「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

「永遠の0ゼロ」を読んで

2013年09月21日 | 本の感想
「海賊と呼ばれた男」に続き、


百田直樹のデビュー作にして、超ロングベストセラーの名著、


「永遠の0ゼロ」を読みました。


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まず、


架空の話とドキュメンタリーの混ぜ方が絶妙!!


なので、読んでいて自然にぐいぐい引き込まれていきます。


もうひとつ、この作品が絶妙なのは、


思想的なバランスのよさです。


左にも右にも偏りすぎていないので、安心して読めました。


太平洋戦争当時の書物を読むときに注意が必要なことがあります。


どちらか(主に左側)の思想に誘導しようとする意図が明確なことが多いので、


その辺を理解して読まないといけないことです。


私は、TVをみてもなんらかの記事や本を読む時でも、


それらは、どんなバイアスがかかっているかを注意深く読み取るクセがあるのですが、


この「永遠の0」は、(「海賊~」もそうでしたが)


バイアスが見受けれないという点で秀逸だと思いました。


極力、史実をありのままに伝えようという気持ちが、


読んでいて伝わってきます。


ですので、戦前の日本を美化していなければ貶めてもいません。


そういう点で安心して読めるので、


幅広く様々な人に読まれ、


8年もたってなお、ベストセラーであり続けることができるのだろうと感じました。









この本が、


ジャーナリストとしての腕がいかんなく発揮されていると感じる、


大きなポイントは、


この話は、主人公の祖父:宮部について、


宮部と関わりがあった人々に、


インタビュー形式で宮部のひととなりや、


その時の出来事について少しづつ展開していくことろです。


最初、宮部という人物について、大きなマイナスイメージをもたせてから、


少しづつ少しづつ、


彼の真実に迫っていく様子が、本当に見事でした。


ページの半分近くまで読み進めると、


もはや、最後まで一気に読み終わらずにはいられなくなってしまいます。










もちろん、すばらしいのは構成だけではありません。


内容もまた、素晴らしいのひと言につきます。


宮部という人物が少しづつわかっているのに連動して、


この戦争がどのような戦いだったか、


ある種の人には理解不可能な「特攻隊」とはなんだったのか、


「特攻隊」は何を思って自らの命を捧げたのか、


その全容がはっきりと見えてきます。


同時に、


切なさや悲しさ、悔しさ、怒りなどの様々な感情が込上げてきます。


この時代は、


ほとんど全てのことにおいて「否」という権利が認められていないということは、


周知のことと思いますが、


「死ね」と言われて拒否する権利がない、ということがどういうことか、


現代に生きる私たちには、想像しようとしてもできるものではありません。


ですが、


この時代の兵士たちは、


徴兵されたのなら、戦わねばならないのなら、死なねばならないのなら、


せめて無駄死にではない死に方をしたい、と思っていたのです。


ですが、ここに登場する「宮部」という、秀逸した天才パイロットは、


敢然として、「否」といい、


「死にたくない、生き続けたい」と口にします。


彼は、実在の人物ではないのですが、


実在でない宮部だからこそ、当時の兵士たちが、本当は思っていても言えなかったこと、


あるいは、疑問にすら思っていなかったことで彼らの奥底に潜む何か、を、


代弁することができたように感じました。


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こう敢然と口にすることが、許されなかった時代なのです。


ですが、執着とすら言える生き抜くことへの思いの強さが、


彼を天才パイロットにしたのでしょう。


簡単に命を捨てること、無謀、猪突猛進は勇気とは言わない、


それが、実在した「撃墜王」と呼ばれている名パイロット達をみても


よくわかります。


空戦で生き延びるには、かなりの集中力と勇気と忍耐力と、恐ろしいまでの注意深さを必要とすることは、


戦闘機に詳しくない私でさえも、容易に理解できました。


日本には、米国から恐れられた、極めて優秀なパイロットが多数いたのです。


米軍のエースたちが、一度は誰もが撃墜された、


というような猛者が日本にはいた、という事です。


ここで、おや?と思いませんか?


