「『高瀬舟』は読むことの問題が満載」の最終回です。
最初から、結論はあらまし書いていたと思います。
もう一度、整理しておきますね。
要点は語られた出来事である視点人物の羽田庄兵衛のまなざしにも、
庄兵衛を支配する奉行のまなざしにも、
また罪人の喜助自身の意識の枠組みにも収まらない、
それらを超えて、
喜助とその弟の心が一つになって時代を超えて輝く姿を示すこと、
私はそう考えています。
これは研究史上の『高瀬舟』の読み方と、明確に違っています。
例えば、前に紹介した通り、現在使用されている中学校の光村図書の指導書は
『附高瀬舟縁起』で鷗外が語った「二つの大きな問題」である
「財産と云ふものの観念」と「ユウタナジイ」を作品の「主題」と指摘していますが、
これは鷗外の執筆動機であり、これを「主題」とすることは出来ません。
小説には小説の「主題」があります。
そこには小説の〈ことばの仕組み〉である〈仕掛け〉が隠されています。
例えば、冒頭の第一段落を読むと、
第二段落以降、これから「表向き」ならぬ〈裏向き・内向き〉の話が語られると思いきや、
喜助の弟殺しの説明は奉行の捉えた「表向き」の話と同じでしかありません。
つまり、ここにはその点での「表向き」も〈裏向き・内向き〉もない、その双方の話を超え、
幕藩体制の安定した寛政の改革の時代の枠組みを超えていく〈仕掛け〉があったのです。
少しだけ内容に触れます。
そもそも喜助とその弟の二人の兄弟は幼くして両親を喪い、
物心ついた時には、町内の人に助けられて育っていました。
喜助は自らをこう証言します。
次第に大きくなりまして職を捜しますにも、なるたけ二人が離れないやうにいたして、
一しよにゐて、助け合つて働きました。(中略)
牢に入ると、「為事をせずに食べさせて戴きます。わたくしはそればかりでも、
お上に対して済まないことをいたしてゐるやうでなりませぬ。
その喜助は「掘立て小屋」に住んでいた「住所不定」の「三十歳ばかり」の男、
今風に言えばホームレスです。
働いて得る日銭も、「右から左へ人手に渡さなくてはな」らず、
今回の遠島にあたってお上から下された銭二百文は、
喜助が生まれて初めて手にした財産でした。
これをたいそう喜助はありがたがっています。
そもそも喜助には庄兵衛の感服する「財産といふものの観念」の土台がなかったのです。
庄兵衛は一方的に勝手に喜助を偶像視し、感服していたのです。
これが庄兵衛に殺しの動機を「安楽死」と妄想させた所以です。
喜助の意識の底にこれがなければつじつまが合わない、
と庄兵衛は因果の合理性を作り上げていました。
他方、奉行は出来事の表層である喜助の意識を取り調べることが仕事、
誤って殺したことを「心得違い」、過失致死と判定し、喜助の意識は奉行の裁定の中にあります。
ところが、その喜助にとって入牢は申し訳ないほど楽、刑罰を楽と感じる、
司法行政の完全な秩序外存在だったのです。
弟殺しはそこで起こり、秩序の中の人間には喜助兄弟のドラマが見えなかった、
〈語り手〉はここを語っているのです。
〈語り手〉は当時の権威を位置的に「オオトリテエ」とフランス語で呼んで相対化します。
そして、喜助という罪人がその「オオトリテエ」でも裁けないこと、罰を与えたはずが、
かえって喜んでいる姿を描くことで、幕藩体制下の行政機構が法律が
その時代の相対的なものに過ぎないことことをあからさまにしているのです。
弟は「どうせ治りそうもない病気だから、早く死んで少しでも兄きに楽がさせたい」、
そう言います。
自分が病に倒れた今、兄に二人分稼ぐのは無理、このままでは共倒れ、
自殺決行は弟にとって唯一の選択肢なのです。
兄が弟の激痛を取り除こうとして、図らずも誤って弟の喉笛を切って死なせた、
それは兄にとって、自身の内奥を自身で殺す出来事でもあったのです。
つまり、兄と弟は二人で一人、二人の心も一つだったのです。
そして、今度は弟とさらに一体になって、新たな生を生きていくのです。
喜助の目が輝いているのはそのためです。
ここには兄弟愛の極致が語られていて、それは「表向き」〈裏向き・内向き〉も超えること、
これこそ時代を超える普遍的な価値であることを〈語り手〉は語っています。
京都での大正天皇の即位の際の儀式への列席を終え、陸軍軍医総監を退官するに際し、
鷗外は自らが日本で初めて二葉亭四迷とともに誕生させた〈近代小説〉創作をここに終息させます。
『高瀬舟』は『寒山拾得』共に鷗外最後の〈近代小説〉でした。
