〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

黒瀨先生の文章を拝読して

2022-07-18 16:44:58 | 日記
前回、黒瀨先生の文章を拝読し、感銘を受けたので、その全文をご紹介しました。
何故感銘を受けたのか、それは黒瀨先生には既に、近代小説・童話を読む際、
語られた出来事を読むだけでなく、それを語っている〈語り手〉の〈仕掛け〉を読むことで、
この童話のお話・ストリーを支えている深層構造を読む訓練が出来ているからだなと
思いました。

『注文の多い料理店』を通念で読んでいくと、
「二人の若い紳士」の顔がくしゃくしゃになって元に戻らない、恐ろしい話となり、
これを研究者達は分析・解釈します。

そうではなく、〈作品の仕組み〉、〈仕掛け〉を読み込むことで、
作中に潜んでいる〈作品の意志〉を読み取りましょう。
そうした出来事を仕組んでいる〈語り手〉の〈自己表出〉を読む、
そのためには、語られた出来事のキーワードを読み取る必要があります。

ここでは「だいぶの山奥」という場所が「山奥」と違って、
「紳士」の作り上げた幻想、山猫との対幻想の場であることを読み取ることです。
人が生きるためには常に他の生き物の命を奪うことで生きている、
「山奥」は「専門の鉄砲打ち」、すなわち「専門の猟師」が命のやり取りをして生きる場、
お金はこれを隠蔽する装置です(関心のある人は拙稿の『なめとこ山の熊』論を、
都留文科大学のリポジトリで御覧下さい、さらにはっきりします)。

彼らの住んでいる東京は貨幣経済によって成立している場所、
ここで二人だけが食べることは食べられることという、生命根源の場に行き着き、
その恐ろしさに震え、泣き続けています。
彼らだけが生命の在り方に脅え苦しむ、〈語り手〉はここに二人を追い込みます。
それは生きとし生けるものの定め、誰も逃れられない宿命、これに脅えることで、
彼らは大宇宙に迎えられる、光が投げかけられるのです。

天沢退二郎に代表される現代の文芸批評や文学研究・国語教育での読み方、
これをラディカルに変えていきましょう。

「客観的現実」とい近代の世界観認識を解体することが前提です。
コメント (2)
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