に行ったかといいますと、


このブログでも度々紹介した、久野潤先生と行く「いせ見学」というのがありまして、


ちょっと迷いつつも、行く事にしました。


理由は、今回、新しく代わられた副長さんがエスコートだったからです


…実は、この2カ月くらいで、「いせ」の士官室のメンバーがガラッと変わりまして、


艦長以外ほぼ知らない人になっていたんですよね


で、まぁ、前副長さんが新副長さんとは先輩後輩の間柄とのことで、


気を利かせてくれて、私に、お引き合わせ下さっていた方なので、


新副長さんのエスコートならば、ぜひと思い、決断して再度呉まで行った次第です。


「いせ」とのファーストコンタクトから丸2年…士官室のメンバーも一新した、


新たな「いせ」との、新たな関わりが始まるのかなぁと、わくわくして行きました







さて、正門までお迎えに来て下さったのは、


副長並びに、唯一旧知(って程でもない)のイケメン通信士でした


ここからFバースまで、当然ながら歩きます。


毎度のことですが…長い…遠い…


ですが、今回もわりと艦艇がたくさんいたので、歩いていてうきうきでした


まずは、くにさきがお出迎えしてくれまして、続いて掃海艇が2隻いて…その後ろに…



はい、いました~



「いせ」はこの角度が一番迫力があると思いますね~。


個人的には、プロフィールの方が美しくて好きですが








さて、今回は、まず、多目的スペースに通して頂きました。


ここでは、「いせ」についての説明をして頂くのですが、


最初に副長が、艦艇の乗員の教育や艦長についてお話してくれた事が、


個人的にはとても興味深くて面白かったです。


…常々、船乗りさんって、いろんな仕事してるなぁ…専門職のわりに…


と思っていたのですが、まぁ、本当にそうだな、と…


また、錬度を上げるための訓練を日々重ねているけど、


結局、育ったころに異動があるので、完成することはない、という…。


認識していた事実ではありますが、改めて聞くと本当に大変だなと思います。


そして、艦長は眠らない、というお話がありました。


この事は、以前、ある潜水艦の艦長さんからも聞いていたのですが、


艦って、艦長の許可がないと動かす事が出来ないので、常に、報告とか確認が来るんですね。


なので、トイレにいようがなんだろうが関係なく報告が来る、という状態


今回、副長曰く、


「とにかく、ず~~~~~っと起きています」


とのことでしたが、いや、ほんっとに相当精神肉体共にタフじゃないと、


絶対に艦長とか無理だと思います…。


実際は、全く眠らないのではなく、仮眠はされるようですが、熟睡はできないみたいですね。


そうだよなぁ…。


そんな話を聞いて、いせ艦内の説明を聞いた後、


「百聞は一見に如かず」


ということで、艦内見学へ。








この後、士官室に行ってから、艦橋に上がりました。



せっかくなので、久々に撮影。


そして、おなじみエレベーターからの~



甲板


あえて、このアングルで撮ってみた(笑)


ここでは、洋上給油に使うホースの説明を聞きました(マニアック(笑))


海上自衛隊は、日中だけでなく夜中でも、ベタ凪でなくてもどんだけ荒れていても、


洋上給油をやってのける、という世界屈指の洋上給油技術を持っているんですよ~


…というようなお話を聞いていたその時、見学者の一人から、中国の錬度についての質問があり…


「洋上給油については、以前は、中国は全くできなかったのですが、

 最近、日中の波が荒れていない時に洋上給油を外洋で行っているのが確認されています」


とのことで、中国の錬度はバカにできないスピードで向上しているようです。


うかうかしていられませんね…。






そしてこの後、艦内神社をみんなで参拝して、


最期は、多目的スペースに戻って、舷門から上陸します。


いせの舷門には、こちら



伊勢神宮の御用材(欅)に掘られた、鷹司大宮司の揮毫があります。


…「いずも」就役以降、「いせ」は、大きさとしては海上自衛隊一の座を譲ったわけですが、


その名に頂く伊勢神宮は、まぎれもなく日本で最高位のお宮です。


私は、実はまだ伊勢神宮には参拝に訪れた事がありません(今年、逃しました(涙))


