あんまりこういうことをしてはいけないと思うのですが、今回、朝日新聞がトーダルにインタビューした質問のうち、記事に載らなかった質問を公開しようと思います。
朝日新聞の記者さんがした質問というのは、日本人の方がトーダルに対して持っている疑問を代弁していると思うので。
インタビューはマーサのところへメールで送られてきたのを翻訳し、トーダルに電話をして口頭で伝えて、返ってきた返事を日本語に訳してメールにして記者さんに送る、という形を取りました。
Aが朝日新聞の質問。Tがトーダルの回答です。
・・・・・
A 「どうして日本の歌を歌う気になったのでしょうか。」
T 「最初この「月と日」を作る話を聴いたとき、これはとてもおもしろそうだと感じました。それにこの作品の製作を通じて日本の文化について知りたいと思いました。
私のグループの名前はWZ-オルキエストラと言いますが、このWは古いベラルーシ語で東、Zは西の頭文字なのです。つまり、東西オーケストラと言う名前のグループなのですが、どうしてこう名づけたかというと、ベラルーシは東西ヨーロッパの間に位置しているからです。
だから以前、私にとっては東というのはロシアのことでした。
しかし、日本はもっと東にあって、ロシアよりもっとおもしろいと思います。
今はWZ-オルキエストラのWは日本のことだと思っています。」
A「製作中、『日本の人に怒られないか』と気にされたそうですが、なぜそう思ったのでしょうか。」
(参照 HP「ベラルーシの部屋」「月と日 思い出エピソード」)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/2005/episode.html
T「今回初めて外国の作曲家の作品をアレンジすることになりました。つまり、その原作者の考えや、今までこの曲を長年聞いてきた日本人の考えなどが、歌の背景に蓄積されています。
それを編曲者である私一人が壊してしまってはいけない、と思いました。私は日本の歌の背景について、ちゃんと理解しているわけではないので、うっかり日本人リスナーの気持ちを壊すようなことをしてしまうかもしれない、と心配したのです。
やっぱり芸術は責任重大な仕事ですから。それにリスナーの気持ちをいつも考えながら、音楽の仕事をするようにしています。」
A「CD製作中に、日本の歌について感じたことを教えてください。」
T「この「月と日」製作はとてもおもしろかったです。どうしてかというと、歌の中に自分が今まで知らなかった日本人の哲学が含まれていたからです。
一方で、製作は慎重に進めました。いろいろな映像を撮影した後、モンタージュ一つで、全然イメージの違う映像ができてしまうことは、よくあるでしょう?
それと同じで作業の方向をどのようにするのか、よくよく考えました。単に日本の歌をベラルーシ語に訳すだけではなく、曲の合間にアダム・グリョーブスのベラルーシ語の詩を入れたのがよかったと自分では思っています。
一つの言語から一つの言語に翻訳して、それでやるべきことはした、ではなく、二つの異なる文化がもっと深い世界で混ざり合ったような作品に仕上がったと思っています。
アレーシ・カモツキーが訳したベラルーシ語の歌詞も、単なる翻訳ではなく、詩としてとても高い評価ができるものですよ。」
A「どんな情景を思い浮かべながら日本の曲を歌ったのですか?」
T「今のところ日本の情景はテレビでしか見たことがありません。なので、日本の歌を歌いながら思い浮かべるのは、自分が知っているベラルーシの風景です。
たとえば、「われは海の子」ですが、ベラルーシには海はありません。私自身はネマン川という大きな川のほとりに生まれ育ちました。
ですから、この歌を歌うときはいつも、ネマン川の岸辺を思い浮かべています。」
A「トーダルさんが、ベラルーシ語で歌う理由を教えてください。」
T「日本人が日本語で歌を歌うように、ベラルーシ人である自分はベラルーシ語で歌っています。
残念ですが、ベラルーシではベラルーシ語で話したり、書いたりする人が減ってきています。このまま何もしないでいると、ベラルーシ語文化そのものが消えてしまうかもしれません。
ベラルーシ語で歌うことは何と言ってもまず、自分がベラルーシ人だから。そして、ベラルーシ語文化の一つである、ベラルーシ語音楽を継承したい。
また、ベラルーシ語を忘れかけているベラルーシ人に、母国語の大切さを呼びかけたい、と常に思っています。」