「一度は撃墜された」というフレーズは、日本人なら、奇妙に聞こえると思います。


撃墜=死が一般的なイメージだからです。


そう、米軍と日本軍の最たる違いはまさにここです。


日本の敗因は枚挙にいとまがないくらい、様々あるのですが、この点は非常に大きいと思います。


作中でも触れてあったのですが、


すなわち、兵士を人間として扱っているか、消耗品として扱っているか、という違いです。


日本の場合、資源の確保が非常に困難であることが、恐らくそういう土壌をつくったのでしょう。


武器を作るにも、戦闘機や戦艦を作るにも、莫大な資源と高度な技術が必要、なのにない。


何より、戦闘機や戦艦を動かす燃料である石油がないので、


そこを人的資源…つまり人間で補充しようという考えに至ったのだろうという事は、


わからなくもないのですが、その決定を下した人間、つまり軍上層部は、


自らは安全な場所にて、戦死を玉砕と賛美しながら兵士に死を厳命したわけです。


しかも、ただ戦って死ね、という方がまだしもましであるような、


残酷な人間兵器を考案し、使用し、多くの兵士を無駄死にさせたのです。


余談ですが、私個人は最大の戦犯は陸軍の牟田口だと思っています。


ここまで無能な輩が、なぜ中将の地位にいたのか・・・。


官僚的な組織になると、公務員だろうが民間企業だろうが、


能力があって、本気で国や会社の事を考えている人間は出世できないということは、


世の常なのだろうな、とつくづく思います。


早い話が、日本兵の最大の敵はアメリカと言うよりも、


無能な上官だったと言えるでしょう。


当人達に、当時はそんな認識はなかったと思いますが、


会った事もない敵兵よりも、


無能な上官の方が、よほど憎たらしかったのではないでしょうか。


自らは安全なところにいるくせに、


「生きて帰ってくるな」と命令されるのですから。


対してアメリカは、兵士を人間として扱っていました。


できるだけ、兵士を生かそうとする、様々な安全策がとられています。


「生きて虜囚の辱めを受けるな」という言葉にように、


日本軍では、捕虜になることを禁じていました。


ですが、この事に関して、永遠の0でも書かれていない、とある事実もあります。


実際、全てではないかもしれませんが、


米軍の捕虜になってしまえば、非人道的な扱いが待っていました。


そもそも、この「生きて虜囚の辱めを受けるな」という言葉ができたのは、


日清戦争の時に、清軍の日本人捕虜に対する残虐非道な扱いを見たことにはじまります。


ですが、この言葉を表面だけ見ると、


ただの非人道的な訓令にしか思えません。


ましてや特攻などのような作戦を遂行するのであれば…。


ですが、もともとは、人間としての最後の尊厳を守るために、


下されていたものなのです。


実際、近年でさえも、「アブグレイブ刑務所」のような事があることを考えれば、


あながち、それは間違ってもいないように思います。


思うに、開戦当初~日本がまだ優位だった頃は、


軍記も徹底しており、秩序ある組織として日本軍も機能していたけども、


戦況が不利になってくるにしたがい、もはや軍が機能しなくなったのだろうと推察します。


それもこれも、戦争でもっとも重要な補給を軽んじてしまったことが大きな理由で、


これがないと、ハードウェアも人間も、軍そのものが機能しないということに、


軍の陸軍上層部が気付いていなかったからだと思います。


その証拠に、陸軍は戦死者というよりも、餓死者が多かったのですから。


そのあたり、燃料がないと軍艦を動かすことができない海軍は、


不利さをよく分かっていたのではないでしょうか。


とはいえ、陸軍も海軍ともに、


いたずらに兵士の命を軽んじる作戦行動をとってしまうのですが。


そんな中で、なんとしてでも、


生きて帰ってもう一度、家族に会いたいと思いながら、


亡くなった兵士達の思いは如何ばかりかと、察するに余りあります。


特に、婚約者や、妻や、生まれる前あるいは生まれたばかりの我が子がいる方たちは…。


そんな思いを、口にすることすら許されなかった時代に、


彼らの真の思い、本心を1つにして出来上がった人格が宮部だと感じました。


本当は喜んで戦地に行ったわけでもなければ、死んだわけでもない、


だけど、命令に背くことも許されない彼らは、


戦う理由と死ぬ理由を、


愛する人を守るため、だと思うしかなかったではないでしょうか。


そして当然、


見送る側、送り出す側も、


悲しむことも引き止めることもできないこの時代の女性達は、


きっと、


愛する人が、必ず帰ってくることを信じて、


その事を信じて必死で生き、


子供を守り育てたのだと思います。


その思いは、きっと、どんな姿でもいいから、


生きてさえいてくれればいいから、という思いにちがいないのではないでしょうか。


この時代の女性は、


男性に養ってもらう、という発想は恐らくなく、


必死で支えたに違いないと思うのです。


必ず生きて帰ってくる、という約束は、


悲しいことに多くは果たされいません。


そして、よしんば生きて帰ってきても、


手足を失ったり、失明したりと戦傷を受けることもあるでしょう。


こうなれば、生き残った側も、支える側も、


大きな苦労が待っています。


それでも、私は、見送る立場であるなら、


別れ際にこういって欲しい…。

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生きてさえいてくれればいい、と本当に思います。


そうでないなら、そもそも一緒になるべきではない。


その人の腕がなくなっても、


私の腕があるし、


その人の足がなくなっても、


私の足がある。


それが、どれほど困難な生活であっても、その方がいい。


その人自身が消えてしまって、二度と会えなくなるよりは…。


きっと、この時代の多くの妻たちは、


そういう思いで彼らの帰りを待っていたのではないでしょうか?