来年は、行く事を決めています。


今から楽しみです


舷門を後にして、みんなで記念撮影。



さて、私はどれでしょう~?(笑)


この日は、お天気にも恵まれすぎるくらい、恵まれていたのでよかったです。


…今回、副長さんのエスコートは、色んなお話を交えて下さったので、


何度も訪れている艦なのに、とても新鮮な気持ちで見学できました。


お忙しい中、本当にありがとうございます







この後は、みんなで、海軍定食なるものを食べに行きました。



戦艦霧島の再現レシピの、鯨のカツです。


おいしゅうございました~。


こんな感じで、徹夜明けの私の呉の旅は終わりました。


7月は呉に行けないので、8月までちょっと我慢…。


あぁ、8月が待ち遠しいよぅ~











りっくんランドと本社にて

2015年06月25日 | 防衛省




お待たせいたしました~。


しっかりと、リフレッシュして参りました


…なのですが、横須賀に行ったわりに、


艦艇は一切見ていないので、そこはちょっとフラストレーションなのですが(笑)


何をしに行ったかといいますと、某元艦長さんにお会いするためです。


そんなわけで、諸事情あり、時間もなかったので、艦艇は一切見ていません。








その翌日は、朝霞駐屯地に行ってきました


目的は「りっくんランド」ではなく、


さるステキな一等陸佐殿に、久しぶりにお会いするためにお邪魔しました


お忙しい中、お時間をいただけて感謝です


しかも、お忙しいのにお迎えとお見送りをして下さったの~


自衛官って、本当に紳士が多いですよね


そしてこの時、色々お話伺っていて、軽く衝撃的だったのが、


「朝霞駐屯地」という名前のわりに、住所は東京都という事実(笑)


かなり、えぇぇぇぇ~~~?!でした(笑)


ようは、埼玉県と東京都が混在する場所にある朝霞駐屯地は、


総監部が所在する場所が住所なのだそうです。


なるほどね~。


お忙しかったので、滞在時間は30分ほどでしたが、本当にありがとうございました


その後、もちろん、りっくんらんどにも行きましたよ



展示されている、コブラさん。


ここ、二回目なので、今回あんまり写真とっていません(笑)


ちなみにココは、なんと、迷彩のコスプレをさせてくれます


当然、やるよね


でも、今回は2回目なので、やってません。


前回の、初訪問の時にやりましたよ~、コスプレ



はい、コブラさんの前で、珍しく自撮りなどしてみました。


これ、FBにUPした時、かなりの自衛官から、


「こういうWACいるよ~」


というコメントが入りましたね…(笑)


うん、いそうだなって、私も思った(笑)






あとは、大型スクリーンで、総火演の映像が流れていたので、


何の気なしに目をやると、


ちょうど、私が大好きな曳火射撃のシーンではないの


ここでもちろん、いろいろと曳火射撃について質問しました。


私、初めて知ったんですけど、あれって、


計算する人と、標準を合わせる人と、撃つ人の三位一体攻撃なんですね!!!


