老子の霊訓2 ~無為自然の道~
*レムリア・ルネッサンス推奨局 2008/07/30(水)ブログの記事
http://manucitizen.blog107.fc2.com/category36-1.html
精神世界ランキング
・80 位台?クリックお願いしますね・・♪
(1986年1月31日の霊示) *(K会?の霊言集リスト)
*老子 - Wikipedia *老子道徳経 - Wikipedia
・老子(ろうし)プロフィール~ ≫老子「第一章」道徳経≫
・老子の霊訓1 ~人生とは砂中の宝塔を掘り起こす作業~のつづき
老子 『そうではないのです。すべての人間がそういった心性を身につけているのです。
それを掘り起こすこと、その掘り起こすということもむずかしいことではないのです。埋もれた砂を払い除けるというだけのことです。
こういったことが非常に大切なことなのです。これを私は古代中国において、たとえば今言われているように「無為自然の道」というようなことで説いたのです。
これを人は誤解して、何もしないでいいのだと、ブラブラしろと、悠々自適というふうにとる方も居ります。それは方法論としてある程度当たっているのです。
人間は、たとえばあなた方は毎日、毎日働いておられます。あくせくと働いております。そしてたまには坐禅など組んで魂を洗おうとしているわけですよね。
こういうふうにあくせくする心があるからこそ迷いが出てくるんです。
そういう意味においてはあなた方、たとえば坐禅というようなものはあまり深い意味を持っていないと思っているし、どちらかというと高い評価はしていないようですけれども、心を空っぽにするというそういった修行においてはまた意味のあるものなのです。
埋もれたものを発掘する。あくせくした心を払い除ける。そういう意味ですね。ですからただ、ふうふうと、のんべんだらりとするわけではありません。
意識的に心を解放するということ、こういった教えも必要なのではないでしょうか。
―― ただ一つその場合に、心を空洞(うつろ)というか、空っぽにするということは、一つはこの霊世界の法則として、悪しき霊が同時につけ入ってくるという危険性もあるのではないでしょうか。
老子 ですから空っぽにするというから、そうしたふうな誤解も受けるのですけれども、心の中のぐしゃ、ぐしゃと詰め込まれたものをですね、これを払い出すということなのです。
煤(すす)や埃(ほこり)です。焦りです。いらいらです。不安です。焦燥(しょうそう)です。
こういったもの、あなたも相当持って居られるはずです。こういったものを振り払うということですね。
それは魔がつけ入る隙は全然ありません。逆です。むしろ魔はこうした芥(ごみ)のようなもの砂のようなものについてくるのが魔なのです。
こういったものを篩(ふる)い除けるということですね。そうすれば人間は、その身そのままで、神仏の道を極めたことになるという、これが私の教えであります。
―― そこでいま一つ考えられることは、神仏の教えというものは、既に人間神の子ということで、
本来神の知恵、神の愛、神の光というものを、自身に体して生まれてきたものであると、いうことについては、それはそうでありますが、それを輝かすためには磨きをかけなければならないという教えがあるわけで、
その磨きとは何かということになると、あなたのお教えによれば、払い落とすという作業を指しておられるように思いますけれども、
一方の考えによりますならば、それが修行であり、努力であり、研究であり、その経験をすることによって、己れの本来の神性、光を輝かすことができるのだという考え方があるわけですが、
現代人が理性の上に立って考えられることは、経験により自身の知徳を磨いていくというのが合理的な方法であるように、一般に受けとられているようでありますが……。
老子 これについて申し上げます。
現代人というのは、とかく物事を順に詰め過ぎているのです。本当に必要な知識というものは、そんなに要るものではないのです。
この頭中心の生活こそが、人びとをして苦しめ迷わしているのではないでしょうか。
私の生活は頭から心に、心から肚(はら)に、こういった思考そのものを上から下へと下ろしていくということなのです。
ですから頭で今まであれこれ考えていたことを、まず胸の問題として下ろしてくる。そして肚(はら)に下ろしてくれる。
そして大きな大きな自分の中に何もかも入れてしまって、ポンポンとすべてを、包容してしまう。そして消化して出してしまう。こういった思想なのです。』
老子の霊訓3 ~知者は知に医者は技に溺れ、本質の外を空回りしている~につづく
老子の霊訓2 ~無為自然の道~
老子の霊訓1 ~人生とは砂中の宝塔を掘り起こす作業~
(1986年1月31日の霊示)
*老子の霊訓
http://blog.goo.ne.jp/mirokubunnmei1919/c/d2cc924d3d9f89aec48f5091fb4d1cef
福録
*伊勢白山道「老子の言葉」
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/c/3183d0c611a7972ceca4690825a7e5c3
*老子「道徳経」と伊勢白山「道」道経「1章~37章」
http://417hikaru.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142200
*老子「道徳経」と伊勢白山「道」徳経「38章~81章」
http://417hikaru.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14198436
あまてらスおホ三かみ ミロクさん意おホ三神
[主神] 天照日之大神 様 ・神界・内在神(良心)・愛和塊【心柱】