A「日本人へのメッセージをお願いします!!(意気込み、どんな演奏会にしたいか、など)」
T「今回のコンサートに来てくれた方たちが、少しでもベラルーシのことを知ってくれたら、と思っています。そして公演終了後、今まで知らなかった世界を知ったような気持ちになって、会場を後にしてくれたら・・・と願っています。
聴いてみたけどトーダルの歌は気に入らなかった、という日本人も出てくるかもしれません。でも、それは別にいいんです。私としては日本人のいろんな意見が聞きたいです。これが芸術家にとってとても大事なことだと思っています。」
A「今回、日本に行こう!と思われた理由を教えてください。」
T「日本での演奏は、ベラルーシ人アーティストにとって非常に重要です。それは遠い国だからです。
ベラルーシから遠く離れた国で、ベラルーシ語の歌を歌う。これはベラルーシ人全体にとっても、大切なことです。ベラルーシは世界的に有名な国ではありません。まだその文化など、世界の人に知られていません。
今回日本で、ベラルーシのことを知ってもらう機会ができたことは、とても大切なことなのです。
私自身はまず、「月と日」を聴いた日本人の観客の皆さんの反応が見たいです。
もちろん、日本そのものも見てみたいですね。日本人の生活はどんなものなのか、とかいろいろ知りたいです。日本は黒澤明の映画ぐらいでしか見たことがないので。」
A(上の質問と関連して)「日本はアジアの東の、未知の国ですが、不安はないですか?」
T「日本は世界的に有名な国ですよ! 未知な国なのはベラルーシのほうです。(笑)
だいたい私は冒険が好きなんです。ベラルーシの小さな村であっても、行ったことのないところへ行ってみたい。だから、不安はありませんよ。
日本へ行って、未知の国ベラルーシのことを歌を通じて広めたいですね。」
朝日新聞の記者さんがした質問というのは、日本人の方がトーダルに対して持っている疑問を代弁していると思うので。
インタビューはマーサのところへメールで送られてきたのを翻訳し、トーダルに電話をして口頭で伝えて、返ってきた返事を日本語に訳してメールにして記者さんに送る、という形を取りました。
Aが朝日新聞の質問。Tがトーダルの回答です。
・・・・・
A 「どうして日本の歌を歌う気になったのでしょうか。」
T 「最初この「月と日」を作る話を聴いたとき、これはとてもおもしろそうだと感じました。それにこの作品の製作を通じて日本の文化について知りたいと思いました。
私のグループの名前はWZ-オルキエストラと言いますが、このWは古いベラルーシ語で東、Zは西の頭文字なのです。つまり、東西オーケストラと言う名前のグループなのですが、どうしてこう名づけたかというと、ベラルーシは東西ヨーロッパの間に位置しているからです。
だから以前、私にとっては東というのはロシアのことでした。
しかし、日本はもっと東にあって、ロシアよりもっとおもしろいと思います。
今はWZ-オルキエストラのWは日本のことだと思っています。」
A「製作中、『日本の人に怒られないか』と気にされたそうですが、なぜそう思ったのでしょうか。」
(参照 HP「ベラルーシの部屋」「月と日 思い出エピソード」)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/2005/episode.html
T「今回初めて外国の作曲家の作品をアレンジすることになりました。つまり、その原作者の考えや、今までこの曲を長年聞いてきた日本人の考えなどが、歌の背景に蓄積されています。
それを編曲者である私一人が壊してしまってはいけない、と思いました。私は日本の歌の背景について、ちゃんと理解しているわけではないので、うっかり日本人リスナーの気持ちを壊すようなことをしてしまうかもしれない、と心配したのです。
やっぱり芸術は責任重大な仕事ですから。それにリスナーの気持ちをいつも考えながら、音楽の仕事をするようにしています。」
A「CD製作中に、日本の歌について感じたことを教えてください。」
T「この「月と日」製作はとてもおもしろかったです。どうしてかというと、歌の中に自分が今まで知らなかった日本人の哲学が含まれていたからです。
一方で、製作は慎重に進めました。いろいろな映像を撮影した後、モンタージュ一つで、全然イメージの違う映像ができてしまうことは、よくあるでしょう?