ですが、それさえも許されなかったのが、


当時の日本なのです。


その事が、痛いほどに伝わってきたのが、


この本でした…。


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「海賊と呼ばれた男」~日本人の誇りを取り戻す一冊~

2013年09月13日 | 本の感想
読みたい、読みたいと思っていた名著、


「海賊と呼ばれた男」


をようやく読みました~


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とにかく読み応えがあり、読み終えたあと、


日本人であることの誇りが、沸々と湧き上がってくる一冊です。


ページをめくるたびに涙がこぼれ、


こんなに夢中になって一気に読んでしまった本は、


他にありません。


折りよく、読む直前に、門司港に行っており、


出光美術館に行っていたため、予習もできていたので、


とても、臨場感を持って読むことができました。








出光の創業者、出光佐三が

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モデルになっている話なのですが、


ほぼ実話で、


その内容は、「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだと、


思うほど、彼の凄まじい生涯が綴られています。


まず、こんな男が日本にいたのだということを、


知らなかった自分が日本人として許せなく思う、


彼は、それほどの人物でした。


敗戦後、誰もがGHQの言いなりになり、


国内の石油会社は、強大な力を持つ石油メジャーの軍門に下る中、


ひたすら、日本の国益のために一人戦い続けた、


出光佐三という男については、とてもこのブログでは語りつくせません。


ぜひ、皆さまご自身でご一読されることをオススメします。


また、出光佐三(作中では国岡鐵造)だけでなく、


作者の百田直樹自身が


「驚くべきことに、ここに登場する男たちは実在しました」


と言うほど、凄まじい使命感と強さをもった、高い能力をもった男たちが登場します。


私は、もともと歴史を読むのが大好きで


以前のブログにも書きましたが「私」を捨て、


国を想い、忠義に生きたような人物に惹かれます。


…これまで読んだ、古今東西のあらゆる人物の中において、


出光佐三(国岡鐵造)という男は、筆頭中の筆頭にあがると感じました。


凄まじいまでの、責任感と使命感、そして、意志を貫く強さは、


歴史に名を残す、様々な武将や経営者や政治家達の存在を霞ませてしまう…


それほどまでに、圧倒的でした。


さらに、作者自身の言葉通り、


実在していたということが、信じられないほどの、


見事な男たちが登場します。








いづれ劣らぬインパクトの男達の中で、


私が興味が惹かれた人物の一人に、日田重太郎がいます。


禅僧のような飄々とした感じで、いかにも優秀、有能というわけではない、


ちょっと異色の人物ですが、


彼がいなくて国岡商店(出光石油)は存在しえなかったことを考えると、


非常に重要な人物です。


資産家で、お金に一切執着心がない彼は、


通常の常識や固定観念に囚われない


すがすがしい、しなやかな強さを持っていました。


非常に高い美意識を持っていた彼は、


古美術などに留まらず、人間の生き方としての美しさを本能的に知っているような感じでもあり、


容易には言えないようなことを、さらりと言えるあたり、


人間として計り知れない大きさを感じました。









もう1人、日章丸二世の艦長がとても興味をひきました。

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(石油タンカー)


鐵造が、さすがに断られるのでは、と思っていたほど、


後に、「日章丸事件」と呼ばれる、極めて困難な隠密行動を依頼した時の、


「わかりました、行きましょう」と二つ返事で請け負った彼の気概に敬服しました。


この船長は、第二次世界大戦中、物資の輸送で使用された商船の艦長を務めてきた人物ですが、


戦時中、2度も死にかけています。


当時、輸送で使用された商船は、


当然武器がないため、米軍の格好の餌食になります。


戦略的に、敵の輸送艦を叩いて物資を困窮させることは、当然の作戦ではあるのですが…。


(軍の輸送艦ではない、非武装の民間船を躊躇なく襲うあたりが、

 つくづくアメリカだなと、苦々しく思いますね…。)


