一昨年の十一月、一週間ほどで北京・上海、大連で講演するように言われたのが縁で、
昨年五月は上海の同済大学での学会の基調講演に行き、
そこで出会った西安交通大学の霍士富先生に呼ばれ、
昨年と今年の七月に集中講義に行きました。
今年は三月、上海外国語大学に集中講義の際、
上海領事館で一般の市民向けの初めての講演を行いましたが、
すると驚きました。
研究者ではない中国の老若男女で会場は満員、
教え子の李勇華君の通訳で話したのですが、
その翻訳がきっとよかったのだと思います。
それにしても、講演が終わって、質疑応答に入ると、一斉に手が上がり、
ご質問に答えるのに、なかなか帰れなくて、
全く意外、正直、驚きました。
近代小説とは何か、物語文学とは近代小説は別のジャンル、
魯迅と漱石・鷗外の通路、そんな話をしました。
もともと現在の近代文学研究の学会状況は中国も日本も、
語られた出来事の分析・解釈・注釈・実証が主、
構造分析の物語論・ナラトロジー、ジュネットの方法論です。
私とは原理的に齟齬があります。
私は現在の近代文学研究とは大きくかけ離れて、学会の諸君とは論敵状態にあります。
五月の連休時には西安交通大学で、私の〈第三項〉論をテーマにした研究会が開かれました。
驚天動地、そこで、超アナログの老人がこんなブログを始めることになりました。
昨年五月は上海の同済大学での学会の基調講演に行き、
そこで出会った西安交通大学の霍士富先生に呼ばれ、
昨年と今年の七月に集中講義に行きました。
今年は三月、上海外国語大学に集中講義の際、
上海領事館で一般の市民向けの初めての講演を行いましたが、
すると驚きました。
研究者ではない中国の老若男女で会場は満員、
教え子の李勇華君の通訳で話したのですが、
その翻訳がきっとよかったのだと思います。
それにしても、講演が終わって、質疑応答に入ると、一斉に手が上がり、
ご質問に答えるのに、なかなか帰れなくて、
全く意外、正直、驚きました。
近代小説とは何か、物語文学とは近代小説は別のジャンル、
魯迅と漱石・鷗外の通路、そんな話をしました。
もともと現在の近代文学研究の学会状況は中国も日本も、
語られた出来事の分析・解釈・注釈・実証が主、
構造分析の物語論・ナラトロジー、ジュネットの方法論です。
私とは原理的に齟齬があります。
私は現在の近代文学研究とは大きくかけ離れて、学会の諸君とは論敵状態にあります。
五月の連休時には西安交通大学で、私の〈第三項〉論をテーマにした研究会が開かれました。
驚天動地、そこで、超アナログの老人がこんなブログを始めることになりました。
何か質問があったら、ぜひご連絡下さい。待ってます。
コメントありがとう。
周さんがもうすぐそちらに伺います。
「日本文学」の8月号をお持ちしますので、皆さんで私の論文も読んで、感想を送ってください。
成さんのひたむきさがひしひしと伝わります。
自我を持てと言ったのは、漱石の言う自己本位の自己のことです。いわゆる近代的自我は『舞姫』以来、いかにそれが虚妄であるかは豊太郎=生身の〈語り手〉を語る〈機能としての語り手〉があらわに示しています。ちょっとわかりにくかったかもしれません。
西安交通大学大学院はテイさんにとっても素晴らしい環境だと信じます。一歩一歩進んでいきましょうね。
文学研究に対する並々ならぬ熱意を感じました。
来年はドクターにお入りください。
日本に来られるのを楽しみに待っていますよ。
周さんに火を着けられて、私もブログをやる気になりました。自分でも意外です。
ついしん 先生のブログの次の更新を楽しみにしております。