被爆者も大空襲で家族も家も失った人たち、
あまりの悲惨な光景や過酷な人生を歩いてきた人たち、、、
今まで口に出して言えなかった事を いま語り始めて居る。
人生の終わりが見え始めた、今、語り始めている。
若者よ、どうか、聞いて欲しい。
そして、どうか戦争に行かないで欲しい。
建造中の長崎精霊船

焼け野原に取り残された、孤児たちは本当に悲惨だっただろう。
多分、多くの子が死んでいったことだろう。
食べるものもなく、学歴もなく、仕事もなく、国からの援助もなく、どのように生きてきたか?
国として孤児収容所のようなものは作らなかったらしい。
わずかに、見かねた篤志家が収容して食事を与えたようだ。その数は知れている。
12万とも言われた孤児たちには少なすぎる。
この数も、戦後しばらくしてからアメリカの命令で厚生省が調査したらしい。
孤児たちはこれまでの生き様を、 口に出して言うことはなく黙して生きて来たようだ。
軍人には恩給(年金)が支払われている。
被爆者には原爆手帳がある。
私達、引揚者にも、いつだったか、いくばくかの、お金が支払われた。
空襲の被災者や孤児たちには、国として補償をした事があるのだろうか?
見捨ててきたのではないどろうか。