ですので、輸送を担った民間船の死者は、40%以上にのぼったのだそうです。


海軍の戦死者が10%台だったことを考えると、


いかに大きな犠牲だったかが分かりますし、


この中を生き残った船乗りは、海軍以上の歴戦の勇者といっても過言ではないでしょう。


そんな一人である、日章丸の艦長の、


命運をかけた隠密航行のくだりは、とても臨場感と緊張感のある


この本のクライマックスシーンといってもいいと思います。


本当の行き先を知っているのは、艦長と航海長だけ。


イギリス海軍に拿捕される恐れがある中、困難な航海を行う様子は、


非常にひきつけられました。


最近、海上自衛隊の護衛艦に関われる機会が増えたお陰で、


多少なりとも船に関する知識が付いてきたことも、引き込まれた要因のひとつだと思います。


ですが、実際の船乗りさんだと、もっと臨場感があって読むことができたのだろうな、


とも思い、この本を読む船乗りさんがうらやましくなったりもしました。


この艦長が、隠密行動だっため、奥様にも行き先を告げずに出港したため、


「あとで怒られるだろうな」と思いながら、


「ああ、妻の怒る顔が見たい」と奥様に思いを馳せる場面が好きです。


このひと言に、どれほど奥様に対する愛情が込められていることか…。


…この作中に登場する、魅力的な人物の中に、


彼ら「比類なき男達」を支える女性たちがいます。


鐵造の前妻と後妻、この艦長の妻は、


深い愛情と芯の強さで、ちょっと(かなり?)無謀ともいえる夫を、


細かいことは何も聞かずに黙って支える、


しなやかと表現するのがそぐわしい、


いづれもステキな女性でした。


やはり、素晴らしい男の側には、素晴らしい女がいるものなのだな、


と納得せずにはいられません。


こういう女性になりたいです…。








本当に、凄まじいまでの熱意で全力で仕事に取り組む男達が、


次々に出てくるのですが、


「仕事」という点で、ここまで熱意を持って取り組む事ができるのか、


という壮絶な場面が、


「タンクさらい」です。


燃料に困窮し、喉から手が出るほど燃料を欲していた、


海軍でさえやらなかったほどの過酷な作業なのですが、


それを、悲壮感ではなく、むしろ笑顔で役員から平社員まで、


一丸となって取り組む場面は、


「仕事のなんたるか」を、身をもって教えられたように感じます。


この作業は、直接的な利益は生み出すに至らなかったのですが、


後々になって、計り知れない効果を生み出します。


「タンク底に帰れ」は今でも、


出光では、困難を乗り切る時の合言葉になっているのだそうです。


通常の会社でも、創業期は大変なものですが、


この会社は戦いの連続で、困難(と敵)が襲い掛かってくる量と質が尋常ではありません。


そして、ただでさえ困難な中、


佐三が社員に明言した言葉の中に、


「出光にいる限り、一生、金で困ると思え。進む道が違うなら出光を去れ」


という言葉があります。


にもかかわらず、数々の極めて優秀な男たちが、


文字通り命をかけて、この会社に骨を埋めました。