それと同じで作業の方向をどのようにするのか、よくよく考えました。単に日本の歌をベラルーシ語に訳すだけではなく、曲の合間にアダム・グリョーブスのベラルーシ語の詩を入れたのがよかったと自分では思っています。
一つの言語から一つの言語に翻訳して、それでやるべきことはした、ではなく、二つの異なる文化がもっと深い世界で混ざり合ったような作品に仕上がったと思っています。
アレーシ・カモツキーが訳したベラルーシ語の歌詞も、単なる翻訳ではなく、詩としてとても高い評価ができるものですよ。」
A「どんな情景を思い浮かべながら日本の曲を歌ったのですか?」
T「今のところ日本の情景はテレビでしか見たことがありません。なので、日本の歌を歌いながら思い浮かべるのは、自分が知っているベラルーシの風景です。
たとえば、「われは海の子」ですが、ベラルーシには海はありません。私自身はネマン川という大きな川のほとりに生まれ育ちました。
ですから、この歌を歌うときはいつも、ネマン川の岸辺を思い浮かべています。」
A「トーダルさんが、ベラルーシ語で歌う理由を教えてください。」
T「日本人が日本語で歌を歌うように、ベラルーシ人である自分はベラルーシ語で歌っています。
残念ですが、ベラルーシではベラルーシ語で話したり、書いたりする人が減ってきています。このまま何もしないでいると、ベラルーシ語文化そのものが消えてしまうかもしれません。
ベラルーシ語で歌うことは何と言ってもまず、自分がベラルーシ人だから。そして、ベラルーシ語文化の一つである、ベラルーシ語音楽を継承したい。
また、ベラルーシ語を忘れかけているベラルーシ人に、母国語の大切さを呼びかけたい、と常に思っています。」
A「日本人へのメッセージをお願いします!!(意気込み、どんな演奏会にしたいか、など)」
T「今回のコンサートに来てくれた方たちが、少しでもベラルーシのことを知ってくれたら、と思っています。そして公演終了後、今まで知らなかった世界を知ったような気持ちになって、会場を後にしてくれたら・・・と願っています。
聴いてみたけどトーダルの歌は気に入らなかった、という日本人も出てくるかもしれません。でも、それは別にいいんです。私としては日本人のいろんな意見が聞きたいです。これが芸術家にとってとても大事なことだと思っています。」
A「今回、日本に行こう!と思われた理由を教えてください。」
T「日本での演奏は、ベラルーシ人アーティストにとって非常に重要です。それは遠い国だからです。
ベラルーシから遠く離れた国で、ベラルーシ語の歌を歌う。これはベラルーシ人全体にとっても、大切なことです。ベラルーシは世界的に有名な国ではありません。まだその文化など、世界の人に知られていません。
今回日本で、ベラルーシのことを知ってもらう機会ができたことは、とても大切なことなのです。
私自身はまず、「月と日」を聴いた日本人の観客の皆さんの反応が見たいです。
もちろん、日本そのものも見てみたいですね。日本人の生活はどんなものなのか、とかいろいろ知りたいです。日本は黒澤明の映画ぐらいでしか見たことがないので。」
A(上の質問と関連して)「日本はアジアの東の、未知の国ですが、不安はないですか?」
T「日本は世界的に有名な国ですよ! 未知な国なのはベラルーシのほうです。(笑)
だいたい私は冒険が好きなんです。ベラルーシの小さな村であっても、行ったことのないところへ行ってみたい。だから、不安はありませんよ。
日本へ行って、未知の国ベラルーシのことを歌を通じて広めたいですね。」