天之常立大神 様 ・霊界・自我心・相対塊【活力】
国之常立大神 様 ・現界・肉宮身・個性塊【神美】
生かして頂いて ありがとう御座位ます
*【両手を使った完全呼吸法】を行じ身につければ
http://plaza.rakuten.co.jp/mirokubunnmei567/diary/?ctgy=6
集中力・持続力と気配り・忍耐力の【意氣】を強化できます。よ・・世義
魂の発露にとって重要な「思いやり力」を強化させます。よ・・世・・ミロクの世・・大和ごころ波∞無限大
世義幼子http://plaza.rakuten.co.jp/mirokubunnmei567/diaryall
ミロク文明人徳得
http://blogs.yahoo.co.jp/mirokubunnmeizinn/MYBLOG/yblog.html?m=l&p=1
ミロク文明http://blog.goo.ne.jp/mirokubunnmei1919
新しき[神]の国の写し絵、天国地の上に現す
ミロクの世 ミロク文明人 大和ごころを志しての旅は・波・∞無限大∞
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老子 『そうではないのです。すべての人間がそういった心性を身につけているのです。
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こういったことが非常に大切なことなのです。これを私は古代中国において、たとえば今言われているように「無為自然の道」というようなことで説いたのです。
これを人は誤解して、何もしないでいいのだと、ブラブラしろと、悠々自適というふうにとる方も居ります。それは方法論としてある程度当たっているのです。
人間は、たとえばあなた方は毎日、毎日働いておられます。あくせくと働いております。そしてたまには坐禅など組んで魂を洗おうとしているわけですよね。
こういうふうにあくせくする心があるからこそ迷いが出てくるんです。
そういう意味においてはあなた方、たとえば坐禅というようなものはあまり深い意味を持っていないと思っているし、どちらかというと高い評価はしていないようですけれども、心を空っぽにするというそういった修行においてはまた意味のあるものなのです。
埋もれたものを発掘する。あくせくした心を払い除ける。そういう意味ですね。ですからただ、ふうふうと、のんべんだらりとするわけではありません。
意識的に心を解放するということ、こういった教えも必要なのではないでしょうか。
―― ただ一つその場合に、心を空洞(うつろ)というか、空っぽにするということは、一つはこの霊世界の法則として、悪しき霊が同時につけ入ってくるという危険性もあるのではないでしょうか。
老子 ですから空っぽにするというから、そうしたふうな誤解も受けるのですけれども、心の中のぐしゃ、ぐしゃと詰め込まれたものをですね、これを払い出すということなのです。
煤(すす)や埃(ほこり)です。焦りです。いらいらです。不安です。焦燥(しょうそう)です。
こういったもの、あなたも相当持って居られるはずです。こういったものを振り払うということですね。
それは魔がつけ入る隙は全然ありません。逆です。むしろ魔はこうした芥(ごみ)のようなもの砂のようなものについてくるのが魔なのです。
こういったものを篩(ふる)い除けるということですね。そうすれば人間は、その身そのままで、神仏の道を極めたことになるという、これが私の教えであります。
―― そこでいま一つ考えられることは、神仏の教えというものは、既に人間神の子ということで、
本来神の知恵、神の愛、神の光というものを、自身に体して生まれてきたものであると、いうことについては、それはそうでありますが、それを輝かすためには磨きをかけなければならないという教えがあるわけで、
その磨きとは何かということになると、あなたのお教えによれば、払い落とすという作業を指しておられるように思いますけれども、
一方の考えによりますならば、それが修行であり、努力であり、研究であり、その経験をすることによって、己れの本来の神性、光を輝かすことができるのだという考え方があるわけですが、
現代人が理性の上に立って考えられることは、経験により自身の知徳を磨いていくというのが合理的な方法であるように、一般に受けとられているようでありますが……。
老子 これについて申し上げます。
現代人というのは、とかく物事を順に詰め過ぎているのです。本当に必要な知識というものは、そんなに要るものではないのです。
この頭中心の生活こそが、人びとをして苦しめ迷わしているのではないでしょうか。
私の生活は頭から心に、心から肚(はら)に、こういった思考そのものを上から下へと下ろしていくということなのです。
ですから頭で今まであれこれ考えていたことを、まず胸の問題として下ろしてくる。そして肚(はら)に下ろしてくれる。
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*伊勢白山道「老子の言葉」
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*老子「道徳経」と伊勢白山「道」道経「1章~37章」
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ミロク文明人徳得
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ミロク文明http://blog.goo.ne.jp/mirokubunnmei1919
新しき[神]の国の写し絵、天国地の上に現す
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