「黄金の奴隷たるなかれ」


今なお、出光に語り継がれる社訓です。


人は、黄金のためだけを目的に仕事すると、病んでいく傾向があります。


逆に、やりがいをもって、責任感と信念を持って仕事に取り組むと生き生きします。


本来、人間の善の部分は、真摯に職務や任務に取り組むことを楽しむものだと思います。


お金は、生きていく上で必要な便利な道具です。


ですが、この時代以上に、お金が全てで、


お金が力で、権力になっている現在、


「仕事はなんのためにするのか?」


「自分が生きる目的、意味」


を改めて感じさせさせてくれます。


そしてそれ以上に、


自身が目指す「あるべき姿」を妥協せずに「生きる」という事は、


これほどまでに、覚悟と戦いを強いられるものだということも突きつけられたように思います。


ここまで、会社の利益ではなく、真に国益のために尽力した


出光佐三という男…彼に触れることは、


あなたの中に眠っている、


日本人としての誇りと魂を呼び起こしてくれることでしょう。


日本人なら、ぜひ読んで欲しい名著です。

万能な孫子の兵法

2013年06月25日 | 本の感想
東京にいた折、


とある孫子研究会に出席したことがあります。


好きなんですよ、孫子が(笑)


あ、人というより彼の理論がです。


本もいろいろ読みましたが、日本の孫子研究の第一人者、


あの「失敗の本質」の著者の杉之尾先生の講義でしたので、


そりゃ、行くしかないでしょう♪




ちなみに、こちらの先生、


元々、陸上自衛隊でいらしてて、一等陸佐で退官された方です。


先生からメールを頂いた時、初めて目にする文言に、戸惑いました。


曰く、


「先日は白眉の栄に沐し、ありがとうございます」


?????


私は、普通の人比べると、わりと色々知っている方ですが、


さすがにこれはぁ・・・・。


この言葉を初めて目にし、google先生にお尋ねしました。


「相手を敬って、お目にかかれてうれしいです」という意味らしいです。


さすがだなぁと思いました。


余談ですが、


私が知っている、自衛官の方のメールや手紙は、


とても丁寧で品があり、


いわゆるビジネスメールの丁寧さとはちょっと違うものを感じます。


閑話休題。


さて、肝心の講義ですが、


さすがに、わかりやすかったです!


今まで読んだどの本よりも、よく分かりました


ありがちですが、


クラウゼヴィッツ(旧ドイツの有名な参謀。よく孫子と比較されます)の戦争論との対比とかもあり、


めっちゃ楽しかったです♪


や~っぱ、クラウゼヴィッツはなんというか、ザ・西洋人って感じがするなぁ。


好きじゃないです(笑)


この時のテーマは、


費留


とっても珍しい言葉らしく、


この孫子でしか出てこない言葉のようですね。


意味は、簡単に言うと、


「骨折り損のくたびれもうけ」と言うヤツです


ビジネス風に言うと、


孫子は、費用時間両面においてコストがかかって、


利益がない、無駄なことはことはするな!