す~ご~い~


この話を聞いて、ちょっと「おお…艦っぽい」と思った私。


こういう、三位一体の共同作業が、なぜか私大好きなんですよ


あとは、「死のダイヤモンド」のお話も聞きました。


総火演夜の部では、照明弾(?)をダイヤモンドの形にして観客に見せるようなのですが、


それは、観客向けに「地面に垂直に縦にして」行っていて、


本来は、「地面に平行に横にして」行われるものなんだそうです。


それは、夜戦中の敵を発見するための物で、自分たちの頭上にそれが見えた時は、


死を覚悟しないといけないので「死のダイヤモンド」と呼ばれているんだそうです。


こういう話を聞くと、やっぱり自衛官は、


こういう、死を覚悟せねばならない状況を想定することがあるのだということを、


改めて認識します。


こういう状況が現実にならない事が一番望ましいのですが、


そのためにはある程度、自分たちの力を強くしておく必要性があることは間違いないでしょう。


…こういうお話も聞けたおかげで、短い滞在時間でしたが、


とても充実した時間になりました







最終日は、久々に本社にお邪魔しました。


なんのこっちゃ?という方のために補足説明しますと、


市ヶ谷=防衛省のことです。



A棟の18Fスカイラウンジにて、久々のランチを頂いてまいりました



ボリューム満点です。


この日は、空幕の某二佐の方とランチさせて頂きました。


楽しかったです


楽しい時間って、あっという間ですよね…。


帰り、門の外ではツアーの方たちがたくさんいました。


あ、スタバ行けなかったのが残念…。






と、まぁ、こんなかんじでリフレッシュして参りました~


久しぶりにゆっくりしましたね。


気分もすっきりしましたし。


待っていて下さった皆様、ありがとうございました


感謝をこめて。





ブログ更新お休みのお知らせ

2015年06月16日 | 日記
いつも、拙ブログをご訪問下さってありがとうございます。


申し訳ございませんが、


しばらくブログを更新をお休みさせて頂きます






早くて来週の水曜日くらいに、遅くてその翌週…に更新します。


週末は横須賀、東京に行きますので、これで気分転換ができるかな~と(笑)


そしたら、気持ちよく復帰いたしますので、お待ち頂けるとうれしいです。


いつも、皆さまの応援に支えられています


本当にありがとうございます。


楽しい記事をお届けできるよう、楽しんでまいります


あっ、今日はFMラジオの放送があります。


2100時からですので、よかったら聞いて下さい


PC、FLASH PLAYERがインストールされているAndroid携帯は

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九州→FMからつの下のスピーカーをクリック

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「ペルシャ湾の軍艦旗」

2015年06月09日 | 本の感想

自衛隊の海外派遣に関する議論で、国会は揺れておりますが、


そういう今だからこそ、ぜひとも読んでほしい一冊の本があります。


「ペルシャ湾の軍艦旗」





一度、FM番組内で取り上げましたが、


実は、ブログできちんと記事にしたいとずっと思っており、


今回、ようやく書くことができました。









この本は、自衛隊が初の海外派遣を行った、湾岸戦争後の機雷除去の任務にあたった、


海上自衛隊機雷掃海部隊の詳細なドキュメンタリーです。



1991年4月26日、部隊は出港の日を迎えた。派遣の大義名分は戦争ではなく、平穏な海を取り戻すための

平和目的―しかし、掃海の任務につくものからすれば、いささか違う。依然として恐るべき破壊力を持った

機雷と戦う掃海屋にとっては、戦場に赴くも同然であり、当然被害を想定しなければならなかった。
(本書裏表紙より)




