〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

『女のいない男たち』の『木野』

2022-08-14 10:50:41 | 日記
 今日はお盆の14日ですね。明日は15日、日本の敗戦のこと思います。
昨夜は夕食の後、そのまま横になり、眠りました。
 村上春樹の『女のいない男たち』に収録の『木野』を読み返して『ドライブマイカー』と対照してみると、その難解さに改めて感銘を受けます。『ドライブマイカー』はその点、シンプル、村上が「まえがき」で『木野』に対し、「これは仕上げるのがとてもむずかしい小説だった」と言うのは正直な告白だなと納得します。12日の記事で27日の講座では先に原理の話をし、後半は作品論と申し上げましたが、そうは行かない難解さを感じています。その要に至る細部と全体との関係の並々ならぬ難解さ、感銘・感動の所以です。言葉を呑みました。
 木野とカミタとの関わりを末尾、木野は理解していきます。バーの前の柳の木とカミタと結びついていることで、話の節々が繋がることを知ります。居心地の好い猫のこと、隠れている三匹の蛇のこと、バーを休業して巡礼の旅に出ること、そして熊本の簡素なホテルで次々に起こることの奥の深さに言葉を呑むのです。これら、27日にご一緒に考えませんか。世界観認識の転換、〈第三項〉論の沈黙の課題に至るには、極めて示唆的にして難解です。
 現在大森荘蔵の説く「通念」の世界に読者である我々は、どうしても無自覚な中に置かれているのではないしようか。すなわち、「我々の住む世界は言語以前に存在し、言語はこの世界の様々を表現する記号系である。」と。ここからまず解き放たれることなしに、「近代小説の《神髄》」には向かえないし、その前に本流を追い詰めることも不可能と思います。
 

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