と、しごくまっとうな事を言っているわけです。


そして、プロジェクト(戦争)をやり始めた以上は、


絶対結果をだせ(戦って勝ち攻め取れ)と言っているのです。








こういう話があるから、孫子は兵法書としてだけでなく、


昨今、ビジネス書としても読み継がれているのでしょうね。


彼は一貫して「不戦屈敵」― 戦わずして勝つ、をBESTとしています。


つまり、


国家が疲弊する戦争はしないに越した事はない、と言っているのですね。


戦争をしないで、敵を屈服させるのが最上の策だという事です。


まぁ、言ってしまえば、戦争ってものすごく不経済ですからね…。


消耗一方ですからね。


これをビジネスにおきかえますと、


無駄に高い広告費ばっかりかけて、


ちっとも売れないような仕掛けはするな、ってな感じでしょうか。


孫子は「利」に徹底していて、


「武力行使三要件」として


「利に非ざれば動かず 得るに非ざれば用いず 危うきに非ざれば戦わず」


と明言しています。







…ここでふと思った。


これ、恋愛でも当てはまるんじゃないかと…

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(これまで、どんな話でもビジネスに着地していたのに、

 孫子で始めて恋愛ネタに!!(笑)おかしい…(--;)そして画像はマイブルーベリーナイツ♪)


え~、つまりですね、


これをひと言で言うと、


「勝ち目のない戦いはするな!」ということですね(笑)


戦争でも、ビジネスでも、恋愛でも、


勝ち目のない戦いを挑んでしまうと、


消耗するだけで得るものは何もない。


痛手を被るだけです。


いわゆる消耗戦というヤツですね。


まぁ、ただ、この3つの中でビジネスと恋愛は、1つの経験として、


人生で1回くらいは、消耗戦を体験してみてもいいのではないかとも思いますが(笑)


ですが、この中でも恋愛は、


気づかないまま消耗戦に突入してしまうケースが多いといえましょう。


つまり、


どちらかが一方的に誰かを好きになって、


相手は一切その人に気がないとしましょう。


その時に、人は二者択一を迫られます。


「あきらめるか、あきらめないか」


このどちらかです。


こんな時、孫子が進めるのは撤退(笑)


勝ち目のない戦いを強いても、心身の消耗は激しいばかりで、


得るものは何もない時間の無駄ですよ、


というわけです。


この時、あきらめない、を選択するとどうなるかといいますと、


相手にとって見ればストーカーと大差ないので、


鬱陶しいだけ。


どうかしたら、相手の事を破壊しかねないので、やめましょうね。


自分が相手を好き、というのは結局は身勝手でしかないのですよ。


その時、相手の幸せというものを考えているのでしょうか?


徹底して相手の幸せ、という事をベースにして考える事ができないなら、


追っかけるべきではない。


そもそも、自分が追っかけなければならない時点で、


勝敗は決しているのだということに気づきましょう。


特に女性は要注意(笑)


ストーカーというのは、※ハープーンミサイルみたいなもので
           (※どこまでも目標物を追いかけていく一発5,000万円のミサイル)

240px-Harpoon_asm_bowfin_museum.jpg
(こんなミサイルです)


追っかけまわすのはいいけど、最終的には相手を破壊するわけだから…ねぇ…。


あ、もちろん同時に自分も壊れてるわけだけど。


でも、こういう恋愛をする人多いよね、昨今。












さぁ、ここで振り返ってみよう!!


自分の仕事や恋愛の傾向は


費留が多くないですか?


これ、


局地的な戦術的勝利を積み重ねていれば、そのうち戦略的勝利に到達する、


と勘違いしてると、陥りやすいです。


恐ろしい・・・絶対、無理なのに。


どういう事かというと、


恋愛で言えば、出会いを求めて合コンや婚活パーティにひたすらでまくる。


自分磨きと称して、様々なお稽古ごとに手を出す。


仕事で言うと、見込み作りと称して、交流会にひたすらでまくる。


とにかくのべつまくなし人と会いまくる。


特に営業なんかやっていると、


そうなりやすいです。


個々の戦術レベルでの勝利 - 例えば、クロージングと置き換えます。


それだけにフォーカスすると、


ちまちました、各個撃破的な手法に偏ってしまいがちで、


時間も費用もかかります。


ましてや逃げられる事もあります。


恋愛の場合、


「結婚」とか「彼氏・彼女が欲しい」という戦術的勝利にだけ眼を奪われていると、


幸せな人生という戦略的勝利を収めるのは難しいでしょうね。


あ、ちなみに私は、戦略的思考も戦術的思考もないまま、結婚して失敗した人間です(笑)


よく言われることですが、


自分の人生にとって、何が大事で何が幸せかをきちんと考えることです。


結婚しないと寂しいとか不幸というのは、


所詮、他人が作り出した価値観です。


結婚はした方がいいとは思いますが、


結婚したい人は、その目的は明確にしましょうね。


「さみしいから」とか「親がうるさいから」とかは目的になりません。


自分の人生にパートナーが必要だと思うなら、


なぜ必要なのか?