久しぶりに、読んでよかったと思った本に出会いました。


この本は、今でも付き合いのある、中学生時代の社会科の先生から頂きました。


自衛隊に興味をもたれた先生は、自衛隊の事をもっと知りたいと思い、


この本を手に取られ、読み、


「自分がいかに自衛隊について知らないできたか」


ということに、改めて思いを致されたとのことで、


ぜひ、私に読んでほしいとのことで、手渡してくださったのです。










湾岸戦争において、日本は国際評価を著しく下げることになりました。


「お金出して、命を出さない」


と、諸外国から大きな非難を受けたのです。


また、中東に駐在していた企業は、戦争が始まるや否や、ただちに従業員を帰国させ、


日本人だけが中東からいなくなったのだそうです。


「日本は、憲法で戦争に加担しないと決まっているので、戦争に加わりません」


と、言ったところで、単に無責任で自分勝手だと思われるのは、当然です。


日本企業は、国家ごと大きく信用を失ないました。


かつてイラン・イラク戦争の時、自衛隊に代わって、ペルシャ湾を航行する日本のタンカーを、


米海軍やNATOの海軍が護衛してくれたのですが、


その時の彼らの心中は、実際に掃海部隊の海上自衛官に向けられました。


「自国のエネルギー源の70%を中東に依存している日本のタンカーを守るため、

 なぜ、アメリカやその他の国の若者が危険に身をさらさねばさならないのか」


腹に据えかねた、司令の落合一佐が


「日本人は130億ドル、国民一人当たり1万円払って国際貢献している」


と反論したところ、


「国民一人当たり1万円か。ニアリ―イコール100ドル。100ドル払えばペルシャ湾に来なくてすむのなら、

 今ここで100ドル払ってやるよ」


と切り返され、言葉に詰まる場面が出てきます。


また、現地に駐在していた企業の民間人は、


「なぜ日本の海軍はこないのか?」


とアラブ人から聞かれて、忸怩たる思いを抱えていたのですが、


初めて海上自衛隊の掃海艇と、艦尾にはためく「軍艦旗」を見た時の感激はいかばかりだったでしょう。


ここで書くまでもありませんが、自衛隊が自ら意志で、海外に行かなかったわけではないし、


海外のみならず、現在、小笠原などの離島に派遣できないのも、自衛隊が離島を見捨てたのではありません。


海外派遣であれ、国防であれ、充分に高い水準で任務を完遂する能力と意思を持っているにも拘らず、


あらゆる行動の制限の中で、手足を縛られたような状態で様々な任務についていらっしゃる現状を知ると、


中国を利するためのエセ平和主義論を声高に主張する、左野党に憤りを禁じ得ません。


そんな中でも、粛々と自分たちに与えられた任務を完遂され、


国際的に地に落ちた日本の信用を回復しただけでなく、世界で最も高い評価にまで上げてくれた自衛隊には、


感謝と尊敬の念しかありません。











その、国際貢献の第一歩が、このペルシャ湾における機雷除去なのです。


通常、掃海部隊は三隻で掃海作業を行いますが、数か月(終わりが未定)ということから、


長期に渡って作業可能なように4隻の編成で行われました。


「ひこしま」「ゆりしま」「あわしま」「さくしま」


掃海母艦「はやせ」補給艦「ときわ」が選ばれました。


小さな掃海艇でペルシャ湾には行って帰ってくるだけでも、相当困難なことです。


また、当時は、潜水艦「なだしお」事故の海難審判の一審が終わろうとしていた時だったので、


特に自衛隊に対する風当たりがひどく強かった時代でしたから、当時の広報官も相当な苦労をされていたようです。


…派遣部隊の人選が決まり、出港するまでの件は、平成の話とは思えない、


大東亜戦争時代の出兵と同じような緊迫感がありました。


なにをどう取り繕おうと、この派遣部隊は当事者にとっては「出兵」と何ら変わりがなかったことが分かります。


「二度と帰ってこれないかもしれない」


という思いを抱いていた方が、少なくなかったのです。


派遣の大義名分は戦争ではなく、平穏な海を取り戻すための平和目的

―しかし、掃海の任務につくものからすれば、いささか違う



その理由は、ミサイルはもう飛んでこないし、人間も銃を撃ってはこないという点で、戦争は終結しているが、


海中の「機雷は戦争を止めていない」ので、


掃海部隊にとっては、戦争は終わっていないので、戦地に赴くのと何ら変わりがなかったのです。


また、こんな話もありました。


灼熱の太陽の下、航海における最も過酷な任務は艦首見張りで、かつ、万が一触雷でもした場合、


最も命の危険がある配置なのだそうで、この勤務を、国内では当直に立つことのない先任海曹たちが、


進んで引き受けられたのだそうす。


「若い者は、我々より長く生きる権利がある。そんな彼らを先に死なせるわけにはいかない。

