みち子の長崎絵日記

シニアライフを元気で楽しく輝いて過ごしましょう!

私の昭和20年8月15日

2015-08-15 16:05:53 | Weblog


いま、著名人たちが”私の8月15日”を話していますね。
私も話してみましょう。

その日、私は今の韓国ソウルに居ました。
玉音放送の事は覚えていませんが、みなが戦争が終わった、戦争に負けた、と言っているのが聞こえてきました。
朝鮮人が、騒ぐようなこともなく普通の日常でした。

異変が起きたのは、そのあくる日からで町中にモノが溢れました。
食べるものも着るものも、いったい、これらの物は今までどこにあったのでしょう???
私たち日本人は日本に帰れば、朝鮮のお金はもう価値が無いので、兄弟で市場へ行って食べ物はたくさん買って食べました。
食べ物以外は買いません、買ったところで日本に持ち帰れないからです。

その年の10月の半ばに日本へ帰国したと思いますが、
異変が起こったのは帰国前夜です。
家財道具を持った朝鮮人が、家族で我が家へ入り込んで来ました。
複数の家族だったと思います。

賑やかでしたが別に喧嘩するでもなく、それぞれの部屋に落ち着いたようでした。
帰国して空き家になる日本人の家は、早い者勝ちだったのでしょうか??
私たち家族は玄関わきの部屋で、持ち帰る(持てるだけ)の荷物と一緒に寝ました。

引揚船が博多港に着いたとき、そこは見渡す限りの焼野原でした。
京城(ソウル)では見たことが無い光景でした。