自分はどんな人生を歩みたいと思っていて、


だからどんなパートナーと人生を歩みたいのか。


相手は、あなたの人生をヘルプするために存在するではなく、


あなたが、相手の人生をヘルプするためにいるのです。



そう考えると、


どんな人結婚したいか、ではなく、


自分が支えたいのはどんな人か?となると思います。


そんな観点でいれば、きっとステキなパートナーと巡り会うことができるのではないかと思います。


自分を幸せにしてくれてる人、ではなく、


自分が幸せにしてあげたい人を探しましょうね♪

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相手にとっての、最大の幸せは何か、を考えることができたら、


仕事であれ恋愛であれ結婚であれ…場合によっては戦争でさえも、


最大の戦果を挙げることができるように思います。


それが、孫子のいう「戦わずして勝つ」という事なのでしょうね。


この3つの中で、何が勝ちかが、一番あいまいになるのもまた、恋愛です。


執着が生まれやすいのも恋愛です。


一番自分の心の中に巣食う魔が力を発揮して、


理性的な自分を押さえ込んでしまうのも、また恋愛。


だから、引き際を見極めるのも難しい。


結局は、どれだけ自分の理性を保っていられるか、なので、


攻略すべき敵とは相手のことなどではなく、


全ては自分の弱さとの戦いになるということですね。


(恋愛テーマなのに、なんつー硬い話だ(笑)
 …これ読んでピンとくる人ってどれだけいるんだろうか…)






奇跡のリンゴ

2013年04月14日 | 本の感想
ずっと気になっていた本です。


ようやく読みました~♪



この本は有名なので、知っている方も多いと思いますが、


知らない方は、こちらをご覧になってくださいね。


簡単に説明すると、


絶対不可能とされていた、りんごの無農薬栽培を実現化した木村さんの話です。





もう、


久しぶりに、本で泣きましたね。


私がこの本を読んで改めて、


「幸せとは何か?」について考えました。


まず、


これは、絶対リンゴの無農薬栽培は無理!