 だから、危険な艦首見張りは我々が引き受けよう」



帝国海軍魂が、平成の時代まで途絶えずに脈々と受け継がれていることを感じました。











ここで、海外派遣における自衛隊の武装について書きます。


海上自衛隊の元々の部隊編成プランでは、掃海艇は6隻、護衛艦を2隻つけるものだったそうですが、


「戦闘艦の派遣は不可という、国内の世論によって削られた」


のだそうです。


ほぼ丸腰と言ってもいい掃海艇の頼みの綱は、掃海母艦「はやせ」の3インチ砲のみとなりました。


「護衛艦がダメなら、せめて補給艦「ときわ」にヘリコプターを搭載してほしい」


と頼んでも、却下されたのだそうです。


理由はただ一つ、派遣部隊に軍事色が強すぎる印象を与えかねないという、決めて非論理的なものです。


無知で感情論だけの主張が、いかに自衛隊を危険にさらすものであるか、お分かり頂けると思います。


これよりあと、陸上自衛隊のPKO派遣が決まってからも、


「一人につき、銃を1丁だけ持たせるか」が、2丁まで持たせるかが議論になっていましたが、


甚だバカげた議論だと言わざるを得ません。


そして、こういうバカげた考えを持ちだしかねない内局の支配下に、


自衛隊を置かない事ことが、自衛隊を危険にさらさない手段を撮り得る最善の策だと考えます。


「私服組と制服組」を並列に置く意義は、まさしくここにあると考えます。


左に傾いた野党連中は、


「危険だから、派遣しなければいい」


という思考ですが、先も申し上げたように、国際社会から孤立するわけにはいかない以上、


もはや、自衛隊を派遣しない、という選択肢はないのですから、


危険な場所で、自分たちを、きちんと守れるための準備が不可欠です。


また、このペルシャ湾であれ、南スーダンやカンボジアであれ、


非武装地帯だからと、安全と言いきれる場所などないことは、まともな推察力を持っていれば分かることで、


だからこそ、必要な法整備をした上で、必要な武器を持たせて、送り出さねば危険なのではないでしょうか?


そう考えると、勘違いした平和主義で軽武装で危険な場所に赴かされることが、


どれほど危険なことか、想像するに難くないでしょう。


そもそも、海外の、正規軍であれ民兵であれ、民間人であれ、


「自衛隊は軍隊ではない」


と認識している外国人って、どれほどいるのでしょうか?


上記に挙げたように、諸外国から見たら、


海上自衛隊ではなく「日本海軍」という認識であり、そしてそれは、決して忌避されるものではないのです。


現地の新聞には「日本海軍来たる」という見出しが出て、港で、艦尾に翻る旭日旗を見た時に、


「これでやっと国際社会の仲間に入れた」


と、肩身の狭い思いをしていた現地日本人に勇気を与えたのです。


これが、国際社会の現実です。


イギリス人やインド人の友人も一緒になって、


「よかったな日本海軍が来るんだな


と喜んでくれたそうなので、国際社会における「日本の軍隊に対するアレルギー」とやらが、


いかに幻想で、それが特定アジアの日本を抑え込む戦略でしかないかということを、


いい加減、日本人は推して知るべきではないでしょうか。


結局、護衛に関しては、米海軍に頼ることになり、ヘリが必要な時も、


ヘリを搭載していないので米軍のヘリを借りるほかになく、それは、


「同じNavyの指揮官として、いささか落合一佐のプライドを損なうものであった」


ことは、「いささか」どころではないかと思います。


現在、集団的自衛権にかんする議論で、掃海部隊の派遣が挙げられていますが、


実際派遣されるようなことがある場合、よもや、このようなことはないだろうと思いたいものです。










この本を手に取った時、


海上自衛隊のことについて書いてあるにも関わらず、


「軍艦旗」


と書いてあることが疑問だったのですが、


帝国海軍時代と同じ旭日旗である自衛艦旗は、軍艦旗であるに違いなく、


海上自衛隊は、海外においては海軍と認識されるのは自然なことであろうと思います。


呼称がどうであれ、海上自衛官の中に、自分たちは帝国海軍の末裔なのだという誇りが受け継がれていること、


それが理屈抜きであることを、毎朝の自衛艦旗掲揚時に垣間見る思いです。











今回あまり触れませんでしたが、


ペルシャ湾で行われた機雷除去の様子は必見です。


「事実は小説より奇なり」


全てが事実であり、脚色が一切行われていない話であることに、驚くばかりです。


そしてこの本は、自衛隊の海外派遣の重要性を認識することができ、


海外派遣における法整備と武装の必要性について認識することができ、


日本の機雷掃海技術の高さを知ることがでる、素晴らしい一冊です。


自衛隊の問題に国内が揺れている今、ぜひ、読んでみられてはいかがでしょうか?






