時代を超えるものを目指しているのです。
最初から、結論はあらまし書いていたと思います。
もう一度、整理しておきますね。
要点は語られた出来事である視点人物の羽田庄兵衛のまなざしにも、
庄兵衛を支配する奉行のまなざしにも、
また罪人の喜助自身の意識の枠組みにも収まらない、
それらを超えて、
喜助とその弟の心が一つになって時代を超えて輝く姿を示すこと、
私はそう考えています。
これは研究史上の『高瀬舟』の読み方と、明確に違っています。
例えば、前に紹介した通り、現在使用されている中学校の光村図書の指導書は
『附高瀬舟縁起』で鷗外が語った「二つの大きな問題」である
「財産と云ふものの観念」と「ユウタナジイ」を作品の「主題」と指摘していますが、
これは鷗外の執筆動機であり、これを「主題」とすることは出来ません。
小説には小説の「主題」があります。
そこには小説の〈ことばの仕組み〉である〈仕掛け〉が隠されています。
例えば、冒頭の第一段落を読むと、
第二段落以降、これから「表向き」ならぬ〈裏向き・内向き〉の話が語られると思いきや、
喜助の弟殺しの説明は奉行の捉えた「表向き」の話と同じでしかありません。
つまり、ここにはその点での「表向き」も〈裏向き・内向き〉もない、その双方の話を超え、
幕藩体制の安定した寛政の改革の時代の枠組みを超えていく〈仕掛け〉があったのです。
少しだけ内容に触れます。
そもそも喜助とその弟の二人の兄弟は幼くして両親を喪い、
物心ついた時には、町内の人に助けられて育っていました。
喜助は自らをこう証言します。
次第に大きくなりまして職を捜しますにも、なるたけ二人が離れないやうにいたして、
一しよにゐて、助け合つて働きました。(中略)
牢に入ると、「為事をせずに食べさせて戴きます。わたくしはそればかりでも、
お上に対して済まないことをいたしてゐるやうでなりませぬ。
その喜助は「掘立て小屋」に住んでいた「住所不定」の「三十歳ばかり」の男、
今風に言えばホームレスです。
働いて得る日銭も、「右から左へ人手に渡さなくてはな」らず、
今回の遠島にあたってお上から下された銭二百文は、
喜助が生まれて初めて手にした財産でした。
これをたいそう喜助はありがたがっています。
そもそも喜助には庄兵衛の感服する「財産といふものの観念」の土台がなかったのです。
庄兵衛は一方的に勝手に喜助を偶像視し、感服していたのです。
これが庄兵衛に殺しの動機を「安楽死」と妄想させた所以です。
喜助の意識の底にこれがなければつじつまが合わない、
と庄兵衛は因果の合理性を作り上げていました。
他方、奉行は出来事の表層である喜助の意識を取り調べることが仕事、
誤って殺したことを「心得違い」、過失致死と判定し、喜助の意識は奉行の裁定の中にあります。
ところが、その喜助にとって入牢は申し訳ないほど楽、刑罰を楽と感じる、
司法行政の完全な秩序外存在だったのです。
弟殺しはそこで起こり、秩序の中の人間には喜助兄弟のドラマが見えなかった、
〈語り手〉はここを語っているのです。
〈語り手〉は当時の権威を位置的に「オオトリテエ」とフランス語で呼んで相対化します。
そして、喜助という罪人がその「オオトリテエ」でも裁けないこと、罰を与えたはずが、
かえって喜んでいる姿を描くことで、幕藩体制下の行政機構が法律が
その時代の相対的なものに過ぎないことことをあからさまにしているのです。
弟は「どうせ治りそうもない病気だから、早く死んで少しでも兄きに楽がさせたい」、
そう言います。
自分が病に倒れた今、兄に二人分稼ぐのは無理、このままでは共倒れ、
自殺決行は弟にとって唯一の選択肢なのです。
兄が弟の激痛を取り除こうとして、図らずも誤って弟の喉笛を切って死なせた、
それは兄にとって、自身の内奥を自身で殺す出来事でもあったのです。
つまり、兄と弟は二人で一人、二人の心も一つだったのです。
そして、今度は弟とさらに一体になって、新たな生を生きていくのです。
喜助の目が輝いているのはそのためです。
ここには兄弟愛の極致が語られていて、それは「表向き」〈裏向き・内向き〉も超えること、
これこそ時代を超える普遍的な価値であることを〈語り手〉は語っています。
京都での大正天皇の即位の際の儀式への列席を終え、陸軍軍医総監を退官するに際し、
鷗外は自らが日本で初めて二葉亭四迷とともに誕生させた〈近代小説〉創作をここに終息させます。
『高瀬舟』は『寒山拾得』共に鷗外最後の〈近代小説〉でした。
時代を超えるものを目指しているのです。