だというのが常識を、


木村さんは疑うことからはじめたのですが、


これは別に、


リンゴの無農薬栽培に限った話ではないと思いました。







「農薬」は科学の象徴で、


科学の進歩とは、常に古きを否定して何かを加え続けることで、


世の中を便利にしてきたといえます。


我々人間は、その科学の恩恵に預かって来たわけですが、


どうやら、


そろそろ、そのことを見直す時期が来たんじゃないのか・・・。


科学の進歩そのものの定義を考え直す必要があるように思います。


科学の進歩=便利にすること


だろうか?と。


そして、もっと言うなら、


便利になることが幸せなのか?と。







木村さんが無農薬のりんごを作ろうと考えたきっかけは、


リンゴを栽培する時にかかせない農薬によって、


奥様が体調を崩す日が続いたことです。


農薬があるから、リンゴが栽培できる。


しかし、農薬があるから奥様が病気になる。


ここから、


木村さんの壮絶としか言いようのない戦いが始まります。


詳細は省きますが、


すさまじかったのは、


木村さんの観察力と分析力です。


そして、もっともすさまじかったのは、


忍耐力。


無理、これは、どんな困難をも乗り越えた来た、あらゆる経営者でも、


さすがに無理だと諦めたんじゃないか?と思うほどの壮絶な生活・・・。


そんな体験の中で、


悟りの境地にも似た考えにたどり着いていきます。


・・・というか、状況は、


まさしく、釈迦が悟りをひらくに至った苦行と大差ない感じがしましたが・・・。


彼は、


「人知人為は一切が無駄」


とふと気づきます。


私も、読み進めながら感じたのは、


「今、私たちが知恵だと思っているものは本当に知恵だろうか?」


という疑問。


これは、


例えば、江戸時代などの暮らしの知恵などを知る時にも、よく思うことです。









戦後、アメリカの綿密な政策によって、


日本人は、


飽くこのない欲望を追い求めるために生きていくように、


セッティングされてきました。


飽く事のない欲望は、幻想です。


釈迦曰く、


「欲望とは幻想にすぎない、ということを知る事」


と言っています。


幻想なので、存在しないもの、ないものです。


ないものを追い求めるから、苦しい・・・。


ですが、


この幻想=欲望を叶えることが幸せだと巧みに思わされてきました。


その欲望を上手に掻き立てるのが、


マーケティングです。


物事は、常に、


「仕掛ける側」と「仕掛けられる側」の2つに分かれます。


そして、


企業が仕掛ける側とも限りません。


多くの企業は、仕掛けられる側でしょう。


このことは、かのスティーブ・ジョブズの名言、


「人は、何が欲しいかなんて、それを見せられるまで分からない」


という言葉がよく表しています。


S.Jは仏教に傾倒していたので、この事を理解していたのでしょうね。


なので、


よくよく考えてみてください、


あなたが今欲しいと思っているものは、


あなた自身が本当に欲しいと思っているものですか?


TVや雑誌、インターネット、友だち・・・あらゆる「他」からの情報によって、


欲しいと思い込まされたものではないでしょうか?




人は、理想の顔を追い求めて整形を繰り返したり、


借金をしてブランド物を買ったり、


自分を殺して恋人を作ったり、


豊かな生活を夢見て、


人生や生活を犠牲にして仕事をしたりしています。


むろん、


私自身も、です。


ですが、


田舎に帰って、180度違う生活をするようになって、


ふと思ったのです。


何か、今まで信じてきたことと正反対のところに、


幸せがあるんじゃないと・・・。







先ほども言いましたが、


自分や物事を良くするためには、


みんな必死で何を変えたり、加えたりしないといけないと思い込んでいませんか?


木村さんが気づいたことは、


化学肥料というのは、


作物にとって、余分な栄養だということで、


それが原因で、リンゴは病気になったり害虫が寄ってきたりするということ。


これって、人間の身体も同じですよね?(笑)


人間も、本来食べるべきものではないものを食べ過ぎて、病気になっているし、


最悪なのは、人間の場合は、害虫が寄ってくるのではなく、


バランスを崩した人間は、その人自身が害をもたらす人間になってしまうこと。


企業だと、化学肥料と自然肥料の区別がつきにくい・・・。


どちらも、お金だからです。


そのお金が、


外国資本によって賄われているなら、化学肥料だと思いますね。


私見ですが。


この場合、化学肥料と害虫は同一のものと言えるでしょう。


・・・・とまあ、こんなかんじで、


ようは、農作物も、人間も、会社も、


不自然なことをするとうまくいかない


必ず、弊害が起こるという事です。


それが、


自分の欲望を叶えようとすればするほど、


人を幸せにすることと正反対の方向に向うように思います。







同様に、


何かを守ろうとするあまり、害を排除しようという考えを、人は持ちます。


私は、特にこの考えが強いので、


気をつけるようにしています。


ですがこれは、


排除しようとすればするほど、うまくいかないものです。


逃げようとすればするほど、追いかけてくる犬みたいに、


排除したいものが、はびこってくる・・・。


ですが、不思議と、


共存しようと決めたとたんに、物事はスムーズに動き出します。


会社の組織や、部下、家族・・・全てがそうだと思います。




長々と書きましたが、


この本を読んで気づいたことは、


本質はシンプルだという事です。


簡単。


何かを良くしたければ、やりすぎている事、本当に無駄なものを何かを見極めて、


それを引けばいい。


害になると思うものがあるなら、無理やり排除しようとせずに、


粛々と自分で環境を良くしていけばいい。


ただ、


調和するという事を考えていけばいいのだと思います。


そして、


他人の価値観で「幸せ」を求めるのではなく、


自分にとって本当に幸せなことは何かを、


きちんと自分で見つけることなのではないでしょうか?