護衛艦あしがら体験航海記  ~出港編~

2015年06月03日 | 海上自衛隊
我々が上陸した後、午後からは洋上慰霊式が行われる体験航海がありました。


が、この日、天気はいまいちで、午後の洋上慰霊式が危ぶまれており、


艦長さんとお話させて頂いた時に、


私「せめて、雨が降らないといいですね…」


艦長「そうですね。雨が降ると格納庫になるので、弔銃は構えただけになりますからね…。

   みんな、一生懸命練習したんですよ~」


私「そうですよね…」


あしがらは、訓練を終えてそのまま博多港に来てくれていたので、


訓練も行いつつ、洋上慰霊式の立付も行われていたようですから、


せっかくなので、弔銃は発射してほしいなぁ…と思っていました。


昨年末の「いせ」での、格納庫内の洋上慰霊式を思い出しましたよ


…ですが、なんとかお天気は持ったようでした


よかった~


午後は私は乗艦していませんので、お写真だけ。


(※参加者の知人より頂きました)


上陸前に、岩崎司令とお話した時、


「この前の筥崎宮での、日本海海戦記念行事の時、
 
 663年の白村江の戦いから話が始まったのには驚きました(笑)
 
 ですが、確かにその時代から、元寇、日本海海戦と、

 国を護るということが続いてきて、我々はそれを受け継いでいるのだということを、改めて認識しました」


と仰いました。


慰霊式では、このお話に続いて、こう締めくくられたようです。


「日露海軍軍人の英霊に哀悼の誠を捧げるとともに、海洋国家日本の平和と安全を守るために任務を全うしたい」


今、重要な、国防に関する法案の採決をめぐって国会は紛糾していて、


日本の国防を強化するための法案ですから、民主・共産・社民は、潰そうと必死。


断言しますが、別に戦争するための法案でも、積極的に自衛隊を危険にさらすための法案でもありません。


「海洋国家日本の平和と安全を守るために任務を全う」するために、必要な法案なのです。


護りたくても、現状では護ることができない状況があり、忸怩たる思いを抱えている自衛官がいるのも事実。


日本を真の独立国家にしたい、というのが、安倍首相の願いではないかと思います。


自分の手で、自らの国を護れない国は独立国とは言えません。


そして、その当然の権利を日本は奪われているのです。


自分の手で、自分を護る権利が奪われているのです。


世界中の、日本以外のどの独立国も当たり前のように持っている権利が、日本にはないのだから。












国防を軽んじる考えが主体になると、


当然、国防に携わる自衛隊も軽視されます。


今回、あしがらが寄港した博多港は、


なかなか左風が強い港のようでして、


商業使用が主目的の港だからと、なかなかの風当たりを喰らわしてきますね、自衛隊に。


以前、ミサイル艇が来た時もひどかった…。


出港が予定より30分も早まったんですよね。


理由は、今から民間船が入港して来るから早く出て行け、ということでした。


ふ・ざ・け・ん・な


今回のあしがらも、当然出港は翌日だと思っていたんです、私。


いつもそうだから。


そしたら、もう、その日に出港しちゃうって聞いて、びっくりしました。


まぁ、早く出て行けってことなんでしょうけど…


あのさぁ…あんたたち(民間船)の航路の安全って、誰の手で護られてると思ってんのよ?!


スエズ運河を安心して通るために、誰に護ってもらってると思ってんのよ?!


それなのに、自衛艦とすれ違う時に敬礼もしない、


でも、護ってもらうのは当たり前だと、居丈高に主張だけはする…。


…戦後のゆがめられた軍のイメージで、


軍隊・軍人は威張っている、というのがありますけど、逆じゃん


民間人なら、自衛官に対して偉そうにしていいの?威張っていいの?


自衛官って、そんなに民間に遠慮しなきゃいけないの?(ノ_-。)


…すみません、興奮してしまいました。


でも、悲しくなる…。








そんなわけで、


すごく厳しい「ソーラス条約」の港ですので、


出港のお見送りと言っても、もう、我々は立ち入りは絶対にできません。


見送るといっても、博多港ターミナルの展望デッキから、


どうにか見えるくらいです。


なので、岸壁からのお見送りは、舫いを外しに来た地本の皆さんだけ…。


ちなみにこの日は、下関にトルコ海軍のフリゲート艦「ゲディズ」が寄港しており、


ホストとして、海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」も来ていましたから、


この体験航海の後、下関まで行った強行軍の方々も少なくなかったようですね。


この下関は、博多港とは真逆で、とても自衛隊に優しく好意的な港です


例え岸壁にいられなくても、体験航海をさせていただいた艦のお見送りがしたかったので、


翌日だろうが、当日だろうが、出港のお見送りをさせて頂くことを決めていました。


…そして、カメラマンのむらさめくんと、展望デッキに出ましたら…


なかなかのドシャ降り…


みょうこうの出港の時は、吹雪いてて、今度はドシャ降り(笑)


しか~し、その中で二人で、2時間以上待ちました…


なぜかというと、地本の方に聞いた出港時間が1645でして、その時間に合わせてきたから。


そしたら、艦内で聞いた1800の方だったんですよね…


一応、早い方に合わせて行くでしょう?(笑)


そんなわけで、ドシャ降りの中、待ちました。



…甲板、艦橋共に、人影なし…


「出てこないねぇ…」


「そうですねぇ…」


を、何度つぶやいただろう(笑)


「やっぱ、1800時なんかねぇ…」


「みたいですね…」


それから、か~な~り~して、ようやく、


「あラッタルしまい始めた


と思ったら、それからが長かった…


「タグボートも来ないねぇ…」


「来ませんねぇ…」


それにしても、この時の視界の悪さは超絶でした。


いきなり霧の中から船が現れたってかんじで、


こういう状況だと、見張りの人とか相当緊張すると思う…


この前の吹雪の時もそうだけど、この日みたいな天候の悪い日だと、


吹雪こうがドシャ降りだろうが、視界が悪かろうが、関係なくお仕事をされていることを、


肌で感じることができるので、私はわりとこういう日に見るのは好きです。


「こんな日も、皆さんこうやってお仕事されているんだな…」


と、しみじみ思いながら見ていました。


…しばらくすると、ようやく、ようやくタグボートが来ました。


車で待機していたらしい、地本の方たちも出てきて雨の中出港に向けてのお手伝いが始まりました。


舫いが一本、また一本外されていって…


出港ラッパが鳴り、最後の一本が外され、出港しました。



この日、岸壁には地本の方たち数人だったので、帽振れはあるのかなぁ…


と思っていたら、見えました帽振れ


ここからは、手を振っても絶対に分かんないと思うけど、手を振りました。


「今日、ステキな時間を本当にありがとうございました」って。


そういえば、この時点で、雨脚はずいぶん弱くなっていて、ほぼ上がっていました。


出港の時に雨が上がってよかったぁ~


視界もさっきよりはマシになってるし、少しは、出港しやすくなってるのかなぁ…





あしがらが正面を向きました。



タグボートがよいしょ、よいしょ、せっせとお手伝い





見よ翻る自衛艦旗を
(むらさめくん、お手柄

…もう、胸が熱くなります…(ノ_-。)



ゆっくりと、ゆっくりと、溶け込むように進んで行きました。



訓練からそのまま、この体験航海に来て頂き、天候の悪い中2回も体験航海をされ、


視界の悪い中、母港へと帰港して行かれました。


たくさんの楽しい時間を、本当にありがとうございました。


また、皆さんにお目にかかれる日を